
ぼくのBL 第四十五回
ドルオタと『めぞん一刻』の相関関係について ~あるいは音無惣一郎と五代裕作をめぐる物語~
ドルオタなら誰しも「推しの卒業」という悲しみを経験していることと思う。その悲しみを抱えたままどう生きていくか、今回はそんなお話です。
ぼくにとって、アイドル業界で「あのひと」と呼んでいるのはただ一人だ。心の中での話だけれど。
ここで言う「あのひと」というのは、英語でいえばTheという定冠詞がついた存在、世界で一人だけの特別な存在だという意味合いだ。
おそらくそれは、これからもずっと変わらないだろう。
そんなぼくは、あのひとが卒業したあとも、以前と変わらずにドルオタを続けている。
当初は別々の投稿にしようと思っていたけれど、自分の立場や心情を考えているうちに、漫画『めぞん一刻』の登場人物と自分のドルオタ人生が相似形に見えてきた。これなら1本にまとめられるのではないか、そう思った。
アニメ化もされた『めぞん一刻』なので、ぼくくらいの年代の方ならご存じの確率も高いと思う。知らない方に説明するなら、現在アニメがリメイクされている『うる星やつら』の作者、高橋留美子が描いたラブコメの傑作だ。
主人公はアパート「一刻館」の若き管理人である音無響子さん。
もう一人の主役として登場するのが一刻館の住人・五代裕作くん。
この二人によるラブストーリーだ。
ドルオタとめぞん一刻が、どうリンクするのか。
鍵は響子さんの過去にある。
響子さんのことを好きになった五代くんは果敢にアタックしていくけれど、響子さんが実は未亡人であることがのちに判明する。
響子さんは亡き夫の惣一郎さんのことが忘れられず、五代くんのことを男性として、パートナーとして考えることがなかなかできない。
それを知った五代くんが、心理的、物理的な障害を乗り越えて響子さんと結ばれるまでの長い長い物語が『めぞん一刻』なのだ。
冒頭に戻る。
ぼくの中の「あのひと」は、ひょっとすると音無惣一郎なのではないか。仕事をしながら、ふと思ったのだ。
突飛なたとえで申し訳ないけれど、ぼくが響子さんだと仮定しよう。性別に関してはこの論では男女が逆転している。
アイドルの卒業という形であのひとを失ったぼくは、それからしばらくは心に小さな穴があいた状態で生きていた。
あの頃のキラキラした日々を思い出しながらも、その穴をふさいでくれる誰かがぼくの目の前に現れないかと期待しつつ。
ある日、五代くんは唐突に現れた。
ここでいう五代くんは、音無響子(ぼく)の近くにいてくれる新しい推し、という意味合いだ。
五代くんはゆっくりだが着実にぼくの中で存在感を増していき、希望の芽が育ってきている。
ぼくは、決して忘れられないあのひとの幻影と記憶を脳裏に浮かべながらも、新たに飛び込んだ世界で五代くんたちとのラブコメを繰り広げている最中だ。
唐突にこんな文章を書いたのも、実は今日「あのひと」から反応があったからだ。
いいね1つでこんなにも心が浮足立つものかと、自分でも呆れたくらいだけれど。
ぼくの中に、あのひとはまだ存在している。
ぼくをまだ動かしつづけてくれている。
今日それを実感した。
だからどうか、遠くから安心して見守っていてほしい。
そしてここからが、本来書こうと思っていた文章だ。
下のリンクの文章への返信として書き進める。当該投稿にリプしようと思ったが長くなりそうなのでこの場をお借りすることにした。
ドルオタに共通する悩みだろうと推察するけれど、推しが複数になったときにどう振る舞うかという問題、推しの所属するグループの他のメンバーとどう付き合うかという問題、これは正直いってなかなかの難題だ。
この文章を読んだのは仮面女子のワンマンライブのあとのことだった。
ぼくのドルオタ人生は、最初の推しである仮面女子の猪狩ともかさんから始まっている。
推しが一人のうちは何も問題はない。
正々堂々推せばいいだけの話で、あとは押し引きのバランス調整だけだ。
「次のライブには行けないんだゴメン」「今日はお財布がさみしいからチェキなしで帰るね」、そのレベル。
だが、二人目の推しが出現した時点で様相は一変する。
推しが所属するのが別々のグループだったらまだ軽傷だけれど、同グループに複数の推しができた日には目も当てられない。ぼくは未経験だけれど。
「ねえどっちが好きなの?」「あっちのチェキ会には行っても私のところには来ないんだ?」と問い詰められる現場を第三者として見たことがあるし、「○○さん(ぼくの友人)ってさ、Aちゃんと私のどっちをいま推してるんだろう? ねぇうえぴー、何か聞いてる?」と恋愛相談のような話をアイドルから持ち掛けられたこともある。
まさか古典落語の廓話のような話を現代で経験しようとは思いもしなかった。
まあ、アイドルからの焼きもちなんて焼かれているうちが華だとは思うけれど、ファンである当の本人からしたら胃壁にポリープができるほどの強烈な悩ましさなのだろうと思う。他人事ながら。
さて、ここからは千鶴さんの提起した問題に入ろう。論点は大きく3つある。
1)推しメン以外の生誕祭に参加するファンの心理
2)推しメン以外のメンバーとの関係性
3)箱推しと単推しの関係
千鶴さんはアイドルの立場から書いているので、ここではファンの立場から個人的な想いをつづっていく。あくまで個人的意見なので、参考程度に。
1)推しメン以外の生誕祭に参加するファンの心理
これはぼくも経験があって、期待することがあるから参加している。それは、
A)別のメンバーの生誕であっても推しが出ているなら観たい。いつもと違った推しの表情や言動が観られるかもしれないレアな機会だから。
B)生誕祭という祝祭空間では推しメンと意外なメンバーが絡んで、ひょっとすると別のメンバーにも興味を持つきっかけができるかもしれないから(これは箱推ししている前提)。
実際にこういうイベントで他のメンバーに対する理解度が上がり、箱推しするモチベーションが高まることが多いので、機会があればぼくは推しメン以外の生誕祭にも参加するようにしている。
2)推しメン以外のメンバーとの関係性
悩ましい問題だ。
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』でも言及されているが、「推しに2推しがばれる問題」というやつに、ドルオタは若干の後ろめたさを感じるものなのだと思う。
だって、たまには推しメン以外のところに行って自分が認知されているか知りたくなることもあるじゃない? そのメンバーから推しの話を聞きたくなることもあるじゃない? 推し以外のメンバーの理解度を上げて箱推しレベルアップしたくなるじゃない? だからDDとかじゃないし絶対に浮気じゃないからね! 嘘じゃないよ!(ここまで早口)
3)箱推しと単推しの関係
ぼくは推しを作るにあたって、最低限自分に課している決まりがある。それは「箱推しできないグループに推しは作らない」だ。
推しが輝いて見えるのは、推し自身の煌めきや才能に依るところがほとんどだけれど、いま置かれている環境やグループ内での立場、メンバー間の関係性などの要素が絡んでいることと無関係ではない。
もし別のグループにいたら、もし違うメンバーと組んでいたら、ひょっとしたら推しの今の輝きはないかもしれないのだ。
そう考えると、推しのいるグループ(箱)を推すことは、ぼくにとって必然なのだ。
アイドルが自分のファン以外の言動も気にするように、ぼくも推し以外のメンバーの言動を気にしている。その中に推しが言及されたりすると嬉しいし、普段のライブでは伺い知れない関係性が見えたりするのも楽しいのだ。
ここで再び、めぞん一刻に話題を戻す。
ぼくは推しのアイドルに対して、非常に都合のいい幻想を抱いている。
長い漫画なので読んだ人にだけ分かれば十分だけれど、ラスト付近で五代くんが惣一郎さんの墓前に語りかける場面がある。
そのシーンでは、ぼくがいま五代くん(推しているアイドル)に抱いていてほしいと期待してしまう気持ちがそのまま描写されているのだ。
あえてそのセリフは説明しない。
そして人生は続く。
ぼくのドルオタ人生は始まったばかりだ。