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ぼくのBL 第四十八回
ベリーベリーストロング
バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日
でもさ 君は運命の人だから 強く手を握るよ
いちご狩りでスカイベリー&とちあいかを食べまくって人生の意味が解かった金曜日でした。
……え?
おや、お前さんは前回の記事で「次回は本の話題で行きます」って書いてなかったかい?
いやまあ、そこはそれ。
本の話題は後半で触れますので許して下さいませんかね。
さて。
果物には、見た目から想像する味と、実際に摘み取って口に入れた時の味の差異がある。
もちろん予想通りということもあるけれど、思っていたより水っぽかったり、薄味だったり、発酵しかけていて嫌な酸味を感じたり。そして思いもかけない極上の甘さの当たりを引いたりする。
果物の味には個体差があるという当たり前のことに改めて気づいたその日、ぼくは初めて現地で見るアイドルのライブに横浜へ出かけた。
今回は「やっぱライブは現地で観るに限る」ってお話。
実際にライブで観るのと、画面越しで観るのでは、明らかに違いがある。
いくら事前にMVを見たってプロフィールを調べたって、やはり現地で観た感触、特典会で実際に交流した感覚にはかなわない。
MVで予習したときは大して興味をそそられなかったのに、現地で観たら驚くほど完成度が高かったり、まったくのノーマークだったグループのパフォーマンスを見て感動のあまり涙を流したり、そういうことが往々にしてあるのだ、ライブ現場では。
行く前は「遠いし初見だし初めての箱だし、もっと近い会場のときに観ればいいんじゃないの、今日じゃなくたってさ」と囁きかけるもう一人の自分がいたので、2,3分は本気で悩んだ。
結果、オタ活の基本を思い出してぼくはそいつを黙らせることに成功した。
「次の機会でいいと思っているうちに会える機会は失われていく」。
いざ次の機会が巡ってきたところで、目当てのアイドルが病欠するかもしれない。自分が不慮の事故、あるいは病気、仕事上のトラブルなどでライブに行くどころではなくなるかもしれない。
会いたいと思ったら、会いに行かないとだめだ。
伝えたい気持ちがあったら、すぐに伝えなきゃだめなんだ。
面と向かって、きちんと言葉にして言わなきゃ。
でないと、一生後悔することになる。
まあそこまで大袈裟な気持ちではないとしても、それに近い心境でぼくは電車に乗った。
今日の目当てはSAZANAMi Λugの夏澄來世さんだ。
ツーマンだし、主催のグループは全くの未知だし、そんな状態でライブに行ってもいいものかしら、不審者に思われないかしら、誰だコイツと訝しがられないかしら、と若干の罪悪感を抱えながらの参戦だった。
2週間ほど前のことだったと思う。
出会いは偶然だった。といってもぼくの一方的なものだけれど。
そもそも最近のぼくは、3月の「個人的推し卒ラッシュ」(6人中3人が卒業・活動休止)からの痛手が癒えないまま、ぷかぷかとネットの海を漂っていたのだ。
自分のnoteを書いているときだった。
おすすめ欄に表示された彼女の記事に目が留まった。
美しいタイトルだと思った。
記事の冒頭で短歌が掲載されている。
(これ、たぶん彼女が詠んだものなんだろうな)
短歌を詠んだことなどないぼくは、彼女への興味が俄然強まった。
この時点で、ぼくは彼女の術中に嵌っている。
彼女が策を弄しているというわけではなく、ぼくが自分で足を踏み入れて嵌ったという意味。
内容は自分の芸名に関する内容だった。
文中にある通り、「名前って大事なもの」だ。
名前など記号にすぎないと言う人もいるだろう。しかし、名前に込められた意味、込めた想い、そういったものを背負って人は生きていく。
あちこちの対バンに参戦していろんなアイドルを見てきているし、なんなら特典会でお話しもしているのに、名前を覚えにくい場合がある。加齢もあるだろうし、そもそもぼくは名前を覚えるのが異様に苦手なのだ。
彼女の記事を読むと、自分の名前の来歴について多方面から説明してくれているので、ぱっと見では読みにくい名前ではあるけれど、ぼくの胸にはしっかりと刻み込まれた。
文章の運びも軽やかで、とても素直に頭に入ってくる。
好きだ。そう思った。
ちなみにぼくの「うえぴー」というあだ名は、25年ほど前に当時所属していた社会人ボランティアサークルの先輩に付けていただいたもの。それからずっと愛用している。
アイドルの特典会で名前を聞かれると「かわいー」という反応が多くて、時間に余裕があるときは「たぶんあなたの生まれる前からこのあだ名なんだけどね」と少し自慢げに説明したりもする。その先輩には今も心の中で感謝しています。ありがとう久保田さん!
ということで、彼女にどうしても会いたい。ライブを生で観たい。特典会でお話ししたい。
その欲求と自分の休日が合致した。
会いにいこう。
会場は小さめの箱だった。
開演15分くらい前に会場入りして、最前を確保した。
2マンライブのゲストということは、最初の出番だろう。緊張しながら開演を待った。
ステージの立ち位置はぼくの目の前。
彼女は(誰だこいつ?)と思っているだろう。初見の客だということはわかるはずだ。いきなりメンカラ―の白を振っては動揺させてしまうと思って、ライトを消した状態のサイリウムを振っていた。
ライブは至福の時間だった。
特に後半の「message」「ホメオスタシス」は圧巻だった。歌とダンス、熱狂と絶唱、ステージは世界のすべてになっていた。
ぼくの場合、推しメンだけが好きな場合と、推しメンを含めグループ全体が好きな場合がある。
ライブ後の特典会でPサマと話したところで確信した。
このグループは素晴らしいバランスで動いている。
メンバー間の仲も良く、メンバーと運営の関係もいい。
Pサマが曲を作っているというのも関係しているのかもしれない。
支える人間がしっかりと手を握っているから、暗い場所でもきちんと足元を照らしているから、アイドルは本来の輝きを余すことなく表に出せるのだと思っている。
こんなにも早い段階で箱推ししたいと思ったグループは初めてだ。
もともとぼくは文章を綴るアーティストが好きで、これまでもnoteをきっかけにファンになったアイドルがいた。
なぜぼくは文章を綴るアイドルに惹かれるのだろう。
いい機会だから、これまで深く考えてこなかった思考をトレースして輪郭を掴んでみようと思う。
地下アイドルは宣伝が基本だ。
販路拡大のために、事務所だけでなく自分の力でも広報していかなくてはならない。
固定客だけをターゲットにしていては、人気も収入も頭打ちになるだろう。いかに新規のファンを獲得するかが重要だ。
そのために、アイドルたちは様々な努力をしている。
SNSでアピールしたり、動画配信をしたり、対バンライブで初見の客の気を惹いたり。
主現場である「ライブ」と「特典会」以外のところでのそういった地道な努力がアイドルの知名度を上げていくのだと思う。
ぼくは言葉を大切にする人が好きだ。
ネットの黎明期からBBSやブログやホームページなどで文章を書くことを続けていたものの、数年前から二次創作ではあるが小説を書くようにもなり、言葉に対する想いは以前より強いものになった。
口から出る言葉は、考えた末に発せられることもあるけれど、基本的には無駄の多いものだ。文字起こししてみたら惨憺たるものだろう。
それに引きかえ、言葉を綴るということには自然と推敲が必要となる。
喋るときは「考える」→「口にする」の手順だが、書くときは「考える」→「書く(入力する)」→「視覚から入ってきた情報をもとに脳が文章を再確認する」(→「推敲する」「書き直す」)のプロセスを経る。
おそらく最後のひと手間+αが「喋る」と「書く」の違いなのだろうし、アイデンティティや個性が出る部分だと思う。
書いたらすぐに発表する人もいるだろうけれど、少しでもこだわりがあるなら読み返すはずだ。自分の気持ちがきちんと形になっているか、誤字脱字はないか、読んだ人に誤解を与える文章になっていないか。
日常会話は「表現」とは言い難いけれど、文章においては言葉のチョイスや言い回しなど立派な「表現」だと思う。
好きなアイドルのことは少しでも多く知りたいので、こういった「コミュニケーションのひと手間」というものが嬉しいのだ。
ここで本の話をしよう。
電車の中で読みさしの『模倣犯』(宮部みゆき)を読んだ。
ライブ会場の往復で時間があったので、ようやく上巻を読み終えた。たぶん原稿用紙で1600枚くらい。いや、これでもまだ半分だけれど、とんでもない力作だ。
とある犯罪のルポルタージュのような構成になっている。ミステリだからこのあとどんな展開になるのか、『模倣犯』というタイトルの真意は何なのか、それらを楽しみにしながら下巻を読むつもりだ。
しかし、こんな重い話を書く小説家の心中を察すると、途方もない心労が偲ばれる。
自分でも重い話を書いたことがある。
アイドルマスター・シンデレラガールズの白菊ほたるの物語。
自らを「不幸体質」と評するほど運に見放された彼女のストーリーは「救済」の物語でなくてはならない、そんな思いで書いた。原稿用紙に換算したら100枚くらいの中編だけれど、書いている間じゅうずっと心に重しを付けられていた気分だった。この暗闇から早く抜け出したい、その一念で書いていた気がする。
さて、ぼくには頂戴しておいてなかなか使えないものがある。その筆頭がクオカードだ。調べてみたら全国の書店で使えるらしいことが分かり、それでも近所の書店は対応していなかった。
新横浜駅直結の商業店舗には有隣堂が入っていた。
店員に確認すると使えるということだったので、世評の高い『両京十五日』をようやく手に入れることができた。
『模倣犯』を読み終えたらこれを楽しもう。そのモチベーションができたのは喜ばしいことだ。
さて、ようやく冒頭のベリーベリーストロングに行き着いた。
今回のサブタイトルはもちろん伊坂幸太郎の小説『アイネクライネナハトムジーク』とスクラムを組んで完成した斉藤和義の『ベリーベリーストロング』のことだ。
ベリーを苺にかけてみた。
あとから気づいたことだが、來世さんは苺が好きということ。
知らずにいちご狩りをした日に初めて來世さんと会うことになるとは、なんとまあ素敵な偶然でしょう(限界オタのこじつけ)。
ベリーベリーストロング 胸に鳴り響くティンパニー
ベリーベリーストロング 強い絆の話だよ
ベリーベリーストロング ああ 繋がってる誰かと
ベリーベリーストロング いつ どこで 会う?
オタクは勝手に絆とか言い出すもの。
推しに対しては特にその傾向が強い。
ぼくは上記の「名を給ふ」を読んだとき、自分の胸にティンパニーの音が轟いた気がした。
彼女に会うまでの半月ほど、間違いなくぼくはこの歌詞のような心境にいたのだ。
原作(?)小説の『アイネクライネナハトムジーク』だって「この人とこの人がここで繋がるの?」という人間関係の魔法のような話なのだ。
やっと会うことができた。
これからは絆を強くしていく時間だ。
楽しみは尽きない。