続・選択的夫婦別姓「前回の話と選択的夫婦別姓がダメダメな理由を説明するよ」
上記noteの続き。
目次の1つめと2つめは前記事の解説なので、
読んだ方が分かりやすいと思います。
選択的夫婦別姓についてのみ関心のある方は3つめから読んでね。
1つめ - 人間の家畜化 -
姓名の価値を無くすということは人の尊厳を捨て去るということ。
国が性別問わず人を番号で管理する時、そこに在るのは家畜そのものであり、それ以上の価値はない。
何かしらのスマホゲーをやっている方も多いだろうから簡単に例えると「ネームドキャラ」「SSR」は価値がある。
「名もない戦士A」や「Nキャラ」は価値がない。
ストーリーも無ければ専用イベントもないモブキャラだ。
名前がないから制作過程から手を抜かれるし、存在感が希薄だから興味を沸かせることはない。
受け手側も名前の無い凡庸なキャラをわざわざ深く掘り下げようとは思わないし、大事に育てたり第一線で活躍させたりもしない。
ショボいから。
興味がないから。
育てるリソース勿体無いから。
ガチャのハズレ枠だから。
そんなぞんざいな存在に成り下がる。
家畜化されたら歴史もいらなくなる。
文化も必要なくなる。
例えば戦国武将に各々番号を充てて日本史の教科書なり小説なりを読んでみるといい。
ある雪の日、10001は庭に出るため11244に草履を持ってこさせたが草履が温かい。
「11244めっ、尻に敷いておったな!」
と激昂する10001に11244は「いいえ滅相もございません。10001様のため、懐にて温めていたのでございます」と答えた。
10001は11244の服をめくりあげると、胸には草履の跡が付いていた。
10001は11244をいたく気に入り、重用するようになっていく。
この11244が11244となり11244からの11244が後の11244である!
馬鹿馬鹿しくて語り継ぐ気も起きなくなる。
人の営みも当然家畜化していく。
「番号と番号が交尾するのに何を気取っているんだ?」となる。
2つめ - 自由化とは形骸化の始まり -
自由化とは形骸化の始まりだ。
「何でもいい」ということは「どうでもいい」ということ。
キミたちの言う自由とは、キミたちの手が届く範囲までの自由という意味でしかない。
だからキミたちの手に余る自由があることになかなか気付かない。
手に余る自由がキミたちの首を容赦なく絞めつけてくることを想像できない。
人の歴史とは名前を授ける歴史だ。
名は無関心なモノや意味のないモノに力を与えたり、得体の知れない恐ろしいモノを定義づけて無害化することが出来る。
また名前を授かることで絆が生まれ、自身がどうしようもなく世界と結び付いていることを知る。
例えば「牙を剥き4足歩行で素早く走る獣」に恐怖し怯えるだけだった人々は、それを「犬」と定義づけ、理解を深め、共有し、安心を得ることに成功した。
さらに一個体に名前を授ける事で絆を結び、家族として一緒に暮らすことも出来るようになった。
ただそこに在るだけだった有象無象の存在を識別し、理解を深めるためには名が必要で、それらを共有していくことで人間社会はより安全で豊かな社会へと変貌していった。
人の歴史に話を戻すと、名字は天皇から賜る称号だった時代から明治時代までの間、表では限られた者しか名乗ることが出来ない特権だった。
2024年現在から遡ることたったの154年前にやっと一般人でも名字を名乗ることを許可されたばかりだというのに、これを形骸化させる一手となり得る選択的夫婦別姓を導入するなどあってはならないことだ。
別姓の次は自由化だ。
旧姓を気に入らない人間は一定数いるからだ。
結婚を期にお互いの名字を捨てて新しい姓を名乗ろうとするだろう。
自由化の次は形骸化だ。
その時の気分で名乗って何が悪いとなる。
そしてその時を行政は手ぐすねしながら待っているのだ。
再び名字を特権化し、一般人を番号で管理する。
まさに未来の家畜。
ディストピアの出来上がりだ。
番号になってしまえば外国人も日本人も平等に扱き使えるというわけだ。
3つめ - 外国は別に最先端ではない -
外国の夫婦別姓をあたかも平等で先進的であるかのように喧伝し、グローバル化が良いものであるかのように推し進めようとしているが、何の説得力もない。
各国の歴史や文化的背景を無視して表面だけみても意味がない。
とある隣国や中東の国の考え方はこうだ。
結婚しても一族には入れない。
子供は一族だが嫁は一族ではない。
嫁は一生よそ者だ。
だから別姓。
これのどこが平等なのか。
逆に女性の尊厳が貶められているじゃないか。
日本の戸籍は家族の絆を深めるための制度だ。
女性だからと外したり、見下したり、一族から締め出したりなどしない、素晴らしい制度なのだ。
名前の成り立ちと宗教が密接に関わっている国もある。
とある有名な画家のフルネームの構成を書くとこうだ。
「自分の名前、父方祖父の名前、父の名前、母方の祖父の名前、代父の名前、代母の姓名、守護聖人の愛称、三位一体の守護聖人名、ルイス・イ・ピカソ」
となっている。
スペインが特にめーーーーんどくさいっ!
さすがにここまで長いフルネームの人は少ないが、自身の姓名に「祖父母姓名、父母姓名、住んでいる場所、宗教関連の名称」等、余計な情報が入っている国は多い。
平等やグローバルとは全く関係がない。
ようは未整理なだけなのだ。
それと比較して日本は「姓+名」とシンプルにまとめた上で、必要な情報は国が記録してくれている。
デジタル化社会にもそのまま対応可能だ。
まさに世界の最先端!
日本の夫婦同姓こそが時代の先取りであり、未来のグローバルスタンダードにするべきお手本なのだ。
4つめ - 強制的親子別姓 -
これはよく言われていることなので簡潔に。
選択的夫婦別姓になったら、産まれてきた子は一体どちらの姓を名乗ればよいのか。
子に選ばせるのか。
親同士での話し合いでスムーズに決められるのか。
じゃんけんでもするのか。
いずれにせよ必ず揉めることになる。
そして世代が進むほどこの問題は加速度的に増していくのだ。
- おしまい -
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