ファクトフルネスを活かした会計学の可能性(会計×ファクトフルネス)
少し間が空きましたが会計学の学問の定義から、何のための学問かを考えていきたいと思います。ところで、この本をご存知でしょうか?
かなりのベストセラーになっているのでご存知の方も多いと思います。
ファクトフルネスの10のルールをあげていきましょう。
1.分断本能を抑える。
2.ネガティブな本能を抑える。
3.直線本能を抑える。
4.恐怖本能を抑える。
5.過大視本能を抑える。
6.パターン本能を抑える。
7.宿命本能を抑える。
8.単純化本能を抑える。
9.犯人捜し本能を抑える。
10.焦り本能を抑える。
の10があげられています。この本の中では、様々な実例に基づき、我々の「思い込み」をデータによって否定しています。
例えば、この本の冒頭に書かれている質問をいくつか紹介しましょう。
質問1 現在、低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を修了するでしょう。
A 20% B 40% C 60%
質問2 世界で最も多くの人が住んでいるのはどこでしょう?
A 低所得国 B中所得国 C高所得国
質問3 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?
A 約2倍になった B あまり変わっていない C 半分になった
答えは・・・
質問1 C(60%も修了している!)
質問2 B(中所得国に多くの人が住んでいるのは意外?)
質問3 C 半分になった(貧困の問題は少しずつであるが減りつつある!)
となっています。
私もファンの1人として注目しているE-educationの三輪さんが書かれていたこの話が印象的です。
『貧しかった農村にも徐々に予備校が増え始め、圧倒的に不足していた学校の先生の数もどんどん増えてきたのです。こうなると状況はガラッと変わります。』
つまり、貧困国と捉えられていた国の状況は確実に変わりつつある!という事です。つまり、教育支援の在り方もおのずと次のフェーズに移りつつある、という事です。
恐ろしいのは、こうした時代の変化を捉えられずに、古い価値観、見方で物事を判断してしまう事です。
この本を読んで気づかされる、イメージとして降りてくるのは、「データを忠実にみる」ことが本来の会計の機能ではないか?という事です。
無理に理論的な適合性を重視するあまり見落とされているような事実はないか?という事です。
あえて、会計学ではなく会計という言葉を使っているのは、データを忠実にみる、ということ事態は学問とは言い難い、分析をしているに過ぎないからです。学問として確立していくためにはやはり何らかの理論が必要です。ただ、そんな話は割と些細な話なのかもしれません。
ファクトフルネス的な視点で書かれた本としては"Accounting for Slavery"があります。この本は、アメリカにおける農園で、非常に優れた奴隷の管理体制が行われていたという実態を書いているものです。
https://www.hup.harvard.edu/catalog.php?isbn=9780674241657
*ハーバードプレスによる書評です。
上記の書評では以下の様に書かれています。
By showing the many ways that business innovation can be a byproduct of bondage, Rosenthal further erodes the false boundary between capitalism and slavery and illuminates deep parallels between the outlooks of eighteenth- and nineteenth-century slaveholders and the ethical dilemmas facing twenty-first-century businesses.
「ビジネスイノベーションが束縛の副産物により生じることが多くの方法により示されている、Rosenthalは、資本主義と奴隷制度の誤った見方を正し、18世紀・19世紀の奴隷の所有者と21世紀のビジネスが直面している倫理的なジレンマとが酷似していることを明らかにしている」
と評されています。奴隷制度は倫理的に許されるわけではないです。しかし、そこの管理体制を会計記録に基づき忠実に辿ることで、現代の私たちにおける共通する問題点をあぶりだすことにRosenthalさんは成功しています。このことはまさに、ファクトフルネス的な会計学、といえるのではないでしょうか?
会計学は地味な学問です。でも地道な調査の積み重ねが、他の学問では明らかにできないようなファクト(真実)に迫ることに繋がる、といえるのではないでしょうか?