企業のSDGs活動に対する違和感
SDGs、今はちょっとコロナ禍において下火という気もしないでもないですが、企業のホームページをみると掲げられているケースも多いですね。
ステークホルダーのSDGsへの取り組みをサポートするべく、電通およびグループ会社が連携して活動を推進しているプロジェクト。各種セミナーの実施、SDGsコミュニケーションガイドやワークショップの開発などを主な取り組みとしています。
広告代理店などは、一つの商機ととらえて、SDGsのプロモーションに積極的です。
何か・・・違和感があるんですよね。
なんというか、一つのビジネスチャンスだったり広報活動の一環として捉えている節があって。
今、政府、地方自治体においても地方創生絡みの投資だけでなく、こうしたものに大きなお金が動いている。
それはそれでいい面もあります。ですが、やっぱり、必要なのはその人の心の在り方、フィロソフィだと思うんですよ。たとえば、今回は日独でリーダーの力の差がはっきりと出ました。
ドイツは⽂化の国であり、私たちは全国に広がる多彩な催し物(展⽰や公演)に誇りを もっています。ミュージアム、劇場、オペラハウス、⽂芸クラブ、そのほかにもたくさんあります。⽂化的供給が表現しているのは、私たちについてであったり、私たちのアイデンティティについてだったりします。コロナウイルスによるパンデミックは、私たちが共に営む⽂化的⽣活の深い中断を意味します。とくに影響を受けているのは多くのアーティストたちですが、いっそう深刻なのはフリーランスのアーティストたちです。現在の状況は不確かなままです。だからこそ私たち連邦政府、なかでも連邦⽂化⼤⾂モニカ・グリュッタースは、各州とともに関⼼を寄せていることがあります。私たちの⽂化的⽣活が将来にもチャンスがあり、そしてアーティストたちに橋が築かれることです。
私たちが不足している心の栄養、つまり、文化的なことに関心を寄せ、必要な措置を取っていくことを演説で語ってくれています。
SDGsの取り組みが私たちにとって環境、貧困、社会に対する課題に対する意識を高めてくれいること自体は良いことだと思う一方で、そこに乗っかって商売をしよう、とすることの是非はまた問われるべきかもしれません。
表面的なものではく、本当に自分たちの心の部分に落とし込んで活動が出来ているのか。そうした芯の部分が問われている気がします。
色々なビジネスチャンスが拡がることはいいことなんでしょうけどね。しかもソーシャルな部分において。ただ、そこに色々な人がお金儲け、本音と建て前で活動している人も多くいるような気がしてあまり好きになれないんですよね。
そういえば、きょうはトヨタの決算発表でしたね。
質疑が終わって採決に入る前、豊田社長は「ご安心ください。トヨタは大丈夫です」と切り出した。続いて「リーマン・ショックの時と今の私たちは違う。自動車産業のこと、日本経済のこと、地球環境のこと、そしてこれから生まれてくる子どもたちのことを考えることができる強さを備えつつある。ようやく世の中の人たちから頼りにされる企業になるための、スタートポイントに立つことができた」と強調、空前の赤字に陥ったリーマン時以降の体質改善の進展ぶりや、これからの針路を株主に提示した。
学生に豊田社長の話を聞かせると「ちょっとおおげさ」という人もいますが、なんというか、かれのピュアさ(リコール問題で色々あった時も涙ぐんでましたね)はこの事態においては強みになっているようにも感じています。
今日は少しとりとめのない話でした。
持続化給付金で携わっている企業、社団法人さんもSDGsを積極的に推進されていたな~というところから思うところを書いてみました。。
基本となる信念、姿勢というのが大事だなと感じています。
見かけでない芯の強い。
そうしたものを持てるかな?