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発達障害由来の「頭の中がとっ散らかる」問題について。

注意欠如・多動症である「ADHD」は、順序立てて行動するのが苦手だったり、落ち着きがない、待てないといった特徴がある。

例えば、学校でも授業に座っていられない……というパターンがよくあるADHDのイメージだ。

僕は授業では座っていることはできたけれど。代わりに「頭の中がとっ散らかっている」。

つまり、外部からの刺激に対して次々と思考が湧いてきて……。それが止まらないのである。そして、万事何事に対しても何か調べて、理由をつけて、それで自分の知識欲を満たし、安心しようとする傾向があるのだ。

例えば、「大谷選手の50‐50達成」というニュースを見たら、「おぉ!!」と思いながら、ひとしきり一連のスポーツニュース記事を読み、「漫画作品だったら出来すぎてる設定でボツになる」といったはてブのコメント、なんJの反応などを見ている。さらには試合後にはなかなか更新が遅くなる、今日の打率まで確認しないと気がすまなかったりする(ちなみに、今日6打数6安打3本塁打10打点2盗塁の固め打ちでも打率は.294の5位だった。打率1位はパドレスのアラエス.320なので、三冠は厳しめ……)。

万事こんな調子である。道を歩いていても「あ、ここに新しい店がある……」から「最近の飲食店出店のトレンド」とかが気になったりするし。道行くバスの車種を見て「石原都政からの排ガス規制」を思い出したり、「物流業界の2024年問題」を考えたりする。昔から1日中地図とか時刻表とか四季報とかずっと読んで、気になったことを調べては行ったり来たりしていたのだった。

朝から晩まで常に。頭の中にはいろんな思考が渦巻いているのである。

仕事の上でのメリット

とはいえ、頭の中がとっ散らかっていたとしても、仕事上でのメリットもある。

取材のときには、相手の話を聞きながら「原稿を成り立たせるための要素」を考えているので、「次、相手に何を聞こうか?」を同時並行で考える。相槌を打つなかで「相手の言葉をどう言い換えるか」を考えて自分が言葉にしている。相手がそれを口に出してくれたら原稿に使えるからだ。

また、前提の要件整理で言葉をまとめて聞くのも僕はよくやる。経済系の取材だったら例えば、「アメリカは利下げ基調で足元の景気は先行き不安で不透明感が出ているけれど、今後は米大統領選挙次第。トランプさん、ハリスさんどっちが勝つかは本当に未知数……って理解であってますか?」と、自分自身の理解と憶測を交えて話したりする。

相手がそれで「その通りです」と言ってくれれば、自分の発した言葉をそのまま原稿に使える。仮に違っていても相手は「半分合っていて……。ここは違う」と答えてくれるので、その後の中身がまとまりやすくなるのである。

あんまり深く考えずに何の気無しにやれている、というのは、ある意味で自分の頭の中がとっ散らかっているからこそ、である。

あと、思考がとっ散らかっているが故にブレストなど、アイデアを発散させる系のMTGは大得意である。テーマに沿って「そういえば、あんな事例も。こんな事例も……」と思い出して話すことができる。

10~15年前に取材して話した内容も思い出して引っ張ってこれるので、小さな事柄からそれを膨らませられる。

あるグラビアアイドルに取材したとき、「納豆のパッケージが集めが好き」と話していていた。その話自体はその原稿では使わなかったけれど……。別の企画で「ニッチな偏愛座談会」なる企画が出てきたときに、このアイドルのネタを出して通ったこともある。担当のマネージャーさんには「よくこんなエピソード覚えてましたね……」とビックリしながら感謝された。

レヴィ=ストロースの言うところの「ブリコラージュ(寄せ集めて自分で作る)」を自然にやっているんだろうな……と自分では理解している。

ある友人は「上野は引き出しは多いんだよな……。でも、多すぎて時々話がいろんな方向に行ってる。『それじゃないよー』ってそっと閉めるけどw」と話していた。まさに僕のことを理解してくれている友人ならではのコメントだ。

生きていく上でのデメリット

ただ、頭の中がとっ散らかっているとやっぱり弊害も多い。

学生時代の頃は授業そっちのけで自分の思考に没頭しているので、当てられても「聞いてませんでした」となることもしばしば。授業内容自体に没頭できれば、聞いていられるのだけれど。既知のことだったり、その時自分に興味がなかったりすると、もうその情報は入ってこない……。

テレビやインターネット、特にSNSとも相性が悪い。引っ切り無しで情報が入ってくるので、その度にその事柄について、気が済むまで調べてしまうのである。

大きなニュースが入ってくると「不安感」から、その傾向は顕著になる。東日本大震災の当日は、翌日土曜日で休みだったのもあるけれど明け方までずっとテレビを付けて見てしまっていたし、コロナ禍の緊急事態宣言の前後も、同様だった。

誰かの「訃報」も危うい。その事自体の驚きもさることながら、調べている内にSNSではみんなの悲しんでいる感情も乗っかってくるのでそれを一心不乱に浴びてしまうのである。

頭の中がとっ散らかっているので、事務作業周りの抜け漏れは多い。自分が興が乗らない作業はそのままにして、別の調べ物をやり始めてしまうので、ずっとタスクとして残っている……。請求書の発行とか何のことはないはずなのだけど、クラウド会計ソフトの画面を開いて……までが億劫になるのである。

発達障害由来の二次障害には「躁鬱」や「不安障害」「不眠障害」などが挙げられる。幸いにして今のところ僕は該当しないのだけれど、この頭のとっ散らかりが夜出てくるとなると、一気に眠れなくなり不眠になる……という未来が十分見えている。

しっかり「寝る」ために。気がついたこと調べたことなどは書き残しておいて、頭脳をしっかり疲労させつつ。定期的に朝は走って体を疲れさせておくこと。結果的に、それで不眠にならずにすんでいるように思う。

コンサータやストラテラを飲むべきか問題

ADHDは脳の神経伝達物質のドーパミンの産生や、ドーパミンのシナプス間隙への放出、ドーパミン受容体の関わるものに由来するものがあるそう。

ゆえに脳のドーパミンの働きを強める薬「コンサータ」で多動性を抑えたり、ノルアドレナリンという物質を出して、過集中に対して視野を広げる「ストラテラ」という薬がある。

僕はこれらを飲むべきか……を最近悩んでいる。

知人はコンサータを飲み始めたことで「モヤがかっていた頭のなかがスッキリして物事に取り組めるようになった」と話していたし、「効く」という体験談も多い。

一方で、薬が多動性に効くから解決……というわけではない模様だ。「薬を飲むようになってから面白くない」「席を立って先生に怒られることは減ったけど、先生の話に興味が湧くわけでもない」と訴えるADHDの子どももいるそう。

ADHD傾向のあるラッパーの人が薬を飲み始めたら、確かに多動性は落ち着いたけれど、その人なりのリリックが刻みにくくなった……という話もある。

薬を飲むことで、思考のアイデア発散がどの程度収まってしまうのか……という不安もあるのだ。

まぁ、僕の場合その前にそもそも正式な診断を受けていないので、診断名をつけるか否かを悩みつつ(なんだかんだ、これまで暮らしてこれているので、僕の場合大分グレーで診断名が付かない可能性も)、薬を処方してくれる精神科を見つけるところから始めなければ行けないのだけれど……(そして、自分の求めて水準で『合う精神科探し』は『精神科ガチャ』と言われるくらい難易度が高い……そうだ)。

ということで自分に近しい、あんまり表面的な多動性がないADHDのない方……どうされているのか。アドバイスください。自分に対してはどうしても客観視して判断できないのである……。


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