「指示を出さない」マネジメント論は人生のコマを進める上でも必要かも。
先日読んだ元サッカー日本代表のイビチャ・オシム監督の記事が興味深かった。
その内容はオシム監督の元でコーチをしていた小倉さん(現東京ベルディのヘッドコーチ)が、あるときオシム監督から「選手に指示を出すな。選手が下手になる」と怒られたというもの。
サッカーは常に局面が変わる。「ボールをどう運ぶか」を考えて、「自分のポジションをどこに置けばよいのか」を実行し、常に仲間とコンタクトを取っていくスポーツである。
そして、選手がミスをする理由は、「選択肢が一つしかなくてその判断を相手に潰されたから」「選択肢が多くて判断が遅れたから」「選択肢が多くてギリギリまで見極めようとしてたから」の3つがあると言う。コーチが「この場面はこう動けばいい」と、状況がわからないままで、すべて一緒くたに指示を出すと、「選手の創造性が失われてしまう」というのが、小倉さんが怒られた理由だった。
ビジネスに置き換えれば……。上司は部下に対してあれこれ言ってマイクロマネジメントをしたがるけれど、部下に裁量を持たせて信頼する方が、色々な可能性が出てくる、という訳である。自分で考えて試してみないことには……。失敗もできないし、経験値も貯まらない。指示を待つだけの人間が出来上がってしまうのだ。
この「指示を出さない」というのは難しい。僕自身も自分の子どもに「こうしたらいいんじゃない?」とか「なんで?」と聞かれたら、ある程度「こうなんじゃないかな?」と解答に近いモノを言ってしまったり。構造的に「指示をもらう」という関係性になっているからだ。
で、それに対してもオシム監督は答えている。
この話を聞いて、受け止めて。そして、選択を絞ってあげること。これは人生で何か物事を進める上でも重要な気がするのだ。
何せ、今の時代は選択肢が無限に提示されている。「こうでなければならない」という呪縛は随分と少なくなったけれど、それが故に迷ってしまい時間切れを迎えて不本意な選択になっているケースはないだろうか。
絞るにしても、タイムパフォーマンス、タイムパフォーマンスを求めて、「早く行く」ことだけに特化してはいないだろうか、と思うのだ。
様々な選択があるからこそ「どれをどう選ぶか」という自身の内省も大事。そして、自分の中にあるものを誰か相手にぶつけて意見をもらいながら、「コレは自分が決めた」という自己決定感を持つこと。この、自分で決めるという行為が幸福感や充実感を高めてくれる。一連の流れが人生のコマを進める上でも必要な気がするのだ。