見出し画像

他人と生きるおもしろさ

結婚して4年。
他人と生きるというのは、非常に面白く、豊かなことだなぁと感じる。

さて、今回は旦那さんとの日常を通して、「段取り」へのこだわりを見つけた。という話をしたいと思う。
  
色んなタイプ診断をやると、私のタイプの特徴に段取りを気にするってことが書かれてることが多い。
今までは、(たしかに大事にしてるけど他の人もそれくらい思ってるでしょ?)と受け流していたのだが、(あ、私って人より段取りについてめっっちゃ気になるんだな。)ってことを体感した。

例えば、根回ししてコンセンサスを取って進めていたものが、途中で変更や思わぬ方向にいったときにこみ上げるムカムカ的なもの。
例えば、段取りばっちし!と思っていたことが、ばっちしいかなくて、とてつもなく悲しい気持ちになること。
例えば、人の仕事を見ていて段取り不十分なことにそわそわしてしまうこと。

これは日常よくある、わたしの中の感情の動きである。
  
適応性も高いので、いきあたりばっちり!的な状況も好きなんだけど、こと仕事となると最上志向が働き、完璧に進めたいという段取りへのこだわりが出てくる。共感性も相まって、相手への配慮、気遣い、段取り、は人一倍気にかけているんだと思う。

旦那さんと、お弁当と、わたし 

ほんと笑い話なのだけど、先日旦那さんにお弁当を用意した。(週に1.2回、自分の分を作るときに一緒に作る。)

時々、箸を忘れたり、おかずだけ持ってご飯を忘れたり、なんならお弁当ごと忘れて行ったりする。

【お弁当を忘れずに持っていく】ためにPDCAを回した結果、お弁当が必要かどうか確認の上お弁当を用意し、朝はお弁当を見えるところに置いておき(もちろん、ごはんもお箸も用意して)、出がけに「お弁当忘れないようにね!」と声をかけ、できる限りのことすべてをやって家を出た。

ここまでの私の段取りは完璧だった。

***

12時に届いたLINE。
そこには「お弁当を家に忘れました。」
と、なぜ?と思われる一文が書かれていた。

家を出るのが少し先だったようで、お弁当を冷蔵庫へ入れ戻し、そのまま忘れてきたらしい。「夜たべます。」と書かれた一文に、妙に悔しさがこみ上げてきた

お弁当を忘れたからと言ってランチ難民になるわけでもない。私が困るわけでもない。夜食べるって言ってるんだから、別に対して気にしなくてもいいことだ。

だけど、

だけど、かなしいんだ!!!わたしは!!!

 

旦那さんからの弁解の言葉を読みながら内省をした。

おいしかったよ、の見返りを求めていたのか?(内省の声)
もっと無償の愛でお弁当を用意しなければならないのか?(内省の声)
用意した手間が台無しと感じたのか?(内省の声)

いや、いや、違う。
そうじゃない。

私の段取りが泡にとなって消え、結果に結びつかなかったことが、とても悲しいんだ。

ということに気が付いた。

 

何のための段取りか?
それは、結果を出すための段取りなのだ。そこに、私の仕事のこだわりやプライドがあるんだ、と思った。
人がそれほどそこに強い想いがあるかどうかは分からないけれど、多分、たぶん、人より段取りというものが琴線に触れやすい。
そんなことを感じた出来事だった。

ちなみに社内で共有したところ、様々な声をもらった。旦那さん側の声、妻側の声、独身の声。

最も的確な改善策としてアドバイスをくれたこの案を、今後我が家にもとりいれていこうと思う。

今日も大切な気付きを与えてくれた旦那さんに感謝である。