心の底からの『有難う』を最後に言ったのはいつの日か(後編)
「ありがとう」を言って泣き、「ありがとう」を言われて泣いた。
いつも発してる5文字の言葉が、
いつもとは違う特別な言葉だと気づかされたエピソードの後編です。
▼前編はこちら
心の底からの『有難う』を最後に言ったのはいつの日か(前編)
挨拶の「ありがとう」、言葉にならない「有難う」
前回の記事に、
毎日「ありがとう」って言葉を使っているけど、肚の底からの有難うを最後に言ったのはいつの日か。
みなさんは覚えていますか?
私は今回の件を通して体感した、身体から湧き上がってきた感覚を忘れずにいたいと強く思います。身体を通して出てきた言葉だから宿るエネルギーがあったと思います。
と書きました。それからも依然として「ありがとう」という言葉はよく使っていたのですが、そこへの気持ちの乗せ方・込め方は少し意識するようになっていました。
本文中では、通常の「ありがとう」と、言葉にならない「有難う」を区別して使いたいと思います。
今にもどうにかなってしまいそうな友人からのLINE
久しぶりに届いた友人からの連絡は、人の生き死に関わるとてもヘビーな内容でした。
詳細は伏せますが、友人の身に起こった事実、つらい心境、やる気も気力もでないけれども、行動を起こさなければならない現実、が綴られていました。
友人の置かれている状況は、どれ一つとっても私が体験したことのないことだらけ。共感性の資質が強いとはいえ、友人の気持ちを心底わかってあげることなんてできない内容でした。
簡単に「わかるよ」なんて言ったら、相手に失礼になるとも思いました。
だけど友人は私を選んで状況を告白し、アドバイスや相談を求めてきてくれている。私のできることは何なのか。何を返せばいいのか。
思い悩みました。
理解はできないが想像はできる
想像力、というのは人間に与えられた素晴らしい道具だと思っています。
相手の気持ちを100%理解することはできなくても、友人の中にどういう思いが渦巻いてるか想像することはできると思いました。私の立場を脇に置き、文面から伝わってくる”友人の本音”をキャッチすることに集中しました。
つらいと感じていることに寄り添う。
揺れ動く心・葛藤の中にある本音を言語化する。
不安の源泉を見つめて、取り除ける方法を一緒に探す。
友人の言動の中で肯定的に受け取れることを、客観的に素敵だと伝える。
常々感じている友人の個性・尊敬できるところを、本音の言葉で伝える。
こんなとき、
何もできない自分が悔しい。と思ったり、
自分は毎日不自由なく暮らせているのに相手は…。と思う人もいるかもしれません。
だけど、私はそう思うことに意味がないと思います。
目の前でおぼれてる子供がいたとして、「私は陸の上にいて平気なのにあの子はおぼれててかわいそう」なんて考えるでしょうか。いや、無意識で助ける方法を探すと思うのです。
何もできないかもしれないけど、友人が心底困って頼ってきている。
つらい時に頼れない、嬉しい時に一緒に祝えない、そんな関係を友人とは呼びません。
感謝を伝えたいのに上手い言葉が見つからないや。
何回かのやり取りののち、この言葉をもらいました。
かなえの言葉に涙しか出てこない。
感謝を伝えたいのに上手い言葉が見つからないや。
(中略)
ありがとう。
(あ。その気持ちならわかるよ。つい先日、職人さんへの電話で感じた感情と一緒のやつだ。)
と、その瞬間、言葉にならない感情が伝わってきて、涙がこみ上げました。
友人もきっと、身体の奥底からぐわわーって言葉にならない感情が湧き出してきていたと思います。
有難うの瞬間、その人も相手も救われている
数週間の内に『有難う』を言う側にも、言われる側にも立つ経験をしました。そして分かったことがあります。
身体の奥底から湧き上がってくる感情を吟味して『有難う』を言葉にできたとき。言った人はその瞬間に心が軽くなって浄化され、救われます。自分の奥底にある”尊い何か”に触れるような感覚になると言っても過言ではありません。
おそらく友人も、最初の鬱々とした状態から、別の感情が沸き起こり、温かい何かに触れて、ちょっとだけ流れる空気が変わったんじゃないかと想像します。
『有難う』を言われる方も救われます。元来人は相手に喜んでもらうことが好きな生き物です。小さな赤ちゃんも、お母さんに笑顔になってもらいたくて笑ったりします。人から嫌われたい!と思ってる人に出会ったこともありません。
喜んでもらえる存在で居れた、という”瞬間”に、私たちは満足感を得ることができるのだと思います。
心を救う。ということなのかもしれない
私は、「心底しんどい時に、仕事も心も助けてくれた職人さんたち。」に救われました。
友人も、心底しんどい時に、私を頼ってくれてありがとうの言葉を返してくれました。
このご時世、豊かになる準備はもう十分整っているはずです。
雨風を凌ぐことに困って生活するような住空間ではありません。
火おこしに精を出さなきゃいけないようなサバイバル生活でもありません。
知らない人に囲まれて生きなきゃならない隔たりのある社会でもありません。
今より少しだけ、誰かの心に寄り添うやさしさを持ったり、自分の心を救ってもらう勇気を持てたら、『有難う』と共に最上級のエネルギーが循環していくような気がしています。