道は用意されている
自分がどんな人生を歩むのか、なんて
実は探さなくても思うままに生きていたら
その道が目の前にあることに気づく。
逆に思うままに生きてないと、目の前にある道にさえ気づかない。
周りと同じにしようとしたり、
周りから言われたことを、違和感を感じながらもその通りにしたり、
世の中の一般的、と言われている意見に
同調していると、見えなくなる。
誰かの言う通りに生きたり
自分を否定しすぎたり
人と違うことを恐れると
道は見えなくなる。
たとえダラダラと過ごしても、何も生産できてなくても
好きなことばかりやっていても、必ず道は目の前にある。
「好き」は、最大のヒント。
好きなことを、目の前にあることを必死でやっていたら、次の扉が開いていた、と私は自分の人生を振り返る時、そう思っている。
3歳の頃に見た、初めての外国人の人が話している言葉が、なんの言葉なのかもわかっていないのに、「かっこいい」と思ったところから、海外と英語への興味がはじまった。
小学生で英語を習い始め、それが高校でのアメリカ留学につながった。
たまたま転校した学校が音楽が盛んな学校で、担任となった先生が小学校では珍しい、
吹奏楽部の顧問で、その先生の音楽の授業を参観した母が「リズム」の素晴らしさに感動し、習い事熱が高まっていた私に「ドラムはどう?」と言い、紹介していただいたドラムの先生のところに通い始めたのが、小学校4年生。
英語とドラムの両立をし、大学で上京しデビュー寸前のバンドを、「自分はなんか違う」というすごく曖昧な違和感を信じ、抜ける。
英語しか残っていないので、それを活かせる仕事として客室乗務員になる。
とても受身的な感じがするが、おそらく道は用意されていてそれに従って生きてきたのだと思う。
ただ大事なことは、「好きだ」と思ったら、すぐに行動してみること。
時間が経つと、あの「好き」と言う気持ちが消えてしまったり、薄れてしまう。
せっかく用意されている道があるのだから、進んでいけばいいだけなのに。
疑い深い人は、もしかすると「それが用意された道だって、なんでわかるの?」と思うかもしれない。
でも、歩いていたら「やっぱりこれが用意されている道なんだ」と実感するし、もし「なんか違ったかも」と思っても、それは用意された道に気づくために通らないといけない道だったりする。
目的地に行く途中で、どうしてもそのデコボコとした道を通らないといけないことが、普通の道路でもあるように。
私は、最近は気になったことはすぐにやってみるようにしている。
ほぼ考えずに
行きたい
やってみたい
食べたい
買いたい
と思うままに行動している。
すると自分にとって目が覚めるような出来事や、人に出会うようになった。
逆に自分の価値を教えてもらえたり、気づいたりした。
そして今自分の目の前に、道があることに気づいた。
歩み始めたばかりだが、確実に行動だけはしているところだ。