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セザンヌ

一ヶ月ほど前、集英社のセザンヌの画集を見た。それからさまざまな出来事を経て、ようやくこの文を綴る。

1.セザンヌって?

 予備校に通うようになって以来、さまざまな人の口から「セザンヌはすごい」とこぼれでるのを耳にしてきた。その度にセザンヌの「すごさ」なるものを知らない自分に嫌悪感を覚えたし、自分の知らない何かを知っている人に対して、憎いとすら感じたし、疑った。そしてひどく傷つき、同時に疎外感すら感じた。(まぁ、数多くの彼/彼女らが本当に自分の経験と感覚、感情を基にそう言っていたかは定かではないが。)

 「近代絵画の父」と称されるほどの画家セザンヌに関して自分は懐疑的だったし、解釈することができなかった。『セザンヌと過ごした時間』という映画は見たことがある。それくらい。

2.契機

 いま、ここで、雄大かつ寛大で、自分を優しく包み込もうとする”それ”と邂逅した瞬間の一回性。救済されるような、いや、一切から一度解き放たれるような言語化が困難な感覚を覚える。どんなに近距離に感じられても”それ”に近づくことはできない。兎にも角にも、あれだ。「ぶわぁぁ」※1「ふぅぉぉ」ってやつ。「ごぉぉぉ」かもしれないし「すぅぅぅ」かも。人の数だけ沢山あると思う。自分の友人は「ぶわぁぁ」だった。最初訳分からなかったけど。これらは、謂わば感動というものかもしれないが、そんな一単語で集約できるようなものでもない。

 そして、そういった「ぶわぁぁ」を発している絵画は湿度や音、匂い、気温、視界、記憶、感情すら誘発して感じられる。共感すら覚える。そういう絵画はやばい。とても真似できないし、真似しようとすることがすでに恐れ多い。畏敬の念すら湧いてくる。

 7月末、自分は岐阜県中津川市で思いがけず”それ”に邂逅し、久しぶりにドローイングでもしようと鉛筆を手にクロッキー帳を開いた。”それ”と向き合う。しかし、いつまで経っても、手は動かせず、やがてドローイングは諦めることにした。”それ”から感じるものがあまりにも多く、自分の主観的解釈のキャパシティを遥かに越えており、平面に再構築することができなかった。怖かった。頭をよぎったのはセザンヌの絵画だった。

3.セザンヌの絵画

 一度は感じたことがあるだろう。”それ”を前に、いま、ここで感じた「ぶわぁぁ」をカメラを手に、写真として納めたものの、自分が感じた「ぶわぁぁ」が消失していたことを。または、描画において映像的な再現を行う際、主観的解釈を通し、”それ”から感じた「ぶわぁぁ」を少しでも絵画に再構築させようと試みた時、いくら映像的な再現度の高さを上げても限界があることを。そこには死んだ”それ”が表象されるのみで、空虚であることを。

 セザンヌは”それ”※2を客観的に再現しようと試みることは勿論、映像的な再現度の高さではなく、”それ”を自分の主観的解釈の領域にまで持ち込み、平面へ絵画的な秩序をもって”それ”の「ぶわぁぁ」を再構築している。また、それらを可能にするのはセザンヌの並みではない”それ”への厳粛な態度であり、精神性であり、それと同時に色面と色彩、筆触によるものである。さらにいえば、絵画として再構築する際の、平面上での構成(実際の形よりデフォルメすることも含む。)や、構図の選択がそれらを堅牢にまとめ上げている。

サント・ヴィクトワール山 1885~1887年 キャンバスに油彩
サント・ヴィクトワール山 部分拡大

下層の露出、際の操作、特有の斜めの筆触、絵具ののせ方、画家の呼吸と生命力を誘発する枝の線。
熟慮された構成。
プロヴァンスの山 1886~1890年 キャンバスに油彩

4.与えた影響

 また、30-50年代に最も活躍し、セザンヌから多大なる影響を受けた洋画家の安井曾太郎は滞欧中にセザンヌの絵画に感心する。日本への帰途、セザンヌの故郷エクス・アン・プロヴァンスに寄り、彼の描く郷里の自然が絵画の通りであることに再び感心する。しかし、実地の調査によれば、絵画と実際のエクスの自然とでは一致しないようである。後に安井が『写実とセザンヌの絵』と題する文では、「生き生きとした自然そのものを画面に現すには、どうしても必要なだけの変形や、強調や省略が入用だと思います。」と述べている。
 重ねて述べるが、このことからもセザンヌは”それ”を”それ”という自分の観念で見ようとせず、論理的で厳粛な主観的解釈を極限まで深掘りし、”それ”から感じる「ぶわぁぁ」をそのまま平面に再構築しようと試みたのだ。その際に、所謂デフォルメや省略、強調が行われた上でそれらは秩序だてられ、平面に再構成される。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである。

ポール・セザンヌ

偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに。

ポール・セザンヌ

眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです。

ポール・セザンヌ

 セザンヌの平面上での図形的な色面を構成する意識の表れとして、

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。

ポール・セザンヌ

という有名な言葉があるが、セザンヌが本当にエクスの自然を円筒や球形などの図形的色面で描くことはなかった。しかし、本当にそれを成し遂げてしまうのはパブロ・ピカソジョルジュ・ブラックをはじめとするセザンヌから多大な影響を受けた、後のキュビズムの画家たちである。

5.さいごに

 今まで、自分の”それ”に向き合う態度がいかに浅いものであったかがよく分かる。今後、何かしらの形で変革が起きるといいなと感じた。新美に戻るまで、一ヶ月を切ったが、残りの期間でさらに色々な芸術を感じたい。即効的な変革がないにしろ、多様な芸術を身に入れることは自分の視野が拡がることだと信じたい。

※1 「ぶわぁぁ」を形容するのにアウラが一番近しいと思う。のだが、いまいちアウラについて解釈が深まっていないので「ぶわぁぁ」で通すことにする。それにその方がバカっぽくて感覚的な気がする。

※2 尤もセザンヌは肖像画や静物画、晩年には水浴画など多岐にわたる制作を行っているが、今回の文のセザンヌにおける”それ”とは最も関心を寄せていた自然である。

[8月15日追記]
先日、アーティゾン美術館の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」に行ってきた。入場早々に「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」に遭遇した。その時点でもう鳥肌が立ってしまった。よかった。画集から受ける印象とは全く違った。”それ”が在る気がした。そういえば集英社の画集にはブリヂストン美術館所蔵と明記されており、なるほど、アーティゾン美術館が2019年に改名する以前の館名だ。

サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1898〜1900年 キャンバスに油彩
加えて、驚くべき絵肌だった。キャンバスの地が露出している箇所もある。



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