母への手紙
こんにちは 日刊マガジン【書くンジャーズ】毎週金曜日担当のウエノです。
今週のテーマは【母への手紙】。
母への手紙なんぞ、恥ずかしくて書けるはずもなく、何を書こうかとても迷ってしまうテーマだ。
私とは干支が一緒でちょうどふた回り違う母は、今年で75歳になる。
気が付けば彼女はもう80に近い年になってしまったが、幸いにして大病もせず、元気に暮らしている。
母は私にとって空気のような存在で、実家に帰ればいつでも会える。
と思っているし、彼女の母、つまり私の祖母が100歳と長命だったので、彼女も恐らく長生きするのだろうと、寿命については楽観的に考えている。
ちょっとまて。
母とは、いったいあと何日会えるのだ?
最近、私は帰省する機会がとんと減っていて、彼女と会うのは多くても年に20日ぐらいなので、彼女が仮に100歳まで長生きしたとしても、彼女と会うのはせいぜいあと500日しかない。
私が生まれてから母と過ごした日数からすれば、はるかに少ない日数になってしまった。
これからは、実家へ戻る回数をもう少し増やした方がよさそうだ。
しかし、母を早くに無くしてしまった人には、会うことすら叶わない。
今月の日本経済新聞の「私の履歴書」は、放送作家の橋田寿賀子さんなのだが、橋田さんは、お母さまが亡くなられたのが65歳と、お母さまを早くに無くされている。
橋田さんは若いころ、過保護で過干渉なお母さまがあまり好きではなかったそうだ。
大阪の実家から勘当同然で飛び出したこともある橋田さん。
お母さまが亡くなられた後に、橋田さんの事を自慢の娘だと誇らしげに語っていたことを聞かされた橋田さんは、初めて声をあげて泣いたそうだ。
病室を片付けていたら、布団の下から、私を取り上げた雑誌のグラビアやインタビュー記事が出て来た。私の名前が共同脚本として印刷された「長崎の鐘」のポスターもあった。看護師さんや付添婦さんから「お母さんはお嬢さんの写真が載った雑誌や新聞をみんなに見せて自慢してはりましたよ」という話を聞いた。そのとき私は初めて声をあげて泣いた。
孝行したい時分に親はなし
昔の人はよく言ったものだ。
これからの人生で後悔せぬよう
帰省する際は母とゆっくり話すことにしよう。
「母さん、たまには話をしましょうか」
これが、私が送りたい母への手紙だ。