なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由②
こんにちは ウエノです。
今日は「なぜ、そこまでして歩くのか?僕が100キロを歩く理由」の2回目です。1回目を読まれてない方は、先にこちらをご覧ください。
110キロウォークとの出会い
ちょうどその頃、僕は再び転勤で福岡へ戻っていた。糸島での生活が始まり、ほどなく『糸島三都110キロウォーク』なるイベントが開催されているのを知った。
ウルトラマラソンを2年連続で走り自信があった僕は「山道を50キロも走ったんだから、余裕で歩けるよね」と、軽い気持ちで110キロウォークにエントリーしてしまった。
スタートした頃は、天気も良くピクニック気分で歩きだすが、30キロを過ぎたあたりから次第に足取りが重くなり、40キロを超えると一緒に参加した友達からも次第に遅れ出す。
脚の痛みに加えて、夕やみに包まれた田舎道をひとりぼっちで歩く孤独感に、段々と心が折れ始める。
それでも、なんとか中間の55キロ地点までたどり着いた。暫く休憩し2周目へと踏み出すが、少し動かしただけで脚に激痛が走る。
初マラソンのあとに3日間寝たきりで動けなかった記憶が脳裏に浮かびだした。
「このまま歩いたら、月曜日から仕事に行けなくなる」
僕の心は完全に折れ、最初の110キロウォークは55キロで終わった。
人を騙す脳
ところが、リタイアして1時間も経つと、脚の痛みがだんだん引いてきた。
翌朝には痛みがあるものの、普通に歩ける程度である。
あの痛みはどこへ消えたのか?
人間の脳は実に賢く出来ている。身体に深刻な影響が出るボーダーラインのかなり手前から痛みで警告を発していたのだ。
僕は自分の脳にまんまと騙されていた。
一夜明けた翌日、ゴールまで友達を応援に行った。ゴールした友達は達成感に満ち溢れていた。友達に限らずゴールした人たちは皆そうだ。マラソンを走った時のそれとは違う、もっと異次元の達成感に満ち溢れている人たちばかりだった。
脳に騙されてリタイアしてしまった自分が、本当に情けなくて悔しかった。
次回に続きます。