【花火葬】花火の歴史と「死」のお話
花火葬の実現に向けて奮闘しております、ビレッジマンズ株式会社(旧社名:ユニークエンディング株式会社)です。
先日、「花火葬」ってどんなの?って事を書きました。まだ見ていない方はこちらを見てみてください。
今日は、日本が世界に誇る文化「花火」と「死」に関しての記事です。
日本の花火は世界一美しい
以前インドはニューデリーに出向いた際に、結婚式が行われていまして、インドでは派手にやるんですね。花火を打ち上げるんです。まあしかし、その形がひどいwぐちゃぐちゃというか、ただの爆発ですw
その点日本の花火は本当に美しい。日本の花火って球状ですよね?あれ、どの角度から見てもそうなんですよ!球体の花火玉の中に「星」と呼ばれる、有色発光する火薬が規則的に並べられていて、これで美しい開花の模様をつけるわけです。導火線に火をつけると、花火の中央部にある「割火薬」に火が移り爆発します。それでもって、星が四方八方に飛び散り、あの「どこから見ても球体の艶やかな大輪の花火が開花」するんです。あー、素敵。
っとまあ、止まらなくなっちゃうんでこの辺でw
僕はこの花火を用いた葬送、「花火葬」を新しい日本の文化にしていきます!って言って頑張っているわけですが、必ずと言って良いほどこんなツッコミを受けます。
「そんな事、やって良いの?」
気持ちは分からなく無いですがw
なので今日は
「花火の持つ本来の「弔い」の意味から、花火葬って歴史的にも意外と理にかなっているんだよ。つまり花火葬実施して良いんだよ!」
って言う話をしたいと思います。
花火の起源って、日本じゃない!
夏にバンバン打ち上げる花火。夏の風物詩として、僕たちのテンションを毎年あげてくれます。毎年本当にありがとう。
日本的な文化かと思いきや、観賞用花火を世界で最初に打ち上げたのは13世紀ころのイタリアはフィレンツェなんです。当時は、武器として用いられていた火薬(主に中国で使われていました)ですが、なんたら商人によってヨーロッパに輸入されます(たしかアラビア商人)。当時は、王様が見栄で打ち上げていたそうですよ。
その後16~17世紀と時代が進むにつれ、ヨーロッパ全土にわたり、権力の誇示のみならず、結婚式や誕生日などの王室の祝い事の際に打ち上げられるようになりました。
日本における花火の歴史は徳川家から
同時期にヨーロッパから、鉄砲と共に花火が伝わりました。この時の将軍が徳川家康です(伊達政宗が最初という説もありますが、、、)。当時、家康に花火を見せたのはイギリス人の商人でしたが家康は大変感銘を受けたそうです。その後、愛知県中心に花火の生産が盛んになり、三河が「花火の発祥の地」と言われるようになります。
江戸で花火がめっちゃ流行る
花火の歴史として、当初は王様の贅沢品として栄えましたが、3代将軍徳川家光が力を入れて花火を生産した結果、宮城県仙台市、茨城県水戸市等にも花火が広がり、庶民でも花火を手軽に楽しめるようになりました。
そうすると、無茶する人も出てきます。んで、事故や火事が多発して大変になったそうですwでも、禁止されてもこっそり楽しむ人が後を絶たなかったそうですよ。それぐらい、歴史的に見ても花火は日本人の感性と親和性が高いことが分かりますね。
ぼくも、父ちゃんが花火を買ってくれた時は、手持ち花火ですらめちゃめちゃわくわくした記憶があります。皆さんもそうなのでは?
隅田川花火大会と「死」の関係
日本で最初に行われた花火大会が、「隅田川花火大会」です。実はこれ、最近呼ばれるようになったもので、当時は「両国の川開き」と呼ばれていて、昭和30年代から50年代にかけて実施されていなかったものが、隅田川花火大会と名前を変えて、再び実施されるようになったそうですよ。
隅田川花火大会はなぜ行われるようになったのか?それには、こんな歴史があります。
隅田川花火大会
歴史的記録の残るものは両国の花火が最古となっています。江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し国勢に多大な被害と影響を与えました。
幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました。この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げたことが「両国の川開き」の由来とされています。
引用:隅田川花火大会公式HPから
当時の日本は「贅沢が敵」みたいな風潮がありまして、大飢饉や疫病が流行していたといいます。そんな暗い世の中の風潮を一掃すべく「鎮魂」の意味を込めて花火を打ち上げたそうですよ。なので慣習的に、花火大会は「お盆」の時期に行われるわけです。(冬の花火、すごくきれいですよ!)
隅田川花火大会の発展に寄与した二大立役者
ちなみに、打ち上げ花火を見て「玉屋ぁー!」とか「鍵屋ぁー!」って合いの手打ちますよね?あれ、なんでだかわかります?
「鍵屋」と書きまして、日本で最も古い花火業者となります。350年くらい前からあります。実は当初、上記の隅田川花火大会は鍵屋が打ち上げを担当していたそうですよ。また、同時期に8代目鍵屋番頭の清七は腕の良さを買われ、のれん分けみたいな形で「玉屋」を創設します。
そこからが男のロマンっす。隅田川花火大会では上流を玉屋が、下流を鍵屋で交互に花火を上げて競い合うようになりました。そん時観客は?と言うと、素敵だぜ!と思った方の屋号を声高に呼びました。
「鍵屋」「玉屋」っていう合いの手の由来です。もうかっこよすぎる、、、
ちなみに玉屋はその後、鍵屋よりも人気が高くなってきました。これが玉屋の方がポピュラーな理由なんじゃないかな?って思います。その後、玉屋は花火が原因の大火事を起こし、一代で廃業となってしまいますが、今現代においても「玉屋ぁー!」の合いの手は根強く残っております。
打ち上げ花火を見て僕の名前を叫んでほしい
以上のルーツをたどると、こんな文化になるんじゃないかなって思います。毎年打ちあがる花火を見て故人を偲ぶ。めちゃめちゃ素敵な文化になると思います。
弔いの意味合いが強い花火。これをしっかりと後世に伝えて行くために「花火葬」を新しい文化にしていきます。