空きコマ

高校教師というのは、平均的に週16回の授業を任されている。

本校の場合、生徒は1日に6つの授業、つまり一週間で30コマの授業を受けることになっている。

教師の目線で一週間を見ると、だいたい14コマの「空きコマ」が発生することになる。時間にしておよそ14時間である。

この14時間を使って16回分の授業の準備を行うのが理想的な形なのだが、現代日本においてそのようなシステムは構築されていない。

あまりにも余裕がない。

その理由をここに記そう。

まず、学校運営は教師が担っている、という事実を知っていただきたい。

生徒目線で学校の一年を追っていくだけでも、色々な行事が計画されていることがわかる。思いつくままに列挙してみよう。

始業式、終業式、ゴールデンウィーク中の課題、学期中間考査、学期末考査、夏休み・冬休み中の補習や補講が目立つところである。あとは、部活動で顔を出す程度だろうか。

しかし、教師の立場から学校運営を俯瞰すると、恐ろしい業務量となる。

学校が学校らしくあるためには、それ相応の業務が必要だ。

法的に言えば、これは校長がその全てを担うことになっているのだが、一人で学校を運営するのは物理的に不可能である。

そこで校長は各教諭に対して「あれこれという業務をやってください」と命令を出すことになる。

例えば教科教育(授業)がそのひとつだ。

では、授業の他に何があるのか。

教務、進路指導、保健衛生管理、生徒指導などが簡単な例だ。

教務は授業編成を担っている。いつからいつまではこのような時間割で授業を展開しますとか、授業の回数はいくつなので調整して午前中だけ特殊な時間割にしますとか、行事はこれこれという扱いで実施しますとか。大雑把に言って、骨組みを作っている仕事だと思って良い。

進路指導は学校によってその業務量が異なる。進学校では、模試の実施が任されたり、各種講演会の準備をしたりする。また、受験情報誌各種を発注して各クラスに配布するのも、この仕事である。

保健衛生管理というのは説明が難しい。わかりやすいものを例に挙げれば、放課後の掃除の割り振りがそれにあたる。掃除用具が足りなくなれば、新しいものを出して在庫を補充する。

生徒指導は、生徒が問題行動を起こしたときに活躍する。また、不登校や学習に困難を抱える生徒の相談も受け持っていることがある。近年では、いじめに関するアンケートやSNSアプリの利用に関連する講演会が実施されているが、それらを企画運営するのが仕事である。

これらは分掌と言われる。

他にも学校によって委員会が設けられており、防災から生徒会運営、学習サポートまで担当する部署が存在する。

この他、もちろん、部活動の顧問というボランティア業務が待っている。

生徒が学校で生活する上で必要と思われるものは、昭和後期の教師団によって、全ての分野をカバーできるだけの体制が整えられてきた。

ゆえに、苦しめられることになる。

この令和において、新人高校教師の募集は激減しており、最も雇用が多かった時期に比べると、募集枠は10分の1以下となってしまった。

つまり、ゆくゆくは、以前の10分の1以下の人員で、同じだけの質と量を保った教育が求められる。


不可能だ。

Aの眉間のシワは、ここ数年で一段と深くなった。

彼と同じくして教員に採用された仲間は、わずか20名にも満たない。そのうち「一生教師としてやっていきます」と宣言する者はわずか数名で、残る大多数は、いつか教師を辞めてしまおうと考えていた。Aもその一人だった。

当初は、これで一生食っていくのだと思っていた。

生徒が成長し、高校という過保護な環境から解き放たれ、やがては自身の生活を自らの力でコントロールし、自律していく。そんな彼らの後ろ姿を見守る優しい教師を夢見て憧れていた。

現実は、厳しかった。

生徒は学びにきているわけではない。

ただ、義務教育から追い出された惰性のまま高校へ入学してくるのだ。そこに「学びたい」という意思はない。むしろ、健全なものは「殺してくれ」と訴えてくる。

教師は、反抗せず、与えられた仕事を忠実にこなす、自覚なき家畜を育て上げ、出荷する業者にすぎなかった。

Aは教育の凄まじさを身体に焼きつけた。これが、教育である。良い授業を届けようと努力した。

週14時間ある空きコマは分掌業務や部活動に圧迫された。朝は8時までに出勤し、昼休みは生徒の質問対応で食事もままならず、放課後は会議で潰れた。会議のない日は部活の指導にまわった。業務も学校にいる間だけでは終わらず、データだけ持ち帰り、実質残業のようなことを毎日のように続けた。土日の多くは部活や模試監督などの業務で消えていった。

日付が変わったあたりで、次の日の授業の準備ができていないことに気づく。30分程度で話題にストーリー性を持たせ、あとはアドリブで誤魔化すしかない。まともな準備ができないまま、授業に臨むことなど日常茶飯事だった。

悔しかった。

こんな教師にだけはなりたくない、という消極的な誓いは、わずか半年でやぶれた。

新しく身につく技術も少ない。専門的な知識の全ては、消費される運命だった。

Aには妻と、1才になる娘がいた。

妻は精神的に不安定だったが、子供の世話をたった一人で完結していた。Aは簡単な家事や育児に参加したが、それも家にいる数時間では、参加ではなく、体験でしかなかった。

平日・休日に3時間も一緒に過ごせれば幸せだった。

持ち帰り業務がある。

現実は1時間未満だ。

一週間では7時間、一ヶ月では21時間。

休日を家族と過ごせる家庭が羨ましかった。一ヶ月に10日の休みが与えられていれば、一日2時間も過ごせば、自分と同じだけの家族の時間が得られる。

不公平だと思った。

我々教員は、社会の奉仕者である、と教育された。

自己犠牲の精神を植え付けられたのだ。

Aにはそれが悔しかった。

Aは空きコマを確実に授業準備に充てるため、教科指導以外の仕事を極力断る決意をした。

それは、多くの同僚の首を締める行為だった。

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