曲者
どうしたって、人の不幸は嫌いじゃないのだ。幸福や安定は尊いけれど、あくびが出ちゃう。歩いている人を応援するより、転ばせるほうが楽しい。みんながしずかなところで舌を出す。変な博物館に入ってはにかんでいる。そんな生き方も少しずつ、似合うかたちになってきた。細くまがったからだを引きずって、次の穴凹を探している。
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職場には、高齢者のデイサービスが併設されている。畑仕事や献立づくりを、にこにこと手伝ってくれる彼らは、一見好々爺にしか見えないが、共有ファイルには、彼らの家庭内暴力や、施設内暴言などの記録がつづられている。得てして曲者は、分かりやすい顔をしておらず、分厚い鱗の中には、赤黒い襞々(ひだひだ)が蠢いている。その表面を撫でながらも、血管の存在を探っていくのが、人を見るということなのだ。
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自分の弱みを上手に使う人がいる。障害や病気を建前に、本来やるべきことをやらないことは、善ではないとあえて伝える。二枚に分かれた舌を器用に動かすことばかり覚えても、誤魔化しのきかないライオンに何ができるか。そんな生き方を選ぼうとする彼らに、そして自分に、笑顔で毒を吐くことからはじめていく。悪者に思われても、傷を厭わないということが、人に優しくするということなのだ。
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それでもどうしたって、人の弱さは嫌いじゃないのだ。正論や誠実はかっこいいけれど、むずがゆくなる。背筋の良い人より、猫背の人と友達になりたい。みんなが笑っているところでとぐろを巻く。幸せそうなカップルを見て真顔になる。こんな生き方も少しずつ、受け入れるかたちになってきた。細く曲がったからだをくねらせて、醜くかわいい血管を太くしていく。