日本の歴史(中世(鎌倉時代~安土桃山時代))
お疲れ様です。
前回は古代(飛鳥時代~平安時代)をまとめて、今回はいよいよ武士の時代である中世を追いかけていきます。古代のあらすじを簡単におさらいしてから本題に入ろうと思います。宜しくお願いします。
・古代(飛鳥時代~平安時代)のおさらい
国内ではヤマト政権が勢力を拡大していて、日本よりも先進国だった中国(隋・唐)から仏教や律令制度といった考えを取り入れて天皇を中心とした中央集権的な国家造りを進めていきました。ところが律令制が上手くいかず朝廷が手をこまねいていたところ力を付けた貴族が政権を握り、今度はその貴族の護衛に過ぎなかった武士達が力を付けて徐々に実権を握っていくといった流れでした。
・鎌倉時代
平安時代の源平合戦で勝利した源氏の頭首・源頼朝が征夷大将軍に任命され鎌倉に日本初の幕府を開きます。(朝廷からすると治安維持の為の軍事組織的な位置づけでした。)この武家政権である鎌倉幕府が京都の朝廷と並び立つようになります。やがて、幕府の権力が朝廷を凌ぐ様になり武士が日本の政治を支配する時代が続きます。
鎌倉幕府は、源氏は3代しか続かず、その後は御家人だった北条氏が執権という立場で実権を握りました。
この時代で面白いのが鎌倉仏教といった新仏教が台頭し民衆に広がったことです。(浄土宗系・日蓮宗系・禅宗系と花開いていきます。)
暫く安定した時代が続きますが、外圧によって綻びが生じます。元寇です。世界を震撼させた巨大なモンゴル帝国・元が2度も攻めてきたのです。御家人たちは何とかこれを防ぎましたが、幕府と御家人の関係は御恩と奉公、幕府からの御恩(土地)が受けられず御家人の生活は苦しくなっていきます。
そんな中、京都で後醍醐天皇が倒幕計画を立てており、幕府は御家人・足利尊氏に鎮静に向かわせましたが、まさかの裏切りで尊氏は天皇側につき鎌倉幕府は滅亡します。
・室町時代
後醍醐天皇を中心に天皇が一時的に政権を握りましたが(建武の新政)、武士達の反感を買い、その武士達の先頭に足利尊氏が立つという不思議な立ち回りで室町幕府を開きます。ただ乱世は続きます。朝廷が南北に分かれて長い抗争があり(南北朝時代)鎮静化した後、しばらくは日明貿易を行ったりと文化が開いて安定しますが、やがて将軍争いによる応仁の乱が発生します。その後、国の秩序が乱れていき各地で下剋上の風潮が強まり戦国時代へ突入します。
・戦国・安土桃山時代
全国各地で戦国大名たちが天下統一を目指して戦うようになり、戦国時代が幕を開けます。またこの時代は西洋諸国の「大航海時代」にあたり日本にもキリスト教(フランシスコ=ザビエル来日)や鉄砲が伝来して戦況を大きく変えていきます。
その様な時代の中から、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人たちが登場します。それぞれがどのようにして天下人たりえたかを見ていきます
・織田信長
岐阜を拠点に「天下布武」と称し武力で天下を握ろうとしていました。鉄砲を用いた戦いをし、敵対する寺院勢力等も構わず武力で鎮圧していました。経済の重要性を把握しており、楽市令(支配地の自由商売の特例許可)を出したり自治都市の堺を直接治めたりしました。しかし、その強硬政策の為に反感を買い最期は明智光秀の謀反による「本能寺の変」で亡くなります。
・豊臣秀吉
織田信長に仕え、主君亡き後すぐに敵討ちを果たし(明智光秀の討伐)後継者としての地位を確立しました。また朝廷の権威を利用(太政大臣に任命)してほとんど戦わずに天下統一を果たしました。秀吉の重要政策に「検知」(土地の所有関係の整理)と「刀狩」(兵農分離)が挙げられます。天下統一の目は海外にも向けられ朝鮮に出兵しますが苦戦・失敗の中、秀吉は亡くなります。
・徳川家康
三河の小大名の出身で織田信長とは同盟関係で、豊臣秀吉に従ってからは関東に領地を与えられ江戸の建設に力を入れていました。秀吉の生前から大名たちの対立があり、秀吉の死後に表面化し天下分け目の関ヶ原の戦いに発展します。東軍は徳川家康、西軍は石田三成を筆頭に争われ徳川家康の勝利で幕を閉じます。そして家康は征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開き江戸時代が幕開けしていきます。
・まとめ、考察
やっぱり、この時代の歴史は胸躍りますね。武士たちの時代。位に関係なく実力で成り上がる下剋上の世界。変な見方かもしれませんが、まるで漫画の物語の様で次々と歴史が展開されていき面白いです。
さて、そんな戦乱の世でしたが徳川家康という天才の采配によって安定した時代・江戸時代が訪れます。次回は江戸時代がどのように安定し終わりを迎えていったのかをまとめていきますのでお楽しみに。
最後まで読んで頂きありがとうございました。以下の資料を参考にさせて頂きました↓
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