ツアーガイドの思い出 第二話
人の記憶は曖昧だ。
なんとなく美化されたり、歪んだりする。
自分に都合のいいように海馬に仕舞われた映像に編集がかかり、都合のいいように解釈がされたりする。面白おかしい話はどんどん内容が盛られ、苦労や悲しみは痛みが時を経るにつれなんとなく和らいでゆき、大抵「あぁ〜あの頃は大変だったよねぇ〜」と笑って話せてしまうぐらいにはなる。
たとえ事実を書き留めておいたとしても、人が人である以上主観が入ることは避けられない。涼宮ハルヒの長門のように絶対的観測者のような存在でない限り、ありのままを記録し語るのは難しい。
それが悪いと言うわけではなく、人間、そんなものなのだ。それでいいのだ。
以前、「ディズニーは以前と比べて気軽に行けなくなった」という旨のつぶやきがXで多くの波紋をよんだらしい。
きっと発言された方は、今のディズニーの現状をニュースやネット記事などで知り、自分の記憶の引き出しの中にある、”かつての楽しかったディズニーのメモリー”を呼び起こし、ため息と共に荒削りに吐き出しつぶやいただけだろう。それ以上でも以下でもないと思う。
その時はその時で大変だったことも確かにあるはず。でもなんとなく、「あの頃は〜」と言いたくなる。わかる。わかり哲也である。
人間、そんなものだから。
人の曖昧な記憶に『主観を織り交ぜた”事実”』をわざわざ叩きつけるのはナンセンスだ。
だから、お取引先の方の発言に対して、ぼくは心で思うにとどめたのだ。
「ディズニーは今、そんな甘っちょろい場所じゃねぇんですよ!!!!!1」
全ては一瞬のきらめきのために。
最高の瞬間を切り取るために。
己の心を満たすために。
幸せになるために。
キラキラ写真を撮るために。
BerealやTikTokでカッコかわいく映るために。
意味もなく縫い目のような大量のストーリーをアップするために。
戦って、勝つ。
もはや舞浜は戦場である。1分1秒がその日1日の全てを左右する。
舞浜におけるレジャーは、もはや戦争である。
そんな血で血を洗うバトルフィールド・MAIHAMAに、ご家族で、久しく来訪されたことのない方々が(お子さんは初)、約10年以上前のディズニーの記憶を持って、「楽しくパークを満喫したいナ✨ピース✌️」とやってこられるワケである。
それは即ち、”死”を意味する。
「ここから先は入れないって。残念だね。」
ニュースで流れた、あの瞬間がフラッシュバックする。
アレの二の舞になりかねない。いや、確実になるだろう。
長年お付き合いのあるお取引先のご家族の皆さんに、あんな悲しく切ない思いはしていただきたくない。
どげんかせんといかん(※関東人です)。
「で、では、順を追ってご説明いたしますね〜〜〜!」
ぼくはまず、『主観を織り交ぜた”事実”』を、お取引先の社長に話さざるを得なかった。
ーつづくー