とある兵庫のセラピストの人生録。
こんにちは、上村啓です。 うえむです。
奈良県出身の33歳、現在は兵庫県で手と腕の専門セラピストとして歩み始めました。
これからnoteやSNSを通して、体のことや食事など、健康面に関することを中心に発信しようと思っているのですが、「そのまえにお前は何者だ」と思ってくださる方もおられるかもしれないので、先に自己紹介をしておこうと思い立ちました。
かなり長いです。お時間が許す方、よければ最後までお付き合い下さい。
【幼少期】
奈良県の片田舎で生まれたうえむは、このころからよく笑う男の子だったそうです。
共働きだったので保育園に預けられていましたが、友達も多く、割と楽しく園児LIFEを過ごしていました。
卒園直前に両親が離婚し、転園することが決まりましたが、何と保育園側から卒園式に一緒に出ないかとお誘いを頂き、引っ越したあとの幼稚園の卒園式の後に違う園の卒園式に参加するという前代未聞の事をやってのけました。
【小学校~中学校】
小学校は別世界でした。ランドセルを背負い、教科書を持って先生から勉強を教わる。
何やら授業という楽しい時間の間に休み時間があって、その時間は幼稚園の倍以上の広さの校庭で、自由に遊べる。給食も美味しいし、放課後に児童館で色んな学年の子と遊ぶのも楽しい。
なんだよ小学校って超楽しい!って思ってました。
でもそんな楽しい時間は続かず、3年生の頃からいじめを受けるようになります。
【いじめ】
女子の着替えを覗いた、と根も葉もない噂が立ったのです。
当然やっていませんが、相手は徒党を組んだ女子。1人では勝てません。
先生に相談したものの、気の所為だと言われてしまいます。親にも同じことを言われました。
#ホントにあるんですね
それからは何をするにも監視が着いているような感覚。
地面に絵や文字を書いていただけで、
「あれ私のことやろ?あんなふうに書かんといてくれる?」とか、「上村くんと同じ班は嫌だ」とか、隣が女子になったら席を離されるとか。毎日欠かさず何かがある。
中学生に上がると、墨かけられたりもしました。前を向けば気持ち悪がられ、目が合うと睨まれ、向くところがないので下向くしか無くなって、一部の女子に付けられたあだ名は「背後霊」、スキー合宿のときは、僕のことが嫌いな女子が担任にクラスのみんなの前で、上村くんとは行きたくないと直談判、
沖縄への修学旅行は怖くて行けませんでした。
怪我をさせられることはありませんでしたが、これでもかっていうくらい心をやられました。
ちなみに僕がいじめを受けていると母が気づいたのは、泣きながら修学旅行に行きたくないと直訴したからです。
高校に進学するとき、いじめっ子が一人もいないと知ったときは、生きててよかったと心の底から思いました。
【高校】
普通でした(笑)
【専門学校】
CGの専門学校に進学しました。友人にゲームを作るためにグラフィッカーになってくれと頼まれたからです。
進学費はアニキが出してくれました。
入学式の際、新入生代表で花束を頂きました💐
ぼくは超ヘタクソだったので、ヘタクソでグループを組んで頑張っていましたが、1人ずつ脱落していき、ついに僕一人が残りました。
それでもゲームを作りたい友人の希望を叶えるために、絶対卒業してやろうともがいておりましたか、アニキが詐欺にあい進級できず。学年末課題を提出してそのまま退学しました。
ゲームの話もお断りしました。
【妻との出会い】
それから1年ほど経ってから大阪で一人暮らしを始めます。当時はSNS→オフ会の流れの最盛期で、妻ともそれがきっかけで出会いました。
付き合って3年目で結婚。8年の結婚生活で2人の子どもにも恵まれ、幸せなはずなんですが、この間も色んなことが怒ります
【兄の死】
3年前、兄が他界しました。自殺だったそうです。遺書がないので真相はわかりませんが、恐らく後述する母の振る舞いが一端を担っていたのだと思います。
【両親との絶縁】
僕は両親と絶縁しています。理由は簡単で、父は養育費を支払わずに酒とギャンブルとタバコにお金を溶かし借金していたから。母からは「私の理想の通りに動かないあなたは要らない」と言われたからです。
母に関しては、兄は僕以上に言われていたのでしょう。あまり悩みを相談しない兄が僕に相談をもちかけてきたのでよっぽどだったんだと思います。兄はこの翌年に他界しました。
そんな母は僕に「親を蔑ろにすることが正しいと思っているのか」と説教垂れてきましたが、身から出た錆です。
父は「病気してもタバコは辞めない、お前に助けは求めないから口を挟むな」と言っていましたが、今肺がんだそうです。病院の父から何回も電話がありましたが、自分の言葉を守ってもらうことにしました。
余談ですが小学生の頃、僕の家は自力では明日のご飯も食べられないくらい貧乏でした。餓死するかもしれなかった息子を前に、その頃の借金の理由を父は「遊んでいたら借金が出来た、テヘッ☆」と言い放ちました。
【現在のうえむ】
奇跡的に生きております(笑)
出会った人々に助けられたことが大きいです。家族はもちろんそうですが、妻の両親家族、出かけた先々でお会いする方々と話し、遊び、笑い、その全てが僕の活力です。
お陰様でうえむは今日もゲラゲラ笑っております。
元広島カープの黒田投手の座右の銘に、「耐雪梅花麗」という言葉があります。
梅の花は雪に耐えて麗しく咲く、という意味ですが、
今までの人生は雪に耐える時期で、これからは麗しく花を咲かせる時期だと思って、腹を抱えて笑える人生にしたいなーと思ってます。
今は人と会うのが楽しくて楽しくて、会ったらいつもゲラゲラ笑っております。
長々とお付き合い頂いてありがとうございました。今後ともよろしくお願いします☆
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