この世に産まれてきた意味『三姉妹…次女前編』
こんにちは
ほぐしびとWORDSです。
我が家の次女…楽園を、楽しいを探し続ける子。そんな次女のお話です。
1996年8月17日22:18に3180で産声をあげ産まれてきました‼️陣痛から3時間でスムーズ出産!なんて親孝行な次女なんだろうって感動の嵐でした。
自宅に帰ってきても私を困らせることなくスヤスヤと大人しく寝る子。ありがたやぁ~と子育てを優雅に暮らす私でした…がしかし‼️1才を過ぎた頃から怪しさ満載。
私『ゴミなげてぇ』
次女『ぽいぽーい』下に落とす…
お風呂で…
次女『くっちゃい』次女の足元に💩
私『あなたから出たものよ‼️』
2才すぎたある日…
次女『かんちゃんの家の子になる』と出ていった…2才で家出。どんなに帰るよと言っても帰らない…の一点張り。見かねたかんちゃんママが預かるよ‼️と…お願いして帰る。次の日ニコニコして『高橋かれんです』と…帰る気全くなし🤣ダメだこりゃの世界。そんな日が4日続いた…なぜ次女はかんちゃんの家に泊まりたいのか…考えた。ご飯がスペシャル美味しい。そこだったらしい🤣そりゃ帰ってこないわぁ~と納得する私がいた。だがこれ以上は…無理っくり抱き抱え連れ帰る…私の首、顔、腕は歯形がいっぱいになる。そして言い聞かせる…『ご飯を美味しく作るから帰ってきて』と…その言い聞かせを素直に『うん😃』と聞いてくれた次女。ご飯は大切と気付かされた私でした。
保育園でも…やんちゃっプリは止まらない。気にくわないと暴れだす。手に負えない。納得するまでやり続ける。終りは次女が決める…付き合うのみの私。最初は私のやり方を押し付けていた…押し付ければ押し付けるほど暴れて物を壊す…私も次女もいつも傷だらけ…心が壊れる…この子を育てるのがキツい。悲しい…辛い…負のスパイラルに巻き込まれた。次女がヤラかしたことで頭を何度も何度も下げ謝る…謝ることは苦ではない。だけどこの子はなぜこうなのかと切なくなる。でも諦めたくない。絶対に何か答えがある。
押し付けるのをやめた瞬間…次女が変わりだした。次女の溢れんばかりのエネルギーを受け止める事にした。やりたいをやらせる。世間では放置に見られ何度も注意された。育て方が間違ってる。失敗したね。言いたい人には言わせておこう!次女が生き生きと楽しい日を過ごせるように枠を作らない育て方に変えた事で好きを増やす。嫌いを減らすことが出来てきた。
小学2年の時にミニバスに誘われ入団。そこからがのびしろ🤣エネルギーを思いっきりスポーツする方に向けた事で暴れる事が減っていった。人との交流は難しいが…慣れ浸しんだ仲間には暴力を使わなかった。ミニバス関係の親達にも従うようになっていった。時には斜め45度睨みと監督に暴言…チン蹴り…そして自分のプレーを楽しむ。そんな次女をたくさんの人達が暖かい目で見てくれたお陰で伸び伸びと自分を出しきることが出来た。
小学生の時の友達は男子が多数。女子は近づいて来なかった。正義感が強すぎて人を傷つけることも…
親が呼ばれる回数も人一倍。私の出席率は優秀だったはずだ!男の子とのけんかは日常茶飯事。一度スイッチが入ると机を投げ…椅子を投げ…ハカイダーになる。物に当たるならまだいい。人に攻撃し始めたら相手がくたばるまでやってしまう…。負適合者と何度も言われたが言われる度に次女がなぜそこにスイッチが入ったかを探る。大半は正義感から来るもの。だがそれが度を過ぎる…そして感情治まらなく暴れる…。弁償代は多額…保険に入っていて良かった。
こんな小学生だったから次女を公立の学校に入れるのを躊躇した…
そんな時…中高一貫の私立より声がかかった。バスケしに来ないか?と…私は食らいついた。これだ~っと。ただ女子校。対応できるだろうか?
私『ねぇ?勉強しなくてもいいからバスケだけしに学校に行かない?』
次女『行く』
私『女子校なんだけど…』
次女『行く』
決まった🤣地域では有名な我が次女。バスケでは優秀賞をいただくような子に成長をしていたから、お声がかかりすんなりと受け入れられた。ありがたかった。何か必ず光るものはあるんだ。しかしこれからが次女の試練の道だった。
次回は次女後編を書いていきます。読んでいただきありがとうございますm(__)m