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#26 プロフィール①

昨日は、ブログのアップ時間が日付を跨いでしまい、やらかしてしまいました。岡山市南区植松にあるうえまつ保育園、うえまつフリースクール、代表の横山です。厳密に言うと、本日2回目の更新になるので、少年ジャンプでいう合併号的な感じだと思ってください。


今更ですが、横山の簡単な経歴、自己紹介をしたいと思います。

1985年8月8日生まれ。浅口市鴨方町出身。(”そうめん”が有名な町です。)高校生の時に不登校になりながらも、単位ギリギリでなんとか卒業。進路に迷っていたとところで、保育士をしていた親戚の話を聞き、「子ども達と過ごす時間を仕事にできる。」というところに惹かれ、倉敷市にある保育士養成校へ。(なんとかカッコよく書こうとしてみましたが、子どもと遊んでお金がもらえるなんて最高じゃん!というかなり不純な動機でした。)

高校三年生の春休み。不登校だった自分が本当に嫌で、自己肯定感がかなり低下していました。「学校に行っていなかったことを、誰かにからかわれるのではないか?」という不安な気持ちもありました。(不登校だった時のエピソードは、機会があるときにまた書きたいと思います。)

しかし、入学してみると、そんな不安は吹き飛ぶような、個性豊かで、本当に「優しい」友人たちに出会うことができました。今でも付き合いのある友人が大勢います。(広報担当をしている村上くんも、同じクラスメイトでした。)

短大卒業、保育園就職。(20~22歳)

ピアノ練習、実習、ゼミ、バイト、バンド、恋愛。怒涛の二年間を過ごし卒業。笠岡市にある私立の保育園へ就職しました。(広報担当村上くんが現在、副園長をしている保育園です。)

2年間、3歳児クラスの担任をさせていただいたのですが、将来的に処遇面での不安を覚え、退職。今思えば、処遇についてははじめから分かっていたはずなので、何を目的に保育士になろうとしていたんだと聞いてやりたくなってしまいます。(養成校時代も、保育士の給与・待遇についての授業?を受けた後に、大半の男子学生は保育士として働くことを選択肢から外していました。)

正直なところ、うまく子ども達と関わることができた、という実感があまりなく、クラスの活動がうまく回るように必死で業務を進めていました。自分には、保育士という仕事は向いていないのではないか、という気持ちもあったと思います。そして、現職にもつながるきっかけとして、”グレーゾーン””発達障害”と呼ばれるお子さんと初めて関わらせていただく機会がありました。

と、ここまで書いてこれは長くなりそうだという予感がしています。誰が興味を持つんだ、という内容ですが、次回に続きます。

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