私たちは「平和の準備」に失敗するかもしれない(前編)

「戦争ではなく平和の準備を—”抑止力”で戦争は防げない—」

22年12月、憲法学者や市民運動家などで構成される有志団体・平和構想提言会議が、日本政府の進める軍拡路線に反対して発表した声明のタイトルだ。
私は、「平和の準備を」という言葉に強く共感している。というのは、これから平和の準備をしようということは、現時点で私たちは「平和」を達成していない、そういうニュアンスを含んでいるからだ。(すでにある)平和を守るのではなく、これから平和を準備して達成していこう、そういう姿勢に、私は共感する。
しかしそのうえで、私は次のような言葉を何回も心の中でつぶやいている。

私たちは「平和の準備」に失敗するかもしれない。

このような語りが、市民運動ではあまり歓迎されないのは重々承知している。それでもなお、私は「平和の準備」を軽々しく口にすることに、ためらいを覚える。準備に失敗するかもしれない、そのような緊張感なしに、私は「平和の準備」を口にすることはできないと思っている。


私たちは、「平和の準備」をできるのか、否か。
そのことについて、多くの人と議論をしたい、意見を交わしたい。
そのための前段階として、準備すべき「平和」、めざすべき「平和」について、多くの人と議論したいと思う。
取り急ぎ提起したい論点が、2つある。
まず、日本の平和運動の「平和」概念は、このままで良いのかということ。
戦争が起きなければ「平和」なのか。戦争が起きるまでは「平和」なのか。それとも、「平和」概念をより拡張して考えるのか。
もう1つは、「平和」の空間範囲の問題だ。準備すべき「平和」は、どこまでの空間範囲に及ぶのか。より具体的には、「日本の平和」の準備なのか、「東アジアの平和」の準備なのか。
私の問題意識が的確に伝わるのか、正直、不安な気持ちもある。私の文章力は拙いが、うまく伝わればと思う。
今回は、まず1つめの論点=準備すべき「平和」とはどういう状態なのか、議論を提起したい。

と言いつつ、いったん東アジアの平和をめぐる問題から話を導入することをお許しいただきたい。
日本の平和主義は、長らく「日本の平和」のことだけを考えてきた。今年の7月、朝鮮戦争の「休戦」から70年を迎えるが、朝鮮戦争を本当に「終結」させようという問題意識は日本の平和運動において広く共有されているとはいえない。朝鮮戦争で日本は国連軍の兵站基地の役割を担い、戦争特需によって多くの企業が息を吹き返したにもかかわらず、日本が当事者・当事国という認識はきわめて薄い。そもそも朝鮮戦争がどれほど過酷な戦争であったのか、基本的な歴史的事実も共有されてはいない。
さらに言えば、「休戦」状態=軍事緊張関係は持続している状態がけっして「平和」状態とは言えないということも、広く共有されてはいないだろう。日本では、戦争が起きてない状態が「平和」であるという考えが一般的であり、いわゆる平和教育も、そのような平和観をベースに行われてきたからである。
つまり、「平和」概念の狭さゆえに、日本に近い朝鮮半島の「平和とは言えない状態」に対して、認識が広く共有されていない、想像力が十分に及んでいないのではないか。
あるいは、戦闘が行われていなくても、他国によって軍事占領されている状態が「平和」ではないという認識も、日本では広く共有されていないのではないか。たとえばイスラエルによって軍事占領下にあるパレスチナの人々がどれほど「平和ではない状態」を強いられ続けているのか、想像力が十分に及ばないのではないか。

平和学では広く使われている「非平和」という概念も、日本の平和運動で広く共有されているとはいえない。私自身、神奈川県川崎市中原区にある川崎市平和館で行われた「非平和展」に触れるまで、この概念について知らなかった。
インドの研究者スガタ・ダスグブタが提唱し、平和学者のヨハン・ガルトゥングが再構築した「非平和」概念は、大まかに言えば「平和に生きることができない、平和に生きる権利が踏みにじられている状態」だと言える。貧困も、性差別も、DVも「非平和」を生み出す要因として位置づけられる(なお、先述の「非平和展」を企画した暉峻僚三さんは、「公立平和館の役割と意義 川崎市平和館と平和学を視点として」(https://www.jichiken.jp/article/0089/)という論文の中で、「非平和」概念をわかりやすく説明している)。
ここでは「非平和」問題全般に議論を拡げることはできないが(機会を改めて論じたいと思う)日本の平和運動においても、最低限、次のことは共有されるべきだと思う。
・戦争に至らなくても「軍事緊張」状態、あるいは一方的に「軍事的威嚇・恫喝」を受けている状態は明らかに非平和状態であること。
・戦争が終結しても、侵略者によって「占領」されている状態が明らかに非平和状態であること。

 日本の平和運動は、アジア太平洋戦争末期に受けた激しい空襲被害(原爆を含む)、戦地における兵士の戦死・戦病死、戦時下の窮乏などを体験した人たちの、「もう二度とあのような経験をしたくない」という強い気持ちが土台になってきた。しかしそのことは、「平和」観のある種の固定化を生み出してはいないか。日本という空間の外側での人々の体験、「平和ならざる状況」の体験と自らの体験を「交換」しあい、「平和」観をアップデートするという作業を十分には行ってこなかったのではないか。それは、「非平和」概念に対する日本の平和運動の関心の低さとしても現れているのではないか。

もし「非平和」という概念を(少しずつでも)組み入れたら、日本の平和運動の課題は「憲法9条を守る」ことにとどまらなくなるだろう。憲法9条は改変されていない現在においても、すでに軍事力による「非平和」がどんどん拡大しているからだ(それは、朝鮮戦争、および自衛隊の前身・警察予備隊の創設時から始まっていると私は考える)。軍事力による「非平和」化に抗うことを、日本の平和運動が重要課題として担うこと。
それは今からも可能な作業であるし、わたし自身もできる限りのことをしたいと思う。

そのうえで、率直に言えば、日本の平和運動はすでに「後手」にまわっていると思う。
2016年以降の日本の平和運動には大きな欠落があった、そう言わざるを得ないのである。
具体的には、「南西諸島」に対する自衛隊配備に対し、大きな平和運動体が反対運動を取り組まなかったことである。

自衛隊の配備、つまり軍事配置した瞬間からその地域が戦場になるわけではない。戦争でない状態が「平和」だという平和観に照らし合わせれば、自衛隊が配備された与那国島・石垣島・宮古島・奄美大島などは現在も「平和」だということになる。
しかし、「軍事緊張」関係に置かれていることが既に「非平和」であるという認識に照らし合わせれば、南西の島じまは、すでに「非平和」状況を強いられているのである。なぜなら、日本と中国が軍事衝突した場合、まず「標的」になるのは「南西シフト」の島じまだからだ詳しくは後編で詳述するが、中国は、それらの島じまの領有化をもくろんで攻撃してくるのではない。言い換えれば、それらの島じまに自衛隊が軍事配置しなければ、中国はそれらの島じまにミサイルを撃ち込む必要がない。自衛隊の軍事要塞にされることで、島じまは中国の「標的」にされてしまったのである。
今後、米日と中国の間で「軍事均衡」が保たれれば、今後も戦闘は一切起こらないかもしれない。しかしそれは「平和」な状態だと言えるのか。2016年から埼玉県内で、そして21年から首相官邸前などで、自衛隊「南西シフト」配備への反対運動を粘り強く続けている「島じまスタンディング」の石井信久さんは、「準戦時状態」という言葉を使いながら、一貫として「たとえ戦闘が勃発しなくても、このような軍事緊張状態を常態化し、地域限定戦争の脅威を与え続けることが、島じまの人々に対する〈暴力〉である」と訴え続けている。

 にもかかわらず、島じまへの自衛隊配備への反対運動は、首都圏では小規模にとどまった。沖縄島の米軍辺野古基地への反対運動に比べても、その広がりの小ささは顕著だった。筆者は「琉球弧自衛隊配備反対アクション」という3人だけの市民有志グループで、2016年から首相官邸前などでアピール行動を行い、また先述の「島じまスタンディング」のアピール行動にも参加した。「総がかり行動」の国会包囲行動の日にチラシを配布し、同行動の終了後に(サテライト・アクション的に)官邸前で抗議アクションを行ったりもした。国会包囲行動の現場では、私たちが配るビラにビビッドな反応を示す人は皆無ではなかったが、何の反応も示さない参加者が圧倒的に多いことを、私は肌で感じた。
 そのような中、軟弱地盤問題などで大きく遅延する辺野古米軍基地を追い抜くかたちで、南西の島じまの自衛隊配備=いわゆる「南西シフト」配備は着実に進んでいった。

厳しい言い方をすれば、日本の平和運動はすでに「平和の準備」に失敗している。失敗するかもしれないではない、すでに失敗しているのだ。この苦々しい現実を、今からでも広く共有しなければいけないと思う。

 なせ運動が広範ば広がりをみせないのか。理由は複数考えられる。
まず、いわゆる「オール沖縄」運動が辺野古米軍基地の建設には反対しつつ、「南西シフト」反対を掲げなかったことは大きな要因である。この間、首都圏の運動は「オール沖縄」への連帯運動という側面を強く持っていた。厳しい言い方をすれば、「連帯」する運動は、自分の頭で考える必要がない。運動の基調も方針も、ある程度まで沖縄の人々が考えてくれるのだから。自分の頭で東アジアの状況を考え、基調や方針を考えるという、とても厄介な作業を省略することができる。
くわえて、沖縄島(沖縄本島とも呼ばれる)の西に位置する島じまについては、米軍基地が存在しなかったこともあり、そもそも首都圏の平和運動において関心が低かったこと。「米軍に蹂躙される沖縄」という構図の外側にあったためか、宮古島と石垣島のどちらが東側にあるのか知らない「平和運動家」も、数年前までは珍しくなかった。
そして、先に述べたように、軍事緊張の常態化がすでに〈暴力〉であり、「非平和」を強いている、という認識が広く共有されていないこと。

 ただしこれらのことは、かつての自分にもすべて当てはまる。先述の「琉球弧自衛隊配備反対アクション」は3人の小規模な有志グループ(メンバーの1人、栗原学さんの病没により2021年より活動停止中)で、私は2015年末に宮古島出身の下地さん、奄美大島に縁者をもつ栗原さんに誘われて同グループに加わったが、2人に比して自分がいかに沖縄島以外の琉球弧について、その地で進んでいた軍事化について、関心が希薄だったことを思い知らされた。2人に誘われた私はある意味幸運だったとも言える。もし2人に誘われていなかったら、私もまた、「南西シフト」に強い関心と危機感を持たないまま現在に至っていたかもしれないと思う。

そして、もう1つ大きな要因を指摘したい。
中国が軍拡を進めるなか、島じまに自衛隊を配備することを一種の「必要悪」として容認してしまう傾向が、日本の平和運動の内部にも存在すること。
アメリカの東アジア戦略、対中国戦略についての知識が広く共有されていないこと。アメリカの軍事「威圧」の歴史についての無理解。
台湾に対する、台湾民衆史に対する、関心の低さ、理解の低さ。
総じて、東アジアの戦後史、1945年のアジア太平洋戦争終結後も東アジアが「非平和」の空間であり続けていること、これらを「私たちの歴史」として認識せず、外部化・他者化してきた傾向が、日本の平和運動全般の傾向としてあるのではないか。

その問題=「日本の平和」にしか関心を持たないという問題を克服することなしには、日本の平和運動は「日本の平和」の準備すら達成できないのではないか。
この問題については、後編で考えたい。


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