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時代を超える欲望マーケティング:詐欺広告に見えたアート性
みなさんこんにちは、
グラフィックデザイナーのウエマツです。
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最近知り合いのInstagramのアカウントが乗っ取られました。
ストーリーなどでアップされる内容が絵に描いたような詐欺への誘導で、
「これに騙される人間なんてどこにおんねん!」
と、謎の関西弁でツッコミたくなるほどひどい内容。
そんなゴミ広告に、うかつにもアートっぽさを見出してしまった、というどうにもくだらないこの話を今回はしっかりと深掘りして書いていきたいと思います。
まずはそのストーリーの画像をご覧ください。
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こんな内容です。
簡単に説明すると、ビットコインのマイニングに投資したら3時間で10倍になったという話。
マイニングの専門家を紹介されて挑戦、と書かれているけどマイニングの専門家への投資なのか、それとも自分でマイニングするのかが不明。
マイニングの専門家への投資というのは実際にあるけど、ほとんどが非上場企業なので透明性も低く、投資するにもかなりハードルが高い。
自分がマイニングに挑戦する場合、とんでもない設備が必要なのと、社会問題になるくらいの電気代がかかるから20万円程度で始められるものではない。
そもそも今のビットコインの時価総額を考えれば3時間で10倍なんて到底不可能。今の価格から10倍になるには数年〜数十年はかかる。
仮想通過で3時間で10倍の可能性があるのは相当な草コインのみで、そのコインを見つけること自体、宝くじを当てるレベルの高難易度。
という、1秒でスルーしたくなる内容。
とうぜんスルーしたわけだけど、
乗っ取られたアカウント主が困っていたのもあり解決する方法がないか調べていました。
なんとなくこのストーリーを眺めているとふと、
あの「昭和の“現金風呂”広告と、言っている内容は一緒じゃないか」
と気づき、うっかりと笑いが込み上げてしまいました。
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謎のキーホルダーみたいなものを持つだけで、
ギャンブルで連戦連勝!
モテまくり、ヤリまくりなのだそう。
確かこれ1個1万円くらいだったような・・・
『3時間で10倍』を叫ぶ広告と、キーホルダーを買うだけで『札束風呂』広告。
結局は、
“楽して大金をつかみたい”
という欲望に対して訴えかけるという本質的な部分は全く変わっていない。
時代を切り取り、大衆心理を鮮やか(?)に突く手法は、どこかバンクシーの社会風刺にも通じるものがあると感じずにはいられませんでした。
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もっとも、バンクシーがポップな壁画で皮肉を描くのに対して、こちらは“誇大広告”という手段を使ってくるわけだけど、どちらも人間の弱みに目を向けさせるという点では共通していると言えます。
『人はどんな言葉に惹かれ、どういうイメージに騙されやすいのか?』
を逆手に取る形で示す。
時代や媒体が変わっても、その悪趣味なアート性がしぶとく残り続ける。
だからこそ、『昭和の札束広告』と『令和のマイニング詐欺』が同じに見えてしまうのかもしれないですね。
結局のところ、
人間の『楽して儲けたい』『モテたい』『特別になりたい』といった本質的な欲望は、時代やテクノロジーの変化をいとも簡単に飛び越えてしまうことがよくわかります。
昭和の札束風呂広告も、令和のSNS詐欺広告も、表現の“形”が違うだけで、その根っこはまったく同じ願望をくすぐっているということ。
そんなアプローチが何十年も受け継がれていることにアート性を感じずにはいられませんでした。
こちらは騙されまいと身構えつつも、その“変わらない手口”にどこか懐かしさや面白さを見出してしまうのだから、つくづく人間は懲りない生き物だと言えます。
時代遅れだろうが下品だろうが、欲望に訴えかける広告はきっとなくなることはない。
だからこそ私たちは、それをしっかり見極める目を持ちつつ、そのアート性にほんの少しだけ笑ってあげる余裕を持てたら、これからの人生も少し楽しくなるのかなと思ったという話。
というわけで今回はこれくらいで!
以上、ウエマツでした〜
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