【自己紹介②】19年間の教員人生にピリオドを打つまで〜教員になってから初任校1年目編〜
教員養成大学を卒業して、そのまま採用試験に一発合格…違和感を感じつつ、なんだかんだで19年間必死で小学校教員やってきました。…が、ついに2021年3月で退職します。
自己紹介を兼ねて、退職に至るまでの道のりを書かせてください。
今回は初めて着任した学校での1年目の出来事を…
1.1年目って洗礼受けるよね…
教員になってから初めての着任校は,下町の学校。右も左も分からぬまま、大学出たての小娘にも、退職前のベテラン教員にも同じように1クラスを任される。
いいのか、これ!?
と心の中で全力で突っ込んだけど。
普通に先生と呼ばれ、普通に毎日授業をすることに…。最初に担任したのは2年生。低学年に向けた話し方…とかも分からないので、ジェネレーションギャップなんだろうか…話が通じなくて焦った最初の1週間。
どうしたらいいか分からなくて、授業中、黒板に向かって子どもに聞こえないように愚痴ってたことも…。
子どもはかわいいけど…
子どもって休憩時間が終わったら普通にチャイムの音で教室に戻ってくるもんじゃないの??
→戻ってこない…子もいた
みんなで協力して給食準備するんだから、協力しないと給食食べれないよーと言ったら、じゃあ僕帰りますって…
→冗談かと思ったら本当にランドセル背負って帰ってた…子もいた。
前担任が低学年のベテラン神教員だったので、その後に初任の私が担任になり落ち着かなくなるクラスに保護者(父親)から苦情の電話と手紙が届く…。
「学級崩壊だー!!どうするつもりだー。改善案出せー!!」
と怒鳴られる6月。
泣きながら指導教諭に相談したな…若いな。今なら泣かない。笑
思い返せば、よく続けられたな…と思うけど、子ども達は慕っていてくれたし、応援してくれる保護者も多くて、職場の先輩先生もめちゃくちゃ優しかった。
まだ団塊の世代が退職直前で、とにかく、若いパワーでやりたいようにやりなさい!っていう温かい職場だったな。。。
今はもうほとんど加入者の少なくなった組合の先生も多くて、そんな大先輩方に守られてた初任時代。今思うと、そんな方々のおかげで辞めずに続けられたんだと思う。
2.古き良き時代の管理職に救われて…
ちなみに、家に帰っちゃった子の件。その後、大事件になりまして…自宅に指導教諭の主任と謝罪に行きました。
その子の保護者が両親教員で…いつもは祖父の家に帰ってるはずの子どもがお昼ご飯も食べずに自宅のベッドで寝てた。どうなっとんじゃい!!
ごもっともですな。申し訳ない…の言葉しか出ないっす。
で、このお母様が勤務校の校長先生に、
「とんでもない教員がいるんですー!!」
と報告をして、そして、その校長先生から私の勤務校の校長先生に電話がかかってくる…という大事件です。
書いてて,笑えない。笑
でも、当時の校長先生は、
「そんな教員はうちにはいません!」
と言ってくれたそうです。ええ人です。
いや、ここにいたんですよ…そんな教員が…。
でもね…当時はそんな
「何かあったら、私が責任取るから、どんどん好きにやりなさい。」
って言う管理職がいたんだなぁ。もはや、古き良き時代の昔話的な話ですが…。日中は校長室で寝ていても、校長室のドア全開で、いつでもウェルカムな校長先生。
全校朝会の話もピカイチ心に響く方でした。
話を戻しまして、私がやらかした話。
そんなこんなで…謝罪に行きました。
両親教員の子どもって…その子なりに苦労してるなぁ…って言うのが当時の正直な感想でした。
言葉通りにとる子どもがいるから、とにかく言葉には注意していこう…と決意しました。
3.家庭訪問があったあの頃…
初任の頃って、まだ家庭訪問がありました。
もちろん、上がっても何も食べちゃダメ…なんて指導を受けるけど
その頃って、まだ先生に対するリスペクトがあった時代で、初任の私にも皆さん優しくて…
色んな保護者がいるけど
頑張るんだよー
って励ましてくれる方が多くて、助けられました。
今でも律儀に年賀状をくださる保護者の方がいます。何も出来なかったあの頃の自分にも、温かく見守ってくださった保護者の方々に、本当に本当に支えられていたんだなぁって、このnoteを書きながら気付きました。
今とはずいぶん違う、教員の置かれた状況…。私が採用される一年前までは、勤務時間が4時までだったとか…。
その時に何度も言われた言葉は
これからの人は大変ね〜!
でした。
その時は分からなかったあの時の言葉の重みが分かるのは、その時から何年も先の話。
とりあえず、こんな感じで失敗だらけの初任1年が無事に…??…終わりました。
こんな失敗だらけの私がどうなっていくのか…なんだか自分のことなのに、心配になってきました。。。
また書きます!
読んでいただきありがとうございました!!