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大学生って勉学とサークルとバイトだけでいいの??【連載】地域系大学生Vol.1

あえてセンセーショナルなタイトルにしてみました。
これからマガジンで自分の学生時代の活動をまとめていく中で、
その原点となった思いを多角的な視点からこの記事で書きたいと思います。

地域での取り組み一覧

まずは名刺がわりに自分が学生時代にやってきたことを紹介します。
【地域活動】
└府中学生空き家プロジェクト
└教育系(中学校、サッカー少年団)
└府中市協働推進委員
└コミュニティ農園
└ファシリテーター
└ワークショップデザイン(タウンミーティング)
【環境系の活動】
└のこすまいと(フードロス削減にまつわる活動をするサークル)
【農工大ブランディング】
└TATpost(農工大生大図鑑)
└2020年度農工大オープンキャンパス

自分が活発に活動していた学生のあの時期、
自分の内面/想いを人に伝えるということに慣れていなかった自分は、
あまり人に内面/想いを伝えていなかったと思います。
このマガジン、投稿では自分の思考をお見せ出来たらなと思っています。


狙っている読者層


・学生(一番メイン):こうなって欲しいということを強要するものではないです。大学生活には選択肢があるということを知って欲しいです。
・こんなことを今の若者は感じているのかというのを大人の方
・(エキセントリックムーブをしていた上木を奇異な目で見ていた同級生)

「大学生って勉学とサークルとバイトだけでいいの??」


私が大学生になった時(2015年あたり)は、常識を疑う批判的な思考が学生に求められていました。
「そもそも〇〇は何か」というような批判的思考が好きでした。
そこで大学生になった私は、「大学生のあるべき姿とは?」「何のために学ぶのか」ということを考えて行きます。

周りの人や自分の行動を見て、
大学生は大体5つの時間の使い方をしていることが分かりました。
①勉学(授業、課題、研究)
②サークル(体育会系含む)
③バイト(生活費や遊ぶためのお金)
④プライベート(旅行、飲み会等)
⑤就活
※上木調べ2017

理系の大学生で体育会系に所属していると結構忙しいです。
私自身3年生の時まで、体育会系テニス部に所属してかなりバタバタしていた記憶があります。

3年生のある日思いました。
「この時間の使い方、両親の時代から変わってないんじゃない?」
30年間大学生の過ごし方は基本的に変わってないんじゃないと仮説を立てました。
・・・VUCAの時代、情報革命が起きて激動の時代に、大学生は変わらなくて良いのか。
こんな感じで大学生がこの先も生き残っていけるのかという問いが生まれました。

昔から人とは違うことをしたいという目立ちたがり屋特性を持っていた私でしたので、上記の5つの時間だけで大学生活を終わらせたくないという思いが湧いてきました。
そして、当時学んでいた生態学的にも突然変異が起きて進化(淘汰されずに生き残る)につながるという科学的根拠?からも納得感を感じ、大学生が生き残っていくための新たな時間の使い方の模索が始まりました。


留学、海外に行くことがすごいことという風潮

2018年の私には圧倒的エネルギーと面白い先輩学生たち(以後、エネルギー人材とします)が周りにいました。
その多くの方が留学とか、世界一周とか、海外に出ていました
すごいすごいと褒められているのが羨ましかった思い出もあります。。(ただのヤキモチです笑)
天邪鬼な性質を大いに持つ上木は考えました。
「どうしたら海外に行かずエネルギー人材になれるのか?」

エネルギー人材の条件とは?


当時の私は考えました。
「なんで海外に行けば、エネルギー人材になれるんだろう」と。
自分も12歳以降海外に行ったことはなく、(留学してた人のブログを読んで得た「海外に行くことのメリット」の仮説は下記かなと思います。

①価値観がまるで違う人と多くコミュニケーションを取る
②自分の人生について時間をとって深く考える(能動的に人生について考える)
③生き残ったという成功体験

上記の3つを再現できれば、日本にいながらエネルギー人材になれるのではないかと、考えるようになりました。
①に関しては、同じ指向の人が多く集まる単科大学の中じゃあ体験するのが厳しいだろうと思っていました。
タイミングを同じくして、地域の中で活動できる道が運よく徐々に開かれて行きました。


「地元の祭りがなくなるの寂しくない?」

私は地元の埼玉県越生町が好きです。
美しい自然があり、散歩が楽しいまちです。
越生町が好きな大きな要因の一つは、
お囃子のコミュニティが好きだからです。

私は小学生低学年から地元のお囃子に所属していて、
祭りの時には山車に乗って太鼓を叩いたり、笛を吹いたりしていました。
このお囃子コミュニティのお陰で、地元の方にも知り合いが多くできて、地元愛が育まれていました。
祭り当日は山車の前で声を出して熱量を感じれるのも、
先輩方(20歳上とか)に可愛がってもらえるのがすごい楽しかった思い出があります。

一方で、祭りをやる人が減っていることや、年々祭りに出店している屋台の数が減っていることは気づいていました。

一番危機感が煽られたのは、私の地元が「増田レポート」で、消滅可能性都市にリストアップされたことでした。

地元が消滅してしまうんだ。。。
祭りがなくなってしまうんだ。。。
と、大学2年生の時に衝撃を受けた思い出があります。

消滅する地域を自分の力でなんとかすることはできないか。
その時には解決策は思いつかなかったですが、
大学のある府中で地域系の活動ができるのなら、
将来のためにここで練習をしようと決めました。

まとめ

地域に飛び込もうという挑戦を決めた思考は上に記した通りで、
他にも大切にしていた考え方は下記の3つです。

我以外是我師也(自分以外の全てのことから学べるよね。このときは焦りからか成長に飢えていました。)
挑戦することが、将来的には自分にとって大きな財産になる。(大人になってから挑戦するよりも、学生の時に挑戦した方が傷も浅くてコスパがいいと考えました。今考えると結構打算で挑戦してましたね。)
今するとその体験が最大化されるのは何かを考える。(今の時間を大切にしたいと思っていたのは、命の有限性に自覚的だったからです。最大化、最適化という言葉をよく使っていた気がします。)

今後、このマガジンでは、自分が学生時代に取り組んでいた上記の取り組みについて、3段構成でレポートを作っていこうと思います。
・やり始めたきっかけ/背景
・実際にやったこと
・そこから得た学び

タイミング的に色々なことが重なって、
何者かになりたかった大学生の物語が始まりました。

今後詳しく書きますが、
一番自分がギラギラしていたその当時、
面白い学生集まれ!的なインターンの募集がありました。
詳しくは覚えていませんが、募集要項で
「1,000人規模のイベント主催をしたことがある」
ってあってすぐに諦めた思い出があります。
でも、色々な活動をしていく中で、
気づいたら1,000人規模のイベントの運営もしていました。

何者かになれた訳ではないですが、
考えて、動いて、考えて、足掻いた若者の軌跡を見届けて頂ければ幸いです。


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