【ロック】オアシスをめぐる冒険
「オアシス、行くんですよね…」
会社の同期O君から、こんなメッセージを受けたのが2024年8月末日。
ロック小僧として会社では名の知れた私。
ローリング・ストーンズを観にシアトルまで行った旅行記を社内報に掲載。
オアシスが再結成されたことは、ロック界隈ではビックニュース。
思わず同期O君も、オアシス再結成のニュースに喜びを隠せない。
私の場合、ロックのデフォルト(初期設定)は、ビートルズ。
そして、二刀流の「保険」として、ローリング・ストーンズ。
オアシスは嫌いではないけれど、自分というより「友達」が好きなバンド。
オアシスをめぐる三人の「生涯の友達」を紹介していきたい。
1.きっかけはカリタ君
高校2年生の時、当時の洋楽の流行は、マイケル・ジャクソンやマドンナ。
そんなビビットな音楽シーンを注目しつつ、私は、ビートルズ(すでに解散)やローリング・ストーンズ(当時、開店休業中)といった、いわゆる同級生たちからは「時代おくれ」と揶揄された音楽シーンに熱を上げていた。
同じクラスに、カリタ君という洋楽好きがいた。
時代に左右されない音楽趣味で意気投合。
以降、社会人になるまで、音楽を通じた関係はつづく。
カリタ君は、デビット・ボウイやプリンスが好きだった。
この人に、ビートルズやローリング・ストーンズを教えたのは私だと自負している。
ミック・ジャガーの初来日、そして、ローリング・ストーンズの初来日公演は、当時、相棒だったカリタ君と一緒に観た。
「お前のモノは俺のモノ、俺のモノはお前のモノ」
カリタ君がロッキン・オンを買い、私がクロス・ビートを買った。
そして、お互いに交換。
新譜を買うたびに、ドライブに出かけた。
そんなカリタ君がおススメの一枚を紹介してくれた。
それが、オアシスのマキシ・シングルCD、「スーパーソニック」。
ほどなく、デビューアルバム「オアシス」が出て、これもカリタ君が速攻で購入し、お互いのクルマの中で、何度も聞いた。
「お前のモノは俺のモノ」
だから私は、カリタ君への返答として、当時、オアシスのライバルのバンドだった「ブラー」に熱を上げた。
カリタ君のオアシス、私のブラー。
それが1990年代中旬の英国ロックシーンのそのままを映し出す。
その後、お互いにそれぞれパートナーを持つ。
ふたりの関係は終止符を迎えた。
いまでもカリタ君との思い出は、音楽の中にある。
2.一緒に観たユキシマ君
カリタ君に代わって、私の前に現れたのがユキシマ君。
私より3歳年下。
高校時代はB研(ビートルズ研究会)に所属。
ユキシマ君とは職場で知り合った。
私の当時の愛車だったベスパのスクーターを気に入り、ユキシマ君も、バイク免許取得に挑戦した。
家も近いこともあり、音楽フェス、サマーソニックを一緒に行った。
ユキシマ君と行く、三度目のフェスのヘッドライナーは「オアシス」。
実のところ、カリタ君と疎遠になって以降、オアシスに距離を置いていた。
そんなオアシスに関心を再び寄せることになるきっかけが、ユキシマ君の存在である。
フェスの予行練習に、当時のオアシスの最新アルバム、「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」をユキシマ君が手に入れた。
これもまた「お前のモノは俺のモノ」精神ではないが、まるで自分の所有物のように聞き込んだ。
(お互いのシェアは、かつてのカリタ君以上だった・・・)
そして迎えた、サマーソニック2005。
満を持して、オアシスの登場。私にとって、生オアシスの初体験。
以下、2005年8月14日の「私の日記」を抜粋する…。
マリンスタジアム。すでにウィーザーから満員状態。入場規制という最悪事態は免れたが、スタンドは埋まり、2階の通路でユキシマ君と陣取る。
19時半過ぎても、なかなか始まらない。
煮え切れない客は、ウェーブなどを起こして、再三、声援を送る。
音響系統のトラブルで、開始が遅れたようだ。
20時過ぎに復旧。ちょっと太ったリアムの声が響く。
新譜と、ファースト、セカンドからヒット曲を連発。
やっぱり新譜ナンバーよりもセカンドからがいいなぁ…。
お兄さん(ノエル)も、3曲、特にラスト2番目の「ドント・ルック・バック・アンガー」は、この日、いちばんの大合唱。ユキシマ君もこの曲が好きなようだ。
かつての洋楽ファンの友達と会いたくなった。
カリタ君はどうしているだろうか?
私にオアシスをススメてくれた、カリタ君は、スタンドのどこかで、この瞬間に立ち会っているのかなぁ。
最後は、フーのカバー「マイ・ジェネレーション」。
フェスのラストナンバーは、カバー曲でシメる、というのがトレンドなのか?そういうお約束なのかな?なんだかフーも聞きたくなった。
アンコールは無しで、そのまま、打上げ花火。
ああ、これで2005年の夏も終わりかぁ。
ユキシマ君と行った3度目のサマソニ…。
3.魔法をかけたエイジ君
ユキシマ君との関係は、いまでも続いているが、オアシスは、フェスで見た数年後、あっけなく解散してしまった。
それから15年の歳月が流れた。
2024年2月末日。
またひとり、ロックの友達が、私の前に現れる。
自分の会社で「ロックコラム」を連載しているが、その記事で私のファンになったというエイジ君を共通の知人に紹介してもらった。
「自分は、オアシスのファンです」とエイジ君。
「ファーストとセカンド、どっちのアルバムが好き?」と聞いたら「それは甲乙つけがたい。難しい質問っスね」と答えた。
私は、ロックのみならず、鉄道、バイク、スポーツ観戦と、手広く趣味がある。その点、エイジ君は、ロックひとすじである。
学生時代は、留学と称して、マンチェスターまで「オアシスの聖地巡礼」を果たしたという。
エイジ君がオアシスにハマったのは、中学1年のときらしい。
オアシスのライブを体験することなく、バンドは解散してしまったという。
オアシスは、まだ解散していなかったが、それでも全盛期(1990年代中旬)を知らない世代で、「オアシス対ブラー」で英国音楽シーンの盛り上がりをリアルタイムで知る私のことを羨ましがっていた。
「オアシスが再結成したらいいね」なんて、私は社交辞令でいつも言った。
もちろん冗談半分で…。
それから5カ月後、エイジ君から「速報」が入る。
「ノエル・ギャラガーが『あのロゴ』でインスタをあげました…」
なんと、オアシスの再結成のニュースが飛び込んで来た。
「来日なんて待っていたら、また解散してしまう」
そういって、英国で開かるオアシスの「再結成ライブ」のチケット入手に並走しているという。
私にとって、エイジ君の存在は、オアシスの再結成にリンクしているような気がしてならない。
エイジ君が現れて、オアシス談義をするようになって、願いが通じたのか、あれよあれよという間に、本当にバンドが再結成したのだから。
4.まとめ(オアシスをめぐる冒険)
私にとって、オアシスの存在とは、何なのだろう。
「俺たちはビートルズを超える!」
そんなビックマウスの彼ら。
それでも、セカンドアルバムの「モーニング・グローリー」を聴いた時は、本気で、ビートルズに匹敵するバンドが現れたようで驚いた。
そして、ネプワース・ライブでの「アイ・アム・ザ・ウォラス」のパフォーマンスは、本家・ビートルズを超えているとさえ思っている。
オアシスをはじめて紹介してくれたカリタ君
オアシスを一緒に観たユキシマ君
オアシスの再結成を知らせてくれたエイジ君
オアシスをめぐる冒険の数だけ、友だちがいる。
これからも、どんな出会いが待っているのか。
オアシスの存在は、私の人生をわくわくさせてくれる。