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【ロック】ビートルズで学ぶ英語

ビートルズで英語が学べたらどんなに素晴らしいだろう…。
私がビートルズに魅せられたのが中学1年になりたての頃。
あれから40年。
英語の勉強は「つかず離れず」だったものの、一貫してビートルズは好きである。
仕事の関係で、英語を使わなくてはいけないことがあり、どうにかして、英語力の向上を図りたい。
できることなら「楽しく英語」を学びたい。
やはり、そうなると自分には「ビートルズしかない」という結論に達した。

1.ビートルズとの出会い

「ジョン・レノンが亡くなったとき、パパは悲しかった?」
娘からそういわれたことがあった。
しかし、私がビートルズを好きになったのが、1983年の頃。
すでに、ジョン・レノンは「この世」にはいなかった。
だから、ジョンが暗殺されたニュースは、リアルタイムでは知らない。
ジョンが亡くなった1980年、私の心を捉えていたのは、ビートルズではなく、「鉄道」であった。
父が鉄道会社に勤めていた影響もあり、物心ついたころから、電車が好き。
自分も将来は、父と同じく鉄道関係へ進むのではないかと思っていた。
そんな鉄道少年は、毎朝、欠かさず見ていたテレビ番組があった。
国鉄が提供する「みどりの窓口」という朝の帯番組。
そこでは、番組の終盤に「本日、出発する特急列車の指定席情報」を放送するコーナーがあった。
このコーナーのBGMで使われいたのが、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の「テクノポリス」や「ライディーン」。
折しも、この頃、YMOは絶好調で、売れに売れていた。
ブルートレインや特急ブームもあって、我々のような昭和後期の鉄道少年は、「みどりの窓口」のチェックを欠かさず、いつしか、この番組の影響でYMOが好きになった輩が多数。
そして、人生、初めて買ったポピュラー音楽のレコードが、YMOの「マルティ・プライズ」。
「テクノポリス」と「ライディーン」収録。
このアルバムの中に、「デイ・トリッパー」という奇妙なナンバーが気になった。印象的なリフレイン、メンバー(高橋幸宏)による英語歌詞。
この曲が、ビートルズのカバーであると知ったのは、しばらく経ってから。
ビートルズという「言葉」は知っていたが、当時は「時代遅れの音楽」という印象しかなかった。
一方、YMOは、今を時めく「最先端の音楽」であると認識していた。
だから、あのYMOが、古臭いビートルズをカバーしているという事実にまず驚いた。
そして、本家の、ビートルズ版のデイ・トリッパーを聴いて、衝撃を受けた。こちらの方が、(YMOよりも)数倍もカッコイイと…。

2.決定打の「ストロベリー・フィールズ」

鉄道少年からロック青年へ。
それは、ちょうどYMOからビートルズへのバトンが渡った瞬間である。
たまたま当時、神奈川テレビで放送していた「アニメ・ビートルズ」。
そこで、デイ・トリッパーを偶然、目にして、ぶっ飛んだ。
YMOのそれよりも、はるかに凌駕していたから。
それから、今度は、デイ・トリッパーをカセットに録音したくて、「アニメ・ビートルズ」の放送を楽しみにするようになった。
デイ・トリッパー以上に心を捉えて離さない「名曲」との出会いがあった。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」。
このなんだか、ふわっとして、モヤっとした感じ。
温かみがあり、神秘的なメロディー進行。
この曲にガツンとやられた私。
(そして、以降40年、私の中でのビートルズのトップソングに君臨し続けている)
アニメ・ビートルズは不定期放送だったが、ほどなく、NHKのニュース番組の特集コーナーで、ビートルズの話題がのぼる。
彼らが出演していたライブハウス、「キャバーン・クラブ」が取り壊されるので、その「廃レンガ」が売りに出される、という話題だった。
そこで、ビートルズのちょっとした物語が放送された。そこでも「ストロベリー・フィールズ」がバックに放送されていた。
もう、いても立ってもいられなくなった。
当時は、カセットで売っていた、ビートルズのベスト盤を買う。
最初に「赤盤」を買い、時間を経てから「青盤」も買う。
この「赤盤」「青盤」、テープが擦り切れるまでラジカセで聴きまくった。
部活もやっていなかった中学三年間は、ビートルズの「赤盤」「青盤」の一色(二色?)だったといっても過言ではない。

3.僕の好きな先生

ビートルズ青年の私は、高校へ進学。
ここでもビートルズをめぐる「運命の出会い」が待っていた。
私にとっての聖母メアリーともいうべき、英語教師のT先生との出会い。
当時、ビートルズが好きでも英語の勉強は苦手だった。
英語担当のT先生は、ポップ・クイズと題して、毎回、授業の最期に、教えた英文法の復習という意味で、例文提出の「宿題」を出した。
その日、提出に課されたは「完了形」。
完了形を使った例文を、T先生に提出しなくてはならない。
ビートルズのことしか頭にない私は、完了形といえば、「あのフレーズ」しかない。
” it's been a hard day's night; I've been working like a dog"
そう、ビートルズの「ハード・デイズ・ナイト」をそのままパクッて提出。
翌日、英語の授業をやっていた、となりのクラスから聞こえてきたのが、「ハード・デイズ・ナイト」の曲。
T先生は、私の宿題に感化されて、ビートルズの歌を「教材」に取り上げたのだ。
もちろん、私のクラスでも、この曲を授業で紹介してくれた。
以来、私にっとて、T先生は、英語のメンターである。
T先生は、高校教師を辞し、留学を経て、大学で教鞭をとる道を選ぶ。
私も、高校卒業と同時に、T先生との関係は立ったが、それでも「年賀状」のやりとりは続いていた。
社会人になってから、職場で英語を使う部署に配属され、ワラをもすがる思いで、T先生に相談したこともある。
ビートルズの音楽のように、T先生の存在は、私の心の支えになっている。
今は、大学も退職されたT先生、それでも英語教育に関わる仕事を続けているようで、私にとっては心強い存在である。

4.最後に…

まだまだ勉強が足りないと思う私の英語力。
それでも、会社では「英語ができる人」と認知されている。
それは、「ビートルズ」の影響が大きい。
ビートルズのファンだった故、ロックのとりこになり、さらには、ローリング・ストーンズやオアシスにも食指を伸ばした。
ビートルズの現役時代には、間に合わなかった世代である。
それでも、ビートルズの”公認ライバル”、ローリング・ストーンズには、なんとか間に合うことができた。
さらには、最近、オアシスの再結成というビックニュースも飛び込んできて、私たち周辺をざわつかせている。
ビートルズがいなかったら、英語の勉強なんて、あきらめていただろう。
今、英語を通して仕事をしたり、友達ができたり、海外旅行を楽しんだりできるのは、ビートルズのおかげである。


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