【バイク】ベスパに憧れて
ひとつのスタイルを選ぶことは、生き方を選ぶことである。
私のバイクは、一貫して「ベスパ」である。
なぜ、それほどまでして「ベスパ愛」にあふれているのか?
それは「さらば青春の光」という映画に出合ったことにはじまる。
1.ロックとベスパ
まず、中学生になって、ビートルズに夢中になった。
ビートルズを追いかけていくと、いつしか、ライバルのローリング・ストーンズが気になる存在に。
特に、ビートルズでは、ジョージがお気に入りの私。
ローリング・ストーンズでも「ジョージ似」のギタリストが気になった。
それが、キース・リチャーズ。
そもそもビートルズ目当てで録画したテレビ番組、「サウンド・グラフティ・スポット」という番組。
1960年代の英国音楽「モッズするロック」の特集が、その後の私の人生を決定づけた。
ローリング・ストーンズを筆頭に、フー、キンクス、ヤードバーズ、
この番組なかで、フーの映像と共に、映画「さらば青春の光」が紹介されていた。
ほどなくして、その映画が深夜にテレビ放送された。
この映画にノックアウト。
主人公ジミーのカッコよさ。
(吹替は、ガンダムのシャア・アズナブルの声優さん)
ビデオ録画して、VHSテープがすり切れるほど、繰り返し見た。
朝の食堂で、美味そうに朝食を食べる仕草。
「俺は人と同じくなりたくない。だからモッズさ」というセリフ。
私のモヤモヤした10代後半の人生において、この映画に出合ったことで、私の中で「何か」が変わりはじめた。
映画の主人公が乗るスクーターは、「ランブレッタ」であって、厳密には「ベスパ」ではない。でも、仲間の多くは「ベスパ」に乗っている。
だから、この映画にシビレた私は、いつか自分もベスパやランブレッタのようなイタリアン・スクーターに乗りたいという憧れを持った。
2.スクーターと私
高校2年の時、スクーターを手に入れた。
当時は、原付二輪は、ヘルメット義務化の直前。
横浜のとある高校に通っていた私は、週末になると、三浦半島や箱根に、スクーター仲間と「走り」に行った。
当時は、スクーターがブームで、ヤマハのジョグ、ホンダのDJー1などが流行っていた。
私が選んだ相棒は、スズキのハイ(HI)
パステルカラーがブームで、黒いボディにピンクのアクセントが私の心を捉えた。また、ジョグやDJー1に比べて、なんとかくベスパに似ていたのも心を捉えたのもひとつ。
さすがに、バイトもしていない、親のスネをかじっている高校生にとって、ベスパといった海外のスクーターは高嶺の花。
なんちゃってベスパの「ハイ」で、気分は、「さらば青春の光」のジミー。
映画の中で、彼らが目指す「ブライトン」を「江の島」に見立てた。
3.中型二輪免許に挑戦
スクーター”ハイ”を足代わりに、高校、大学進学、そして社会人になる。
大学在学中、普通自動車免許を取得。
それでも、バイクに対しての憧れは持ち続けた。
私が社会人一年目で「バイク免許」取得に舵を切ったのは、ある人との出会いがあった。
Kという女性。
彼女が、なんとバイク免許を持っていた。
自分も原付ではなく「バイク免許」を取得して、一緒にツーリングへ行きたい。そんな下心を持ちつつ、社会人になって、バイク免許取得のために、自動車学校へ再び通う。
正直にいえば、別にベスパに乗りたくて、バイク免許を目指したわけではない。結果的に、この時の決断は、人生のターニング・ポイントになった。
「ベスパに乗りたくて、バイク免許を取った」というのは後付けの理由。
それが証拠に、バイク免許に合格して、まず手に入れた二輪車は、ヤマハのセロー(オフロード車)であった。
バイクの免許に合格してから、ほどなく茨城県へ転勤になった。
新天地で、セローのある生活がはじまった。
中古であったため、エンジンが始動しないトラブルに見舞われた。
そもそも、私は、オフロード車というよりも「スクーター派」の人間。
また、当初、目論んでいたKさんとのツーリング計画も頓挫。
(まあ、フラれたワケなのだが…)
人生初の中型バイク「セロー」は、半年でお払い箱に。
2年間の茨城県の赴任を終えて、地元・神奈川に帰還。
いよいよ「夢にまで見たベスパ」を手に入れることに…。
4.ベスパ三代物語
実家に置いてあった、スズキ・ハイがとうとういかれて廃車に。
また、赴任先の茨城県でヤマハ・セローの挫折。
この頃、ベスパを特集するムック(マガジン・ブック)が発売されていて、いつしか、忘れかけていた「ベスパ愛」が復活。
入念にリサーチの上、せっかく中型バイク免許を持っているのだから、原付以上のスクーターを手に入れたい。
決断したのが「125ET3」という型式。
白いボディのクラシックタイプのベスパ。
憧れの「ピンク色」のナンバープレート。
左グリップのギアチェンジが恐ろしく固かった。
夢にまで見たベスパのある生活も順風というわけにはいかず…。
横浜のさる交差点で事故に遭う。
直進しようと侵入した交差点に、右折する自動車と衝突。
こちらは何も悪くはないのに「過失責任」とか言われて、修理代の一部を負担することに…。
ET3の時代は、短命に終わる。
125CCクラスでは、高速道路にも乗れず。
いつしか、憧れは、ベスパのPX200へ。
PXシリーズもET3と同じく、左グリップでギアチェンジをする。
しかし、クラシックタイプのET3に比べて、最新型式(当時)のPXシリーズは、左グリップが柔らかく、操作性は格段によい。
それでも「手間のかかる」ベスパということであり、走行中にワイヤーが切れて、バイク屋さんにお世話になったこともしばしば。
リアキャリアをつけて、二人乗りもばっちり。
その後、所帯を持ち、いったんベスパを離れて、ヤマハ・マジェスティに乗り換えた時期があったものの、子供が生まれたのを機に、バイク生活にいったん終止符を打つ。
再び、バイク生活がはじまったのが、新型コロナがまん延した時期。
コロナ下においてもできる娯楽はないか、と、これまでの人生の棚卸し。
そして、いきついたのが「ベスパ」である。
私にとって、生涯で三代目になるのが「GTS300スーパーテック」。
グレーの車体に黄色いアクセント、このバイクに一目ぼれ。
子供を後ろに乗せて「朝のカフェ巡り」。
ベスパ・クラブに入会して、仲間とのツーリング。
ちょっとした買物やお出かけは、ベスパ一択。
5.おわりに…
バイク通勤圏内だった職場には、ベスパで仕事場へ。
「うえけんさん、まだベスパに乗っているんですか?」
ET3やPX時代を知る同僚からは、そんなことを言われた。
私にとっては、「ベスパ」は名刺代わりのバイクである。
ウチのカミさんは、私が乗るベスパを運転したくて、中型二輪免許にチャレンジした。
いまでは、買物の「足」としても利用している。
オシャレなバイクとして、声を掛けられることもあるようだ。
私の人生は、ベスパともに歩んでいる。
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