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同人誌の時代「1」 昭和の中学生、肉筆同人誌を創る!

 藤子不二雄が「少年チャンピオン」で連載していた「チャンピオンマンガ科」(1970年)は後年「まんが」(入門編・実技編)というタイトルの本として二冊にまとまった。
主に藤子不二雄A先生の筆によるマンガの指導はどれも実践的で、デビュー以前も以前の中学生だった私にとって大いに刺激になった。実技編に「同人誌をつくろう」という章があり、若き日の二人が、表紙から目次、中のマンガや小説を名前や絵のタッチを変え二人で何作も描き、「小太陽」という一冊の本としてまとめたという経験を紹介していた。
 現代では同人誌と言えば、専門に印刷、製本を請け負う印刷屋が当たり前に存在しており、表紙がカラーなのも普通の事で、気軽に制作出来る環境があるが、彼らの時代にそんな環境は無い。彼らが作ったのは「肉筆同人誌」つまりマンガを描いた原稿を直接製本して一冊にまとめる、つまり世界に一冊しか無い本を作ったわけだ。
 この本にモロに影響を受けた中学1年生の私は、マンガを描く友人と二人で肉筆同人誌を発行する事にしたのだった。

         タイトルは「マンガのかんづめ」

 どういう経緯でその名が付いたのかは忘れてしまったが、後年「のらくろ」で有名な田川水泡の著作に「漫画の罐詰」があるのを知った。

 冬休みを利用してマンガを描き上げ、創刊号が発行されたのは休み明け早々。紙の表のみにマンガを描いている現在では考えられないが、模造紙の全紙をB5の大きさに切り、その裏表にマンガを描いている。それを束ね、千枚通しで開けた穴をタコ糸で閉じるという作り。クラスメートに回し読みをしてもらった。2号、3号と巻数を重ねるうちに参加者が増え3月の最終号(確か7号)では7人になっていた。

 残念ながら中学1年時の「マンガのかんづめ」は本を解体しそれぞれの作者に原稿を返却してしまったが、私の原稿はしっかりのこっている。それがこれ!44年前の原稿だ!ひ~恥ずかしい!


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この頃から既にパロディーを描いていたのですな。(おいしいオモチ、下段は友人作)

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この肉筆同人誌はその後もメンバーを変えつつ、大学生の春まで続く事になるのだった。

 

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上野顕太郎
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