「教養としてのマンガ」(橋下博)を読んだ感想~貸本漫画について
昭和30年ごろの貸本漫画文化や、ビンテージコミックに興味があり「教養としてのマンガ」を読みました。
著者の橋本博さんは面白い経歴の方で、国連の事務総長を目指していたといいます。
国連ではたらくことが難しいが、橋本さんはその手前までたどり着きます。
熊本県庁勤務、退職して西ドイツの国際機関で職を得るのです。
ここで外国人との人事の争いに敗れて日本に戻ります。
元来、マンガ好きだったこともあり、その道が開けてきます。
現在は熊本マンガミュージアムプロジェクト代表、合志漫画ミュージアム館長を務めています。
他の自治体の「マンガで町興し」系のプロジェクトのアドバイザーもされる、著名な方です。
同書で驚いたことがいくつか。
日本で有名な漫画評論家が何名かいますが、そのうちの5名が同じ小学校の出身なんです。
著者の橋本博さん、
「子どもマンガ研究の草分け」藤川治水さん、
「少女雑誌研究者」村崎修三さん、
「コミケ創設者の一人」米沢嘉博さん、
「少女漫画の研究で有名な明治大学教授」藤本由香里さん
全員が熊本市の五福小学校というところの出身です。
その理由を橋下博さんは、漫画環境が良かったことをあげています。
書店と貸本屋が五福小学校の校区に多くあったのです。
他にも、貸本漫画収集で驚きの記載がありました。
同書を手に取ったのは、貸本漫画をどのように集めているのか知りたかったからです。
印象に残ったエピソードが2つありました。
ひとつは、著者が貸本漫画を集めるために貸本漫画屋をめぐっていた時の話です。
時期は詳しくは書いてませんが、昭和の終わりか平成の初めのころでしょう。
車で貸本屋めぐりをしていたとき、たまたま迷い込んだ道で、以前は貸本屋だった建物の軒先に本が積んでありました。
張り紙があり「ご自由にお持ちください」と。
なんとそこには水木しげるの「妖気伝」「化烏」「怪奇一番勝負」などなど、今では数十万円以上の値が付くお宝があったのです。
令和の現在では貸本屋は消滅しているので、こんなことは起こらないっでしょうが、夢のある話です。
もうひとつの話は、「まんだらけ」についてです。
貸本屋に眠っている貴重な漫画を、「まんだらけ」チームが全国をまわって買い求めるのです。
九州のある貸本店が、ずっと売らずに手許に残しておいた貸本漫画を、まんだらけが口説き落として購入するのです。
ただその量が膨大すぎて、東京に持ち帰る途中で一部を捨ててしまったというのです。
もちろんまんだらけの方なので、価値がそこまでないものを選んで廃棄したのでしょう。
この描写からは、貸本漫画の勝ちが見いだされ、まんだらけでなくたくさんの古書店や個人が競って貸本を集めていたことが見えてきます。
ここ数年に貸本やビンテージコミックに興味をもった私にとっては、当時を生きた方々の動きを知ることができ、とても刺激的でした!