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悪書追放運動で貸本漫画のなにが問題視されたのか
1950年代におきた悪書追放運動。
手塚治虫の漫画ですら子どもに害を与えるとされ、
焚書(焼かれる)されるということがありました。
なにが問題にされたのかについて、書いていきます。
目次
漫画の内容と出版社について
貸本の清潔さについて
まとめ
【漫画の内容と出版社について】
竹内オサムの「戦後マンガ50年史」に
詳細な内容がありました。
山梨読書普及組合の基準
1、出版社名、住所がハッキリせず本に電話番号がのっていない。
2、責任者がつねに変わっている。
3、色調がどぎつく、言葉づかいがでたらめ。
4、暴行、傷害、殺人など人権を無視している。
出版社の住所などにかんしては、
当時の赤本や貸本漫画の版元は社員一名の小規模で、
いい加減なところもたくさんありました。
責任者がつねに変わっている、というのも同様です。
「色調」や「言葉づかい」にまで言及しています。
暴行、傷害、殺人などは、いまの漫画では当たり前に
描かれていることです。
特に目の敵にされたのが、劇画でした。
辰巳ヨシヒロ、佐藤まさあき、平田弘史などの活躍していた漫画家です。
【貸本の清潔さについて】
貸本漫画への憎さがあまって、
衛生問題もつっこまれました。
「週刊サンケイ」の1957年11月24日号の記事です。
「どんな病気の人が読んでいるかも判らない。悪い菌がついていないともいい切れない。それをロクロク消毒もしないで、つぎつぎに貸出されている。おまけに貸本屋には、焼芋屋とか駄菓子屋の兼業が多いので、一層、気にかかってならない」
ひどいです笑
しかもこの訴えは、読売新聞にも掲載されたといいます。
この意見は母親代表の研究会「つづく地婦連」という会の、
研修講座だったといいます。
【まとめ】
貸本は、小学生の半数以上が使ったことのあるほど、
浸透していたといいます。
貸本屋は全国に30,000軒もありました。
一般の書店が最も多かったのは、1996年の26,000軒です。
これを上回るのです。
貸本屋が子どもに好かれたのは、
劇画の躍進によります。
漫画の悪書追放運動。
今では信じられないことですが、
ほんの60年前のことです。