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「五大週刊少年誌+2」とは?最高発行部数と現在・休刊時の部数についても

「五大週刊少年誌」という言葉が、昭和時代には使われていました。

「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」「ジャンプ」「キング」の5誌のことを指します。

ちなみに新聞は「五大紙」といい、「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」「産経新聞」「日本経済新聞」。

「世界五大医学雑誌」というのもあり、「NEJM(New England Journal of Medicine)」「The Lancet」「JAMA (Journal of the American Medical Association) 」「BMJ (British Medical Journal)」「Annals of Internal Medicine」があります。

話を戻します。

「五大週刊少年誌」と言われていましたが、実は他にも「週刊少年誌」があったのです! 「+2」とはこのことです。

解説していきます。

①「五大週刊少年誌+2」とは?

「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」「ジャンプ」「キング」に加えて、「週刊ぼくらマガジン」と「週刊少年宝島」です。

「ぼくらマガジン」と「宝島」は知らない人が多いでしょう。

短命でした。

創刊日順に並べます。



「週刊少年マガジン」(講談社)
  1959(昭和34)年3月17日
「週刊少年サンデー」(小学館)
  1959(昭和34)年3月17日
「週刊少年キング」(少年画報社)
  1963(昭和38)年7月8日 ー 休刊1982(昭和57)年4月
「週刊少年ジャンプ」(集英社)
  1968(昭和43)年7月11日
「週刊ぼくらマガジン」(講談社)
  1969(昭和44)年11月18日 ー 休刊1971(昭和46)年6月
「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)
  1969(昭和44)年7月15日
「週刊少年宝島」(JICC出版局 現・宝島社)
  1986(昭和61)年12月 ー 休刊(昭和62)1987年2月


すべて昭和に創刊し、令和に残っているのは「マガジン」「サンデー」「ジャンプ」「チャンピオン」の四誌です。

「週刊少年キング」(少年画報社)


少年画報社の「キング」は、三番目の週刊少年誌として創刊しました。

編集方針の急激な転換による部数の低迷により、19年間で休刊となりました。

詳しい理由はこちらの記事をご覧ください。

「キング」の連載からヒット作品も生み出されました。

漫画家のバイブルとなっている藤子不二雄Aさんの「まんが道」



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梶原一騎と永島慎二コンビの名作でテレビドラマにもなった「柔道一直線」。

「柔道一直線」を含む梶原一騎さんの40作品が、AmazonのKindle Unlimitedで無料で読めます。この記事を参照ください。

「週刊ぼくらマガジン」(講談社)

講談社は「ぼくらマガジン」の創刊により、週刊少年漫画誌が二誌になりました。

読者層が「少年」で競合するのに、なぜ「ぼくらマガジン」を創刊したのか?

それは、「マガジン」の読者層の年齢が高くなったからです。

「マガジン」が創刊して10年たった1969(昭和44)年、このような言葉が「早稲田大学新聞」に書かれました。

「右手にジャーナル、左手にマガジン」

大学生がよむ「少年」雑誌になっていたのです。

ちなみに、「朝日ジャーナル」(朝日新聞社)は週刊誌で、創刊は「マガジン」や「サンデー」と同じ1959(昭和34)年。1992(平成4)年に休刊。

創刊号の発行部数は37万部で、この部数を超えることはなかったようです。休刊する年には、5万部代になっていて赤字雑誌でした。

1970年の赤軍によるよど号ハイジャック事件では声明文で

「我々は明日のジョーである」

と、「マガジン」に連載中の「あしたのジョー」(梶原一騎、ちばてつや)について書いています。

講談社編集部は、純粋に子どもが読む週刊少年漫画誌として、幼年向けの月刊誌「ぼくら」の誌名を週刊化しました。

連載の目玉は「タイガーマスク」(梶原一騎・辻なおき)、

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石森章太郎(当時)の今も続く名作「仮面ライダー」など、豪華なものでした。

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創刊からおよそ1年半で、「週刊少年マガジン」に統合される休刊となりました。

「週刊少年宝島」(JICC出版局 現・宝島社)

「サンデー」「マガジン」の創刊から遅れること27年。

JICC出版局が「週刊少年宝島」を創刊しました。

創刊号の部数は、驚かないでください。100万部です…!!!

正気の沙汰ではありません。

たとえば令和の現在に新しい「週刊少年誌」を創刊するとします。

連載は「SLUM DUNK」の続編、「鬼滅の刃」、手塚治虫がよみがえって「ブラック・ジャック」、などなどが掲載されたとしても100万部はだせません。

では、創刊号から爆発的に売れるという勝算が出版社にあったのか?

ありませんでした。

創刊号の表示をみても、大きな目玉作品、作家はありません。

発行部数で勝負したのです。

出版社にいると、錯覚をおこします。

とにかくたくさんの部数を発行し、書店の店頭で大々的に陳列されれば本は売れるのではないか? というものです。

こういった思いを抱くのは、編集者に多いです。

いい本を作っても書店での陳列がよくないから売れないのだ! という思いを持つのです。

では、100万部の「週刊少年宝島」はどうだったのか? 

大々的な書店展開となりましたが、実売は20%前後でした。

80万部が返品されたのです。

JICC出版局としては、返品が多くても問題ないほどの予算を確保していました。大きな部数を出し続ければ、読者がついてくると考えたのです。

現実はシビアでした。

80万部の返品を取次(出版業の問屋)が許すはずがありません。返品には費用も手間も膨大にかかります。

書店も迷惑を被ります。売れない雑誌の陳列で場所を取られますし、返品をしようにもすぐにはできないので、バックヤードも場所を取ります。

実際に取次からJICC出版局にクレームがはいりました。

「これからも発行を続けるなら、JICCの他の雑誌も取り扱わない」

という強硬なものでした。

結果、「週刊少年宝島」は12号(合併号があるので11冊)の短命で休刊しました。

この雑誌以降、「週刊少年誌」の創刊はありません。

②過去最高の発行部数

「週刊少年マガジン」(講談社)
→創刊号は20.5万部で、最高部数は1998(平成10)年の新年号の445万部。

「週刊少年サンデー」(小学館)
→創刊号は30万部で、最高部数は1983(昭和58)年の228万部。

「週刊少年キング」(少年画報社)
→創刊号は25万部で、最高部数は1975(昭和50)年の60万部弱。

「週刊少年ジャンプ」(集英社)
→創刊号は10.5万部で、最高発行部数は1995(平成7)年3・4合併号が653万部。

「週刊ぼくらマガジン」(講談社)
→創刊号も最高発行部数も、資料がありません。ご存知の方がいましたら、ぜひ教えてください。

「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)
→創刊号21万部、最高発行部数は1979(昭和54)年1月22・29合併号で250万部。

「週刊少年宝島」(JICC出版局 現・宝島社)
→創刊号の100万部が最高発行部数です。

③現在と休刊時の発行部数


日本雑誌協会が公表している、正確な発行部数です。

2021(令和3)年4~6月の数字です。

「週刊少年サンデー」小学館   196,667部
「週刊少年マガジン」講談社  518,333部
「週刊少年ジャンプ」集英社  1,404,167部

三誌の10年前の部数です(2011年4~6月)。

「週刊少年サンデー」小学館   605,000部
「週刊少年マガジン」講談社  1,491,500部
「週刊少年ジャンプ」集英社   2,825,000部


「サンデー」はこの10年間で-68%、「マガジン」は-65%、「ジャンプ」も-51%と急激に下がっています。

現在も刊行している「チャンピオン」は部数を公表していません。

書店での売り上げや書店員からの話による推測ですが、サンデーの7割ほどと考えられます。

すると、「チャンピオン」の発行部数は15万部前後でしょう。

「サンデー」「チャンピオン」ともに休刊の分水嶺まできています。

では、残りの「週刊少年誌」の休刊時の部数についてです。

「キング」について、「別冊宝島288 70年代マンガ大百科」で元編集長の戸田利吉郎さんのインタビューが載っています。



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戸田編集長いわく、30万部は発行していないと利益がでない仕組みですが、最終的には22万部まで落ち、休刊判断となったとのことです。

「週刊ぼくらマガジン」については、まったく資料がありません。

「週刊少年宝島」は創刊号が100万部で、返品率が80%あったと先述しましたが、最終号の部数については資料がありません。

ただ、雑誌の部数は取次(問屋)と数号先まで決めています。取次がトラックや鉄道の輸送を確保する必要があるためです。

ですので、最終号も実売部数にはふさわしくない多くの部数が発行されていたと推測されます。

まとめ

「週刊少年誌」は、1986(昭和61)年の「週刊少年宝島」を最後に創刊がありません。

「サンデー」「マガジン」「ジャンプ」の部数が下げ止まらず、電子コミックの売り上げが紙のコミックを上回った現状では、「週刊少年誌」の創刊は考えられないでしょう。

雑誌を買う習慣が10代、20代の若者にありませんが、「マガジン」や「ジャンプ」の最盛期に雑誌を買っていた世代もその習慣がなくなってしまいました。



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