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さいとう・たかをの貸本漫画の原稿料と発行部数・実売部数について

「ゴルゴ13」のさいとう・たかをさん、

デビューは貸本漫画です。

大阪の八興出版社・日の丸文庫から

「空気男爵」を 出しました。

19歳の時です。

理容師をしながら、

一年かけて描きあげたのです。

さいとう 文中

辰巳ヨシヒロさんや松本正彦さんらと

短編誌「影」に執筆し、

貸本漫画界のスターダムにのし上がります。

当時の原稿料について、

「オレのまんが道」(小学館)にあります。

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インタビューに答えています。

「日の丸文庫では、ほかの売れっ子作家が原稿料600円の時に、私は千円でしたから。」

一ページの原稿料です。

「空気男爵」で単行本デビューしたのが1955(昭和30)年。

大卒初任給が10,000円もなかった時代なので、毎月10ページも書けば暮らせたのです。

では、高い原稿料をもらっていたさいとう・たかをさんの作品がどれだけ売れていたのか? についても「オレのまんが道」に書かれています。

『「探偵屋・台風五郎」の発表もプロダクション設立の年。貸し本衰退の中で、先生の単行本は健闘した。全24冊に及ぶ「台風五郎」は必ず7千部は売れた。」

プロダクションは1960(昭和35)年に設立です。

この7,000部のすごさは、青林堂の長井勝一社長の著書『「ガロ」編集長 私の戦後マンガ出版史』(ちくま文庫)に詳しいです。

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『当時、日の丸文庫が「影」という雑誌形式の単行本で九千部を出していたというが、これは特殊な例で、単行本だったら二、三千部というのが相場だった。四千出たら、大人気の作家というのが業界の常識だったのである。それに対して「忍者武芸帳」は六千である。」

「忍者武芸帳」は白土三平さんの作品です。

「台風五郎」は7,000部は売れたので、発行部数は8,000~9,000部はあったでしょう。

これだけ売れたので、儲けました。

「ほんの2年ぐらいの間に、当時で、200万円貯まりましたよ。」

この資金をもとに、劇画誌「ゴリラマガジン」を創刊したのです。

劇画や貸本、赤本の原稿料や部数については、こちらのブログも参考にしてください。




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