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手塚治虫がトキワ荘に住んだ理由と仲間について

手塚治虫さんはトキワ荘にいちばんはじめに

住んだ漫画家です。

トキワ荘に住んだ理由は、「漫画少年」の出版社・

学童社の加藤宏泰さん(加藤謙一さんの息子)が

住んでいて紹介された、というのがもっとも有名です。

今回、もうひとつの理由をしることができました。

「藤子不二雄A監修 まんが道大解剖」に書いてありました。

「52年に上京して住んだ四谷三丁目の

八百屋の二階の六畳間から転居することになり、

アパートを探す条件として手塚が学童社の

編集者にあげたのは『西武線沿線』であった。」

トキワ荘は東京都豊島区にあり、

最寄り駅は西武池袋線の椎名町駅です。

西部線沿線の理由について書かれています。

「西武線沿線を条件にしたのは沿線に、

当時手塚が入っていた東京児童漫画会の

メンバーが多く住んでいたからだ。」

東京児童漫画会については、

このブログを参考にしてください。

会長の島田啓三さんや親友の馬場のぼるさん、

山口あきらさん、茨木啓一さんらが

西部線沿線に住んでいたのです。

手塚治虫さんはトキワ荘メンバーから神と崇められ、

若手を背中でひっぱっているイメージです。

そんな手塚治虫さんも、

仲間と同じところに住みたい、

という気持ちがあったのです。

あたらしい発見でした!

トキワ荘に入居したメンバーとその時期を

まとめました。

トキワ荘に住んでいた漫画家は12名。

「手塚治虫」1953初頭~1954/10

「寺田ヒロオ」1953/12/31~1957/6/20

「藤子・F・不二雄」1954/10/30~1961/10

「藤子不二雄A」1954/10/30~1961/10

「鈴木伸一」1955/9/2~1956/6/1

「森安なおや」1956/2~1956末

「石ノ森章太郎」1956/5/4~1961末

「赤塚不二夫」1956/5/4~1961/10

「よこたとくお」1958~1961

「水野英子」1958/3~1958/10

「山内ジョージ」1960/9~1962/3

「向さすけ」1981~1982






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