フットボールにおける作戦術概論
皆さんこんにちは。上原力也を信じろです。
前回「作戦勝ち」という概念について将棋との類比をしながらお話しました。本論ではそもそも作戦とは何なのか、という部分を軍事思想と共にお伝えし、「フットボールにおける作戦術」というものを考察し、よりフットボールというスポーツの理解を深めていけたらなと思います。
【目次】
■戦闘教義と戦術
■作戦術とは
■理想と現実について
■まとめ
【戦闘教義と戦術】
軍事において戦闘教義(ドクトリン)と戦術は密接に関わっており、その中でも戦闘教義は極めて重要なものとなっている。戦闘教義なくして戦術の実践は不可能であり、新たな戦術の実践から戦闘教義を得ようとするといった行為には多くの犠牲を伴うものであるのは歴史が証明する事実である。
戦闘教義の概要
( wiki →https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%97%98%E6%95%99%E7%BE%A9 )
軍事学において教義(doctrine)とは普遍的な原理原則のなかでも部隊編制や装備体系、仮想敵の特性、予想される戦場の環境などを考慮しながら何を重視するかを定めるものである。その最も基本的な問題とは部隊を戦闘において戦わせる方法である。
(中略)
戦局において迅速な判断が迫られたり通信・通報が途絶したりする場面において、他の部隊と連携し有機的に活動をおこなうためには予め想定された行動指針や判断指針が必要となる。武器の選択や兵科の構成もこれら予め想定された行動指針(原則・教書:doctrine)に沿うように編成される。隊列(formation)や部隊・兵による役割分担は積極活動における最も元素的な戦闘教義である。また部隊損耗率の3割で撤収可能、5割で降伏可能などと取り決めておくことなどもドクトリンの一種である。
教義は軍隊が作戦・戦闘を遂行するための具体的な構想を戦略や戦術の概念からまとめたものであり、その軍隊における学術的な研究だけでなく、実戦的な演習の基礎となるものである。
フットボールにおいてこれは「ゲームモデル」と表現される事が多いかとおもう。現代のフットボールクラブでは試合をするにあたって、既存の戦術パターンからどれを選び、どれを捨てるのか、選手の特性はどうか、といったことを勘案し方針を策定する。そうして作り上げられた「ゲームモデル」に則ってフォーメーションが決まり、トレーニングをし、ピッチ上で戦術を表現していくこととなるのである。
実際の戦争ほどドクトリンの有無が勝敗を分けるということはフットボールにはないとは思うが、傾向として戦闘教義がきちんとあるクラブの方が作戦勝ちしやすいと私は考察している。戦術的ピリオダイゼーション理論も、ポジショナルフットボール理論も、言葉ばかりが独り歩きしているのが目に入るが、これらが戦闘教義(ゲームモデル)ありきで存在し実践されるべきであるということは明記しておきたい。
【作戦術とは】
軍事学における作戦術は、ソヴィエト連邦陸軍大学校教官のアレクサンドル・スヴェーチンが1920年に提唱したもので、概要は以下の通り
作戦術(さくせんじゅつ Art of operations)とは戦争を指導する戦略の下位、そして戦闘を指導する戦術の上位において、作戦を指導する技術(Art)を指す概念である。
作戦術の概念が成立した背景には戦争の形態的変化がある。戦争においては一般に戦役(方面作戦、Campaign)の概念が軍事戦略の対象とされていた。戦役とは大規模な部隊による攻勢作戦または防御作戦によって生じる諸々の戦闘行動を包括する概念である。近代において戦争の規模や期間が徐々に拡大するにつれて戦役の一部が重要視されるような状況が生まれた。作戦(Operation)はこの戦役の一部を構成する諸々の戦闘行動であり、これを指導する技術が作戦術であると考えられている。
本概念の重要なポイントは「作戦」とは戦略と戦術の中間に位置していると定義しているところで、大雑把で将来を見据えた「戦略」と現実として実践できる(ないし実践すべく教練をつんでいる)「戦術」を繋げる概念となっている。戦術目標というのが小さな目標の積み重ねであることはフットボールファン諸兄にも想像に易いと思う。がしかし、それらの多くは手段であり、(なるべくボールを保持する、アイソレーションを作る、活かす……etc.)それが目的となって本来のゴールするという目的を見失ってはいけない。そういった「手段と目的の逆転問題」は多くのフットボールファンの頭を悩ませる種だと思う。
それらを解決する思考プロセスとして、軍事理論の「作戦術」は流用できると私は考えている。チームが何を目的とし、どのような手段を取ろうとしているのか?試合中の戦術目標の推移と達成率から、チームとしての作戦の評価はどうか?これらを思考しながら試合を見ると早い段階で試合としての結論が生まれ、試合中であってもハーフタイムの修正なども含めてより深い部分まで仮説を膨らませることが出来るのではないかと思う。本論の方が些か概念的ではあると思うが、前回記事の「作戦勝ち」という概念も、「作戦術」という思想と多くの部分で共通点があると思う。
戦術(局面ごとの手段)
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作戦(ゲームプラン:それら戦術の推移による成果)
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結果
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戦略(マネジメント、結果等の包括的な方針)
フットボールと「戦闘教義」「作戦術」という2つの概念との類比により、昨今多くのフットボールクラスタが口々にする「ゲームモデル」「フィロソフィー」「戦術」についてより理解が深められたのではないかと思う。概念的すぎて言語化が難しいものが他の学問との類比により言語化できるようになり理解が深まるというのは非常に嬉しいことだと私は思う。
【理想と現実について】
フットボールにおいて頻繁に起こり得る議論が「理想と現実」の対立である。私としてはなんと浅はかな議論か……と溜息が出るようなものであるのだが、本論を通じて如何にそれが不毛かを考えていきたいと思う。
そもそも大前提として「結果は現実であり戦術は理想であるのか?」という部分から考えてみる。本論で話したように戦術は作戦の為にあり、作戦は結果のためにある。フットボールはカオスなスポーツで「複雑系」とも言われているが、その不確定要素を少しでも取り除き、システマチックに戦って勝率を高めようとしたのが現代のフットボールだ。
当然人間がやっているのだからプラン通りにとは行かないこともある(やり始めはむしろ上手くいく方が稀)。ミスでチームが負けてしまうこともある。どれだけ深く準備しても全局面を網羅することは不可能なのだから、未知の局面が多ければ多い程選手達が分からなくなって判断を間違えるリスクも増える。であるからこそ既知の局面を増やし徹底的に準備しようということから「ゲームモデル」という概念が必要になってくるわけだ。
そう考えると結論は自ずと湧いてくる。それは
結果も戦術も現実に起きているということ
である。
試合をする上で勝つ為の作戦も、その中で起きる数多くの局面での戦術も、そしてその結末も全てが現実に起きていることであり、結果が大事で戦術は必要ないだとか、戦術が大事で結果が意味無いだとか、二元論的な対立は全く意味を持たない。結果だけを見て論じたいのであれば〇✕ゲームでもやっていればよいのだ。重要なのは既知の局面の積み重ねでありチームとしての戦闘教義をより深くすることなのだ。
【まとめ】
作戦術、如何でしたでしょうか。今回も前回に引き続き戦術クラスタ批判問題にも少し触れた内容になりました。
必要十分条件さえ分かればそれ程揉める議論では無いと思いますが、喧嘩したいだけの人や、己の信念の絶対性を信じてやまない(にも関わらず正しさの承認を求める)人達によって「どちらが正しく、どちらを重視すべきか」という二元論的な論争になってしまっているのだろうなと見ていて思います。
本論を通じてフットボールファンの皆様により多角的に、尚且つ有益な議論ができるような土壌が生まれることを期待します。
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