『旅はうまくいかない』⑲
チェコ編⑲「旅の最後に」
遅延もなく無事にモスクワに到着した。おまけに乗り継ぎのカウンターには誰も並んでいる人がいなかった。
コピーされたバウチャーを出すとすぐに成田までの航空券を発券してくれた。そして次に向かうパスポートコントロールも並んでいるのは数人で、十分も待たずに通過できた。もちろん荷物検査も待つことはない。
「えっ、これで終わりなの?」と妻が言った。
これが悪名高きモスクワでのトランジットなのだろうか。話に聞いていたのとはまったく違った。並びもしなかったし、押し合いへし合いもない。とにかく平和に自然の流れでスムーズにいってしまったのだ。きっと朝早いことに関係があるのかもしれない。同じ時間に到着した飛行機がほとんどいなかったのだ。
「やっぱりツイてるな、俺たち」と僕は言った。
自分のことが無事に済むと、三時間後にやってくるP君のことが気になった。彼は乗り換えに二時間半ほどしかないのだ。すぐに空港の無料Wi-FiにつなぐとP君にメールを送った。 すると定刻に飛行機が飛びそうだと返信が来た。よかった。これで一安心だ。
さて、これからどうしようか。次の飛行機まで五時間以上ある。早く着いたのはいいが、あまりにも早すぎる。何をすればいいのか考えていなかったのだ。
仕方なく僕らはゆっくりとお土産屋を見て回ることにした。途中の店で妻が、プーチンのマグネットを買ったが、それでも時間は余りに余っている。本来なら飛行機の乗り場まで走って向かわなければならなかったかもしれないのに。
ぶらぶらとお店を見て回ったが、まだ一時間ほどしか経っていない。僕らはファーストフード店でビールとハンバーガーを買い、それをゆっくりと食べた。
「これで成田までの飛行機がちゃんと定刻通りに飛んだら、ある意味で理想的な旅だよな」と僕は言った。
行きも帰りも予定通りにはいかなかった。だが、その予定通りにいかないことが、この旅を豊かにしたとも言えた。無事に済んでしまえば、それはそれでよかったと思える。
「まだ油断しちゃダメよ。いつも何かいいことがあると、悪いことがすぐにおきたじゃない。飛行機は飛んでも、ロストバゲージすることもあるから」と妻が言った。
僕らはここで二時間ほど過ごしてから、搭乗口に行くことにした。そろそろP君がやってくる頃だったからだ。それと先にモスクワに向かった家族三人のことも気になっていた。僕らも一緒にモスクワで泊まると言った手前、それができなかったことに少しだが罪悪感を感じていたのだ。
搭乗口に着いたが、まだ日本人の乗客は誰も来ていないようだった。僕らが一番乗りだ。ベンチにすわってしばらく休憩することにした。やっと日本に帰れると思うとホッとする。
すると人混みの中にP君の姿が見えた。僕はすぐに手を振った。P君も気がついたらしく手を振りかえしてくれる。
「よかったね。間に合って」と僕は言った。「トランジットはすぐにできたの?」
「パスポートコントロールは少し並んでましたけど、それほどでもなかったです」
「それはよかった」
僕とP君はかたく握手をした。するとP君は鞄の中から、柿の種を取り出してボリボリと食べ始めた。その柿の種は昨日僕があげたものだった。
「モスクワで無事にお二人に再会したら、これを食べようと楽しみにしてたんです」
昨晩のカップラーメンと同じようにP君は本当に美味しそうに柿の種を食べてくれた。その喜ぶ姿を見て、僕らが喜ばないわけはない。それに一緒に日本まで帰れるのだ。
P君と旅の話で盛り上がっていると、後ろのベンチに座っていた男性が僕に声を掛けてきた。
「あの、旅慣れているようなので、お聞きしたいのですが」と彼は言った。
それは航空券に関するものだった。だが、僕らも航空券に書かれている番号が何を意味するのか、しっかりとは分からないので答えようがなかった。
「あの〜どちらからの乗り継ぎなんですか?」と今度は僕が尋ねた。
「パレスティナからです」
僕はその言葉を聞いて驚いてしまった。その男性はイスラエルからとは言わずパレスティナからと言ったからだ。パレスティナはイスラエルと領有権争いをしている。僕らの耳に入ってくる情報はテロのことばかりだ。安全な場所だとはとても思えなかった。
「あの失礼ですが、どうしてパレスティナへ」
そう質問せずにはいられなかった。パレスティナへ行ったことがある人に会えるなんてまずないからだ。
「友人がいるんです。私はキリスト教関係の仕事をしていまして、あっちに友人がいるんです」と彼は言った。
「パレスティナにキリスト教の方がいるんですか?」
「少ないですがいるんですよ。みんなパレスティナの人がすべてイスラム教徒だと思っていますが、そうじゃないんです」
「どんな生活なんですか?」
「慎ましやかな生活です。住んでる場所のまわりにどんどんイスラエル人が入植してきて、水も電気も止められているんです。もう酷いイジメですよ。嫌がらせもたびたび受けていました」
「そうなんですか。そんなこと日本じゃまったく知ることができないですね」
「すべて西側の、それもアメリカからの情報ですからね。パレスティナ=テロ組織ですから」
ユダヤ人たちが、パレスティナの人々を虐げている。このことを聞いて、僕は昨年に行ったアウシュビッツのことを思い出した。あれほど自分たちが迫害を受けたのに、今度は迫害する側にまわっているのだ。人間というものの矛盾を感じずにはいられない。
それから三十分ほど、僕は熱心に彼が実際に見たパレスティナでの生活について聞いた。そして最後にこう質問した。
「イスラエルの問題はいつか解決すると思いますか?」
「難しいです。ですが、やられてもやり返さない、キリスト教の彼らのその精神が解決のきっかけになってくれるかもしれません。そう願っています」
それはキリスト教徒らしい意見だった。敵を憎まず、敵を愛せと言うのだ。僕にはそんなことができるようには思えなかった。だが、やり返し合えば、一生そのやり返しが続くこともわかっていた。憎しみの連鎖だ。
そのとき、プラハで別れた家族がやってきた。僕が手を振ると向こうも気がついたようだ。
「すみません。僕らもモスクワに行くと言ったんですが、あれから手違いでプラハに残ることになったんです」と僕は謝った。
「それが正解でしたよ。私たちは悲惨な目にあいましたから」と彼女は言った。
ビザがなくては入国できないロシアでの一泊は不自由なことばかりだったそうだ。彼女たち家族三人は、二時間遅れでモスクワに到着した。そこですぐにホテルへ行けると思っていたら、それから六時間ほど空港で待たされ、ホテルについたのは午前零時をまわっていたそうだ。
「古い共産主義の世界を嫌というほど見ましたよ」と彼女の父親はうんざりした表情で言った。
とにかく官僚的でなんの融通も効かないのだ。食事は全員そろって監視のもと行われ、部屋からはほとんど出ることができない。おまけに空港へ戻るための迎えがなかなか来なかったそうだ。
「飛行機に乗り遅れて、もう一泊ここでするのかと思いました」と彼女は言った。
その表情は疲れ切っていた。ホテルの人に、なんで迎えが来ないんだ、と言ってもまったく取り合ってもらえず、アエロフロートの人に聞いてくれと言うばかりなんだそうだ。やっとギリギリの時間になってやってきてもその相手は謝りもしない。
「もううんざりです。こんなことなら一緒にプラハに残ればよかったです」
僕も妻もその話を聞いて、自分たちの選択が正しかったことに納得した。
「あの人たちが空港で六時間も待っている間、おふたりは大人のおもちゃ屋さんにいたんですよ」とP君が笑いながら言った。
そうだ。このP君のおかげで僕らはプラハに残ることになった。もしあのとき話し掛けられなければ、僕が勘違いしなければ、モスクワで酷い目にあっていただろう。そう考えると人との出会いがすべてを変えてしまったのだ。
「ラッキーだったな、俺たち」と僕はしみじみと妻に言った。
「うん、そう思う」と妻も。
飛行機は定刻に飛ぶらしい。やっと日本に帰れるのだ。僕はふとこの旅で出会い話をした人たちのことを思いだしていた。
ブリティッシュエアウェイズに変更してくれた成田空港の職員の男性、いっしょに乾杯してくれたゲイのカップル、肉屋で隣に座った大柄なチェコ人、切符を買うのを手伝ってくれたおばさん、まっ裸で挨拶してくれたサウナの女の子、喧嘩したミクロフ城の売店のおばさん、チェコ語とドイツ語しか話せない駅員さん、空港で出会った娘さんとその両親、パレスティナへ行っていた男性、そしてP君。 本当に様々な人と出会いそして別れた。たった一週間だと言うのに、一年分の出会いがあったような気がする。
僕は旅の最後にP君とこんな話をした。
「今回の旅で本当にいろんな人と話をしたよ。チェコ人っていうのは本当にオープンな性格の人たちなんだね」と僕は言った。するとP君は、
「チェコに来た日本人で、そんなことを言う人を僕は知りませんよ。どちらかと言うとチェコ人はシャイで閉鎖的で異国の人に積極的に話しかけたりしませんから」と教えてくれた。
どうやら僕と妻だけが特別な経験をしたのかもしれない。だが、それが僕らの感じたチェコだった。チェコは僕らに開かれていたのだ。
「お二人の心がよっぽど開かれているんですね」とP君は僕らに言った。
つまりチェコが開かれているのではなく、僕らの心が開かれていると言うのだ。そうなのだろうか。そうだったら、僕らにとってこの旅は成功だと言えた。
有名な観光地に行かず、お前たちはチェコで何を見てきたんだ、と言われてもおかしくないつまらない旅だ。僕らの旅に高尚な目的などない。お金を使った無駄な時間とも言える。
このチェコ・プラハの旅もそろそろ終わろうとしている。また一つ、妻と共有できる思い出ができた。これ以上望むものは何もない。それだけでいいじゃないか。
僕は妻の顔を見つめた。そして、こう尋ねた。「次はどこに行こうか?」と。