『旅はうまくいかない』⑰
チェコ編⑰「さらにもう一泊」
「え、チェコのプロ野球でプレーしてたの?」と僕は思わず聞き返してしまった。
「そうなんです。野球をやってた、と大学の友人に言ったら、できる場所があるって連れていかれた所が、プロ野球だったんです。一ヶ月間練習に出ていたんですが、まったく気がつかなくて、試合の球場にあるスポンサーの広告を見て、何か変だな、とそれで『もしかして、これってプロなの?』って」
僕らはP君の話に大笑いした。飛行機が遅延したおかげで知り合ったP君は、日本体育大学の四年生で現在二十三歳、チェコには障害者スポーツを学ぶために来ていた。
「子供の頃から野球をやっていて自信はあったんですが、まさかチェコに来てプロ野球をやるとは思いませんでした」
チェコの野球は日本に比べるとレベルが高いとは言えないが、それなりに人気があるようだ。
P君は一年いた留学生活の土日のほとんどは試合をしていたらしい。それは他の留学生にはない特別な経験だったに違いない。彼はチームの中でも愛されていたようで、仲間から自分の姿がプリントされたTシャツをプレゼントされていた。それを着て日本に帰る予定だったが、一日のびてしまったことを残念がっていた。
P君は本当によくしゃべった。たぶん一年間日本語を使っていなかったから、話したくて仕方がなかったのだろう。これらの話は本来なら彼の両親が一番はじめに聞くはずだったものだ。僕らの息子だと言ってもおかしくない年齢のP君を見てそう思わずにはいられなかった。
「僕はチェコに来てから、何かするときは、いつも最悪を想定してるんです」とP君は言った。「だから今回の飛行機の件も、最悪、別のチケットを買い直すことも想定してましたから、ぜんぜん平気です」
そういう考え方はチェコに来てから身についたことらしい。話を聞くと彼の留学生活は最初からドタバタだった。何しろ初日から大学の寮のエレベーターに半日閉じ込められたのだ。運悪く、まだ新学期は始まっておらず、寮には誰もいなかった。
真っ暗な中、何時間も助けがない状態を想像すると、ぞっとした。運良く救出されたが、もしかすると当分発見されなかった可能性もあった。チェコのエレベーターはおそるべしである。
僕らが、プラハに向かう列車の冷房が効いていなくて降ろされた話をすると、P君はバスの冷房が効かず熱中症になった話をしてくれた。
「僕は後ろの席でぜんぜん風がこなくて、そのうちクラクラきて倒れてしまったんです」
どうやらこの国では冷房設備が貧弱で今回のような熱波のときはまったく役に立たなくなってしまうらしい。
特に列車やバスのような乗り物で古い車両のときは危険だ。ずっとヨーロッパの夏は快適だと思っていたが、これだと夏に来ることは避けた方がいいのかもしれない。むしろ冬の方が快適に列車旅行ができそうだ。
話は留学先の大学の話になった。P君の通っていた大学は、様々な国から留学生を受け入れていた。そこで一番衝撃を受けたのがスペイン人たちだったそうだ。
とにかく陽気で、勉強が忙しいのに毎日毎日飲み歩く。おまけに馬鹿騒ぎが大好きで寮の部屋で花火をする輩もいた。今回僕もプラハへの列車の中で陽気なスペイン人を見ていたので、それには大いに納得できた。
P君の話の中で一番スペイン人を最もよく表している話が本当に面白かった。それはP君がチェコ人からうけた人種差別にまつわるものだった。
「僕が店でビールを飲んでいると、後ろからゴミを投げつけてくるチェコ人の三人組がいたんです。やめろ、と言っても彼らは笑いながら執拗にゴミをぶつけてくるんです。それでついに僕も怒って彼らに文句を言ったら、ちょっと掴み合いの喧嘩になったんです。そのとき、一緒に来ていたスペイン人が僕よりも猛烈に怒ったんです」
僕はその話を聞いて、スペイン人がそんなに人種差別にうるさいとは思わなかった、と感心してしまった。だが、話はそうでなかったのだ。
「僕のことを思って、そんなに怒ってくれるなんて、と感動していたら、そうじゃなかったんです。スペイン人たちの言っていることをよく聞いみると、『この野郎、俺たちの楽しい時間を壊しやがって、ゆるさねぇ』とか言ってるんですよ」
僕らは笑わずにはいられなかった。つまりスペイン人は人種差別問題よりも楽しいことの方が大事なのだ。
馬鹿馬鹿しいエピソードなのだが、真面目なP君にとっては、このスペイン人の考え方には学ぶところが多いにあったようで、自分もスペイン人のように生きたいと言っていた。
だが、それはそれで問題のような気がする。僕はスペインのマドリードの日本料理屋で働いていた日本人の女性の言葉を思い出したからだ。
「とにかくスペイン人は馬鹿なんです。この国に来てわかったことはそれだけです」と。
僕らは本当によくしゃべった。気がつくと空港のファーストフード店に四時間ほどいた。そろそろホテルへ行こうということになった。
ホテルは空港の目の前にある高級ホテルだったので、何の問題もなかった。それにP君は僕らよりも英語が堪能なので、あれこれと通訳の役もやってくれた。
「どうやらホテルは別のところになるようです。すぐにそのホテルから迎えが来るそうです」
アエロフロートのエコノミー客には、マリオットホテルみたいな高級ホテルを提供しないのかもしれない。また肩透かしをくらった気分になった。
ホテルは空港から車で五分ほどのところにあった。周りには店など何もない。だが、ホテルのレベルはまずまずで部屋も清潔で大きかった。
僕らはP君と夕食を一緒に食べる約束をして、それぞれの部屋で休憩することにした。P君はプラハから離れた場所からバスに乗ってやってきたために疲れているようだった。
「僕はしばらくホテルで昼寝します」とP君は言った。
僕と妻はシャワーを浴びてさっぱりすると、しばらくベットに転がった。すると急に今回の選択が正しかったかどうかが不安になってきた。
もし明日もプラハからの飛行機が飛ばなかったら、ここにもう一泊することになるのだろう。モスクワに行っていれば、少なくとも明日には日本へ帰ることができた。
「でもP君みたいにいい子と友達になれたんだから、いいじゃない」と妻が言った。
「それにあなたは運がいいでしょ」
災い転じて福となす、この言葉が今回の旅にはぴったりだった。そう考えると今回もうまくいくかもしれない。僕はなんだかじっとしていれなくて、散歩に行ってくる、と妻に言った。
「あ、私も行く、化粧するから待って」
せっかく知らないところに来ているのだから、まわりを調べないわけにはいかない。たとえ何もなくても、それがわかるだけでもいい。
僕らはホテルを出た。さてどっちに行こうか、右に行けば先程までいた空港にたどり着くのはわかっていた。それならば左に行こう。
一本の道がプラハの中心部に向かって伸びている。タクシーやバスが走っていく。道の両側にはポツンポツンと建物がある。ホテルや空港に関わる人々の住まいかもしれない。五分ほど歩いたが何もないようだ。
「どうする、引返す?」と妻が言う。
僕はもう少し歩いてみたかった。遠くをみると看板がずらりと並んだ建物が見える。「あれ、もしかしたらショッピングモールかもしれないな、行ってみようよ」と僕は言った。
それから十分ほど歩いて、目的の建物にたどりついた。思ったとおりショッピングモールのようだ。中に入ると広い。二階もあるようだ。
金曜日の午後とあってショッピングモールはすいていた。日本のものと変わらない。洋服や靴のお店などが並んでいる。しかし決定的に違うものがあった。それは大人のオモチャを売る店だった。
どうしてこんなショッピングモールにあるのだろうか、それも斜め前には子供たちが遊ぶフロアーだ。
「なぁ、入ってみないか」と僕が言うと妻は嫌な顔をした。
「嫌よ、一人で入ってよ」
「見ておいた方がいいよ、いいから一緒に行こう」と僕は無理やり妻の手を引いた。
店の入り口は衝立があり、中の様子は見れなくなっていた。それを周りこむようにして中に入る。
そして驚いた。店員が美して若い女性だったからだ。彼女は何かチェコ語で言ったが、僕らが理解できないのがわかると諦めたのか、どうぞ、と招き入れてくれた。彼女は何を言いたかったのだろう。気になったが英語はできないようなので、諦めることにした。中は思ったとおり、性玩具であふれていた。それも女性が使う物がほとんどだ。僕らは一通り眺めると、サンキューと言って店を出た。
面白いものである。こんな公共の場に店があることを考えると、チェコは性に対してオープンなのかもしれない。そして働いているのが若い女性なのだ。日本でもこのような店に行ったことがあるが、店員はほとんど男性だ。品揃えからも考えると、女の人が買いに来ることは間違いない。きっとそうだろう。妙に納得するものがあった。
なんだか今日飛行機に乗らなかったことで、新しい発見があって嬉しかった。
その後はスーパーマーケットをまわり、ビールや水を買った。妻はワインの安さに驚いて、何本か買おうかと考えたが、明日の朝には飛行機に乗ることを考えて諦めることにしたようだ。
なんでもないショッピングモールではあったが、観光地よりも地元の人々の生活が見られたことで、僕らのテンションは上がっていた。
いつのまにか明日の飛行機の不安は消え去っていた。
明日のことは、また明日になってから考えよう、そう思うことにしたのだ。