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「違くない」は、違わないか。若者に響く軽やかな形容詞化

「違くない」、「違かった」――。最近、よく耳にする言葉だ。しかし、正しい表現とは思えない。きっと違和感を覚える人もいるだろう。

品詞分解してみると…

起きている現象を端的に述べると、ワ行五段活用の動詞『違う』が形容詞化し、例えば「違わない」と表現すべきものが、「違くない」になった。

20200620_違くない。違かった。_7_動詞の説明

20200620_違くない。違かった。_1

解説、終わり!

と、これで終わってしまうと日本語を学ぶチャンスを逃してしまうので、もう少し分析してみよう。

「違くない」という言葉が「形容詞化」して生まれたというのは分かったが、きちんと「形容詞」になっているのだろうか。文法としての正しさを探るため、「違くない」を品詞分解してみよう。

ただ、品詞分解というと、古典の授業で思考停止に陥った方も多いはず。さらっと流してもらって構わない。

20200620_違くない。違かった。_2_品詞分解

「違くない」を品詞分解したのが上の図だ。形容詞化した形容詞『違い』の連用形「違く」に、補助形容詞『ない』が付いたと考えられる。きちんと説明できる。違和感だらけの表現ながら、文法としては破綻していない

20200620_違くない。違かった。_3_品詞分解

本来の「違わない」も品詞分解してみた。上の図の通りで、ワ行五段活用の動詞『違う』の未然形に、未然形接続の助動詞『ない』の終止形がくっついている。当然ながら、何ら問題はない。

2000年頃には指摘されていた

この言葉、よく耳にするようになったのは最近だと思われるが、「誤用では?」という指摘は以前からあった。NHK放送文化研究所は今から20年前の2000年10月1日付のウェブサイト記事で、塩田雄大主任研究員が次のように記している。

「違くない」「違かった」「違くて」という言い方は、最近とても増えています。これがふさわしくない理由は、「違う」が形容詞ではなくて動詞だからです。
(中略)「違う」は活用の上では動詞でも、何かが動いたり止まったりするものではなく、「同じではない」という状況を説明するときに用いられるものなので、意味の上では形容詞に非常に近いのです(英語のdifferentは形容詞です)。そこで、動詞である「違う」を形容詞ふうに「違い」とし、無理やり活用させたのが「違クない、違カッた、違クて」なのです。
放送では、ことばの変化をあえて先取りする必要はありません。伝統的な形を強くお勧めします。
(出典:NHK放送文化研究所。※太字は筆者注記)

辞書は否定派、消極的容認派に分かれる

辞書はどのように扱っているのか。手持ちの辞書や電子辞書で調べてみたところ、広辞苑第六版(岩波書店)、精選版日本国語大辞典(精選日国、小学館)、新明解国語辞典第七版(三省堂)には関連する項目は見つからなかった。

言及していたのは、「誤用」とはっきり書いていた明鏡国語辞典第二版(大修館書店)と、「若者語」として記述していた大辞林(スーパー大辞林、三省堂)だった。

明鏡は誤りやすい日本語や敬語などを積極的に取り上げるという方針があり、さまざまな誤用を分かりやすい例文とともに掲載している。「違く」も編者の目にとまったようで、「違う」の項目内に注記を加えている。

20200620_違くない。違かった。_4_明鏡の説明

上が明鏡の内容(電子辞書の記述を分かりやすくするために縦書きにした)。例文を出して誤用を説明する気合いの入れようである。

一方でスーパー大辞林は『若者語』として掲載している。全面的に肯定しているわけではないが、消極的ながら容認の姿勢だと言っていいだろう。

20200620_違くない。違かった。_5_大辞林の説明

大辞林は広辞苑と並ぶ規模の中型国語辞典で、広辞苑に比べて新語や外来語を早い段階から採用している。大辞林が採用する単語の中には一般化していくものもあれば、瞬間的な流行で終わってしまうものもあるが(※)、「違く」の場合はまだどちらとも言えない状態にある。

(※例えば「チョベリバ」「セカチュウ」といった単語も収録されている。なお、上図の中にある「4」という数字はアクセント)

ただ、広辞苑を含め他の辞書が収録していないほか、誤用としている辞書もあり、一般社会で使うのは現時点では不適切だと考えたほうがよさそうだ。NHKが指摘しているように、注意を払うべき単語であるのは間違いない。

微妙な違いが若者に受け入れられた?

20200620_違くない。違かった。_見出し用

若者の言葉という理解にある「違くない」や「違かった」。これを聞く機会が増えているように感じるのはなぜだろうか。最後は推論を述べるにとどめるが、言葉から受けるインパクトの違いに若者が敏感になってきているからだという仮説を唱えておこう。

ぜひ若者になったつもりで、想像してほしい。同年代の友人から何かしらのミスを指摘されたとき、「それ、違わないか?」と言われるのと、「それ、違くないか?」と言われるのとでは、若干、印象が違うと思う。

もちろん「違くないなんて表現があるかっ!」と怒髪天を衝くほどの感情が沸き起こるとか、そういう印象の違いを言っているのではない。あなたも「違く」を使っているピチピチの若者として想像してほしい。

前者が文語的で堅いのに比べ、「違くないか?」と言われたほうが、少しだけぼやけて聞こえると思う。「うるさいなぁ! ミスなんてしてないじゃないか!」という意味の怒りは、後者のほうが起きにくいはず。前者がきちんとした表現であるということも要因だが、音の感触の違いも大きい。

20200620_違くない。違かった。_6_発音

上の図で例示したのは「わ」と「く」の違い。

「わ」(Wa)は発音時に喉が震える有声音であるのに対し、「く」(Ku)は喉を震わさずに発音する無声音。息が抜けていくような音に変わるため、与える印象はソフトなものになる。また、ガ行の「が」とカ行の「く」という似た発音が続くため、それも柔らかな感触につながる。総じて「違くない」のほうが、くだけた表現かつソフトな表現というわけだ。

「違う」や「ない」といった言葉はそれぞれ否定的な意味が入るので、できれば穏やかに言いたいもの。特に近年はソーシャルメディアの発達でコミュニケーションの取り方が変わり、なるべく穏やかに言いたいという心理が働きがちだ。

とりわけ文字だけで伝える場合、無意識のうちに穏やかな表現を使ってしまう向きはある。炎上なんてした日には面倒どころの話ではなくなるので、そんな心理が「違くない」という表現を一般化させた可能性はありそう。

言葉は変化するものだが…

言葉は絶えず変化するもので、文法上も一応は説明できることから、使用そのものは否定できない。しかし、「誤用」だと指摘されていたり、「若者語」と言われていたりするため、従来の言葉を使う癖も身につけておこう。

「違かったり」は「違っていたり」、「違くない」は「違わない」。今のところは完成されている言葉を優先したいものだ。

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