タコ公園、北九州に11カ所! 火星人が残したメッセージか
北九州市内にはタコ公園がたくさんある。タコ公園とはコンクリート製のタコ型遊具がある公園のこと。足の部分がすべり台で、頭のあたりはちょっとした踊り場。そこから滑り降りたり、友だちとおしゃべりしたり、使い方は子どものアイデア次第。私が幼少期を過ごした小倉北区昭和町にもタコ公園があり、公園の正式名称は「昭和町公園」と言ったが、もっぱら「タコ公園」と呼ばれていた。
市内7区すべてに
冒頭に述べたように、北九州市にはなぜかたくさんのタコ公園がある。タコ公園は市のウェブサイトによると11カ所。近場への現地調査とストリートビューでの机上調査の両方によって、11カ所全ての2019年時点での現存も確認できた。
このうち、「大谷6号公園」と「山王二丁目南公園」はねじりハチマキをした気合いの入ったタイプ。「松寿山2号公園」は青色をした異色のタイプだ。また、和布刈(めかり)公園のものは日本最大級のタコという。日本最大級ということは、実質的に宇宙最大規模のタコ公園と言っていいはずだ。
リストには公園の規模を併記した。規模は、
総合公園 > 地区公園 >近隣公園 > 街区公園
といった具合。和布刈公園に関しては立地を考えて、「観光公園」とした。
これらからいくつもの特徴が分かる。
さすがにタコだけで一杯になりそうな狭い公園への設置はないものの、公園の規模に関係なく設置されているのは間違いない。また、公園の場所は住宅地にあったり、中心部にあったりと一定ではなく、タコだからといって海に関係がありそう場所への設置は和布刈公園だけだった。一方でスポーツが主要用途の広場タイプの公園や山林に近い緑地公園、平成以降に整備され始めたニュータウン内の公園への設置はなかった。
市内7区全てに1カ所以上あるのは偶然なのか、意図しているのかは分からない。ただ、この中でやや異端児的な「ねじりハチマキ」の2体がある大谷6号公園(戸畑区)と山王二丁目南公園(八幡東区)は距離としては近く、連鎖的に生まれた可能性はある。
いずれにしろコンクリートで大規模に造るのは高コスト。既製品ではないため工事にも時間は掛かる。よく見かける樹脂製のすべり台に比べれば長持ちはするはずだが、新しい住宅地への設置例が皆無であることからも、11カ所という数は大きくは変化しそうにない。
タコ公園ヒストリー
設置数の全国集計がないので断言はできないが、北九州市の11カ所はやはり突出して多い。タコ公園ウォッチャーたちが更新したとみられる「ウィキペディア」の項目でも、タコ公園が多いのは北九州市のほか、東京都足立区と浜松市くらいに限られる。
なぜ北九州市での設置が多いのか。インターネット上の資料では答えが見つからず、残念ながら図書館も休館中のためオフラインの資料に当たることもできなかった。
とはいえ大谷6号公園と山王二丁目南公園で似たような形ができたことは推理の手がかりになる。やはり「あの公園がタコにしたからうちもタコにしよう」というような流行りがあったはずで、連鎖したと考えると合点がいく。海に囲まれた市域の特徴から、遊具として好まれたのも間違いないだろう。(下の写真は特産の関門海峡タコを使った料理=ミクニワールドスタジアムのスタジアムグルメ)
そもそもタコのすべり台は1970年代以降、ぽつぽつと登場するようになった。このユニークな遊具を全国から受注しているのが、東京に本社を置く前田環境美術。都市公園や遊具の設計・設営を行っている会社で、同社のウェブサイトを覗くと「タコ」に至った経緯が解説してあった。
サイトによると、もともとはすべる場所の多い「石の山」を若い彫刻家が遊具として設計していた。この時点では遊具のモチーフはタコではなく、単なる「石の山」。機能としては十分だったが、作品を見た人が「頭を乗せたらタコになる」という発見をし、これが運命を決めることになったという。
とはいえ、すんなりとタコ化したわけではない。せっかくの作品をまさか「タコ」にするなんて、「自分の作品が価値を落としているような気がして」(サイト内の言葉)。
タコにしていいのやらと悩んで生まれたタコのすべり台。けれども愛らしい造形はすぐに受け入れられ、今や「住民の要請で残されたタコの山がいくつもあります」とのこと。一つとして同じものはなく、タコは一体一体、彫刻家が図面を引くオリジナルデザイン。その街の雰囲気にフィットするように丁寧に設計しているからこそ、親しまれる遊具になっていると言えよう。
【トンデモ】本当にタコなのか
いや、そもそもこれはタコなのだろうか。前田環境美術のサイトにあるように、タコを意図して造られたものに違いない。しかし、この形に親近感を覚えた火星人が為政者に働きかけて造らせたという可能性はないのだろうか(ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」的展開)。
「タコのすべり台が勝山公園や志井公園といったシンボリックな公園にあるのは分かるんですが、単なる街区公園の昭和町公園にあったり、1号公園じゃなくてわざわざ6号公園に設置したり、ちょっと妙ですよね」
疑問を唱えるのは、古代宇宙飛行士説の番組をBGM代わりに楽しんでいるという鳥類のシン・ウエッダー博士だ。わざわざ小さな公園にまでタコのすべり台を設置したのには「別の意味があるのではないか」と博士は推察する。
「地球に住み着いた火星人が、自分たちの母なる星の記憶を後世に伝えるために、密かに北九州市に命じて作らせたんですよ。北九州市を選んだのは、地形が火星と似ているからでしょう」
本当にそんなことがありえるのだろうか。ウエッダー博士のトンデモ理論を代わりに証明するため、アメリカ航空宇宙局(NASA)が公開している火星の地形図を『恣意的』に10度傾けて合成してみたのが次の図だ。
なるほど、たしかに火星の特徴的な地形と何カ所か当てはまる場所がある。火星最大の火山「オリンポス山」と若松区の今光東公園、「タルシス三山」(山脈)と三つ並んだ公園の位置はほとんど一致する。いや、一致するようにわざと10度傾けて拡大しただけだが、ウエッダー博士は得意げに答える。
「今光東、新堤、大谷6号、山王二丁目南の四つの公園は、地図を重ね合わせるための目印なんですよ。今光東をオリンポス山、ほかの三つをタルシス山脈に合わせれば、彼らには分かる秘密のメッセージが浮かび上がる。ほかの公園の場所は火星人の祖先が住んでいたエリアであり…」
博士が注目しているのは、国内最大級のタコのすべり台がある和布刈公園とクリュセ平原についてだ。
「クリュセ平原はNASAの探査機、バイキング1号が降りた場所です。NASAはなぜわざわざクリュセ平原を目指したのか。北九州市はなぜわざわざクリュセ平原に一致する和布刈公園に、最大規模のタコを築造したのか。我々地球人と火星人を結ぶ大いなる秘密がそこに隠されているからではないでしょうか」
寝不足の博士のトンデモ理論である。あまりにも飛躍しすぎていて理解に苦しむが、結局のところファンタジーの域を出るものではない。当たり前だが、遊具のモチーフはやはりタコであり、火星人が自分たちの姿を投影したものであろうはずがない。
タコもあればイカもある
ところで、北九州市内にはタコっぽいが実は別物だというコンクリート製の遊具もある。山王二丁目南公園から北西にわずか300メートルしか離れていない諏訪一丁目公園(八幡東区)には、タコではなく、イカのすべり台が設置されている。ここは「夢二まつり」が開かれている公園で、枝光に住んでいたことがある画家・竹久夢二を顕彰した歌碑も建立。碑には「宵待草のやるせなさ」と刻まれている。
ほかにも北九州市内には恐竜や飛行機などさまざまな形のすべり台がある。北九州市はどうやらすべり台好きのようで、今回調べてみて分かったが、住宅1軒分くらいの小さな公園でも既製品のすべり台を設置。複数台を設置している公園も多く、とりわけ勝山公園や桃園公園(八幡東区)は野外博物館と言えるくらいにバラエティーに富んでいる。「うちの町内の公園も、リニューアルを働きかけようか」と思っている町内会やPTAのみなさんには参考になるかもしれない。
なお、桃園公園には「UFO」と「こてこてのタコ型宇宙人」の遊具がある。火星の地図に当てはめると「ダエダリア高原」の西端に当たる場所だ。
「桃園公園には恐竜の遊具もあるんですよ! これはですね、火星人の侵略によって恐竜が絶滅してしまったことへの罪滅ぼしという意味もあると思いますが、何よりその時代から火星人が地球に来ていたという動かぬ証拠です。彼らが人類史の歴史を塗り替えてきたのも間違いありません。なぜ古代文明はあれほど大きな構造物を造ることができたか。それは火星人たちが地きゅu… 」
タコとタコ公園と火星人。その謎は深まるばかり。いや、謎など存在しないが、やはりタコはつかみどころがなく、タコ公園の奥は深いということなのであろう。
(2020年8月15日追記)冒頭のリストに載せた11件が北九州市内にあるタコ公園の全てであり、それ以外で「タコ公園」と呼ばれているものは、実際には上述のとおり大半が「イカ公園」である。胴体が赤いか頭部が丸い形をしているものがタコで、頭が明瞭でないか、全体的に細い線でできているものはイカがモチーフ。上で述べた諏訪一丁目公園(八幡東区)やtwitterで指摘のあった真鶴公園(小倉北区)もイカが題材と考えられる。
(この物語はフィクションであり、登場する人物は実在のものとはたぶん関係ありますん)
※火星表面および宇宙探査機の画像の出典はNASA(パブリックドメインとして公開されたもの)
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