伊藤詩織さんVS山口敬之氏の訴訟問題・論点整理2021年2月2日
現在、SNSでは伊藤詩織さんと山口敬之氏の訴訟、裁判について日夜激しい議論が繰り広げられています。
ここで私が感じた疑問点を書き残しておきます。
SNSでの議論に新たな一石を投じる事ができましたら幸いです。
民事・刑事事件共に未解決
はっきりさせましょう。山口敬之氏は伊藤詩織さんを刑事民事共に訴えており、不起訴処分を受けて検察審査会に不起訴不当の訴えをする構え。
民事裁判では詩織さんの訴えの一部である「同意なき性行為」が認められて一部勝訴したものの、これも山口氏が判決を不服として控訴、詩織さんも附帯控訴、控訴審が行われています。
山口氏の訴訟代理人である大西達夫弁護士は「控訴審は請求原因のレベルから見直しをする訴訟指揮を取ると、裁判体から明示された」とよしりん裁判で裁判長に報告していましたから、判決が根底から覆される可能性があります。
この「控訴審は請求原因の事実認定レベルから見直しをする」は山口氏代理人の要望ではなくて、「裁判官たちが決めた方針」であるので、控訴審はその流れになるのだと思います。
一方、詩織さんの山口氏への刑事告訴は不起訴、検察審査会でも不起訴相当が決定されており、山口氏を犯罪者として扱っていけないのはこれは社会常識の範疇で当然のことです。
より、「メディアや一部の識者、伊藤氏サイドの弁護士が山口氏を犯罪を犯した者であるかのように言い立てることは山口氏の名誉を著しく毀損する。その許されるはずがない事象が日常的に起きていること、人権を軽視する状況に、法律を学んだ者でなくても危機感を覚えて当然である。」
「ここでの正義とは、民事も刑事も責任を負うべき者に適切な責任を負わせることである。虚偽を言い連ねた者が得をすることになれば虚偽の対象となった者の人権は著しく侵害されるのはもちろん、司法の信頼性が損なわれ、社会に混乱をもたらす。」
この主張に激しく頷きました。またこのサイトでは「起訴、不起訴」の判断についても詳しく解説しているページがありますので、この事件に関心ある方はぜひ、予備知識として一読されることをお勧めします。
事件の発端は詩織さんの警察への告訴である
皆さんの議論を見てると、議論の根本がずれていると思います。多くの方は詩織さんが名誉毀損をしたかどうかで議論されています。
皆さん、この事件の起点は詩織さんが山口氏とホテルに入った2015年の4月3日だと思っていませんか?もちろん各報道でも詩織さんの著書『BlackBox』でもそうなっています。(以下、BBと表記)
ここに議論の落とし穴があるように思います。
今回、この議論に参加するのにあたって、彼女のBBやらインタビューやら読みましたが、山口氏が何を言ってるのかしっかり精査してなかったのを感じ、『月刊Hanada』2019年4月号を購入し、山口氏の手記を読みました。タイトルは「(伊藤詩織事件)小林よしのり氏を訴える」です。
そこには
「(私は)人生で女性に睡眠薬を飲ませたことも、レイプをしたことも一度もない」と明確に詩織さんが著書で訴えている事を否定しています。
これと合わせて、この頁では山口氏が詩織さんを虚偽告訴罪と名誉毀損罪で刑事告訴した事件はまだ進行中だと言う事に論点を置きます。
山口氏は今、レイプ事件そのものを詩織さんに捏造され、それを基に警察や裁判所に性被害を訴えたんだ、と主張しているのです。
山口氏側から見た刑事事件の時系列
それでは山口氏側から事件を見て見ましょう。
刑事告訴の告訴人だからです。山口氏が被害を受けたと主張するその告訴事件は、伊藤詩織さんが警察に申告したことから始まります。「詩織さんが虚偽の告訴をした」つまり、同意の性行為だったのに、後から詩織さんに「準強姦された」と刑事告訴されてしまった。
すると、山口氏の刑事告訴の原因は詩織さんの刑事告訴が起点になります。
皆さんは詩織さんの『BB』を先に読んでしまっているので(これは当たり前のことなので別におかしなことではありませんが)詩織さんと山口氏が同宿した夜から事件が起こった、と錯誤しているんです。
もし、刑事告訴している山口氏の訴えが事実であると仮定すると、「伊藤詩織虚偽告訴事件」となり、その「事件」が起きたのは詩織さんが警察に「相談」に行き(4月9日)被害届を出した時点(4月30日)から始まったと考える事が出来ます。
虚偽告訴で名誉毀損が成立する
なので山口氏から見た事件の時系列では①詩織さんが虚偽告訴をしたので虚偽告訴の被害を受けた。②しかもその後、事件内容を粉飾して(デートレイプドラックを飲まされた、膝と胸に致傷行為をされた等)本(『BB』)を書いて捏造された事実を公表され、民事でも訴訟を起こされ、名誉を毀損されたと言うものです。
なので①の部分を抜かして議論してもしょうがない。そもそもとして山口氏は強姦事件を否定し、「同意があった、もしも詩織さんがレイプだとそう思っているのであれば、それはブラックアウト(アルコール健忘症)で詩織さんが同意を覚えていないだけだ」と主張しています。(私を訴えた伊藤詩織さんへ)
なので今は①の部分で議論すべきだと私は思います。名誉毀損の構成要件を論じる前に、絞るべき論点は虚偽告訴を詩織さんがしたかどうかで、虚偽告訴なら、詩織さんの今までの行動全てが名誉毀損にあたります。②はバッチリ成立します。
②の部分は①が成立していれば、疑いようのない不法行為です。
もちろん、検察審査会でも不起訴不当が出され、民事でも山口氏が再び敗れる可能性もあるでしょう。
しかし、今日の時点で詩織さんが性被害者だと決めつけて、虚偽告訴事件かもと内容を議論する人たちを揶揄したり侮蔑したりすることは本当にやめていただきたい。
刑事事件では詩織さんはシロと決まったわけではないのです。民事勝訴のケースはあくまでも詩織さんへの迷惑行為の賠償についてで、これも事件ではありますが、山口氏が性加害者として認定されたわけではないのです。
(図1)
権藤しまさんのノートに伊藤詩織さんのいいね裁判について考察が書かれていました。詩織さんは「被害を覚えていない」と言うものです。(記事リンク)
事件当時、私は酩酊状態で意識、記憶がないまま性行為をされていたため、私自身が被害の証明をすることはできません。
この議論の最終的な責任者は伊藤詩織さんである
詩織さんが山口氏から受けたとする被害を証明できないのは証拠がないからですが、ですから、また虚偽告訴も疑う事ができるのです。
当時25歳でジャーナリスト志望の女性が自分が被害を受けた事件の証拠を保全する努力をしなかった。これは逆に売名目的の虚偽告訴だったからではないか、との推認も可能なのです。
山口氏は警察のポリグラフ(嘘発見器)もパスした。実は科学的なクロの疑いは詩織さんの方に多くあるのです。
伊藤詩織さんが虚偽告訴をした被疑の根拠として、
・訴えを証明する証拠保全をしていない
・ホテルの退出する流出画像では詩織さんがレイプ事件直後の被害者に見えない
・送ったメールの内容は同意があったと推認されるものが多い
・警察からブラックアウト(アルコール健忘症)を説明されている筈なのに、山口氏から(会食の途中意識がなくなったのは)薬を盛られた、あるいは、「酩酊して意識のないまま性行為をされた」と断定形で著書に摘示した。
・山口氏は口止め行為を一度もしておらず、詩織さんの訴えに困惑している
・事件後、詩織さんが最初に接触した人物は妹さんですが、この事件を告発すると家族会議してから距離を置かれている。
・逮捕状を握りつぶされた(筈なのに)国賠訴訟を提起していない。
などが挙げられます。
様々に沸騰するこの議論の最終的な責任者は伊藤詩織さんです。
なぜなら、彼女が性被害についての問題提起を目的として情報を発信しているからです。「これはおかしいだろう、性被害じゃないんじゃないの」と言われても放置していれば、後に続く人の道を狭めてしまう事になるのでしっかりした反論が必要になります。
中立とは弱い側の立場に立つことである
私がこのブログで山口氏の批判記事を書いていないので私は中立ではない、という意見を散見しますが、私から言わせれば
の一言です。人道的支援や紛争介入において双方を同等に扱うことを中立とは言わないんですよ。中立とは弱い方の立場に立つことを言います。
この事件は報道が「両論併記」では全くないことをまず念頭に置いて見てください。
そして今も情報量、報道量ともに詩織さんが圧倒的に優位です。なので「山口氏側の被害」から事件を検証することは、事件において「調整」であり、偏った民間の議論において、「調律」の役目を果たすことになるだろうと思います。
最終的な司法の判断が下らぬうちから山口氏が性加害者である事を前提にして詩織さんへの疑義を封じることは山口氏への大衆リンチにもつながる大変野蛮な行為であることを、このページで強調しておきます。
伊藤詩織さんは31歳の社会人である。公表行為に責任を持て
詩織さんは現在31歳のジャーナリスト。子供ではない。ここまで混乱した議論について、しっかりとした説明責任があります。また警察から聴取の際に説明されたはずのブラックアウトの可能性を『BB』では一切含ませずに自分が意識を失ったのはデートレイプドラックを盛られたからだと読者を錯誤に誘導しています。
事実を伝えるのがジャーナリストなら、警察から説明されたブラックアウトについても書き添えて注意を促せばいい。この事で飲み過ぎによる性被害防止としての役目も果たせるでしょう。しかしその部分は彼女は「削除」している。
なんども書きますが、彼女は自分の都合の悪いことは言論活動において一切加味しない。山口氏との係争で自分の落ち度はなかったとするには、「睡眠薬で判断力を奪われたからだ」と読者に示すことだとの計算があるのだとしたら、とんでもない卑劣な人権侵害行為です。
詩織さんが民事で勝てたのは「性被害者が声をあげられない世の中の社会状況改善すべく性的被害公表したことは公共性がある」と判断されたからです。(記事リンク)
それならば、その公表した内容に疑義が持たれ、あなたのやったことは当事者の人権を激しく損なう行為だと指摘を受けたら、頂いた判決に申し訳が立たないのでは?
上記勝訴判決を受けた詩織さんは、虚偽告訴の疑惑に答える義務があり、自分の行なった行為は正当だと世に示す社会的責任があります。
つまり、詩織さんの社会的責任とは、疑義に一つ一つ、丁寧に答え、反論して勝ち取った判決は正当なものだと世論に示す事です。
何故なら詩織さんは本を出し、記者会見をし、インタビューで世界中にこの事件を広め、募金で裁判を行なっているからです。
彼女の言動には大きな社会的責任が伴います。公益性を伴う社会運動の先駆者とはそう言うものです。
彼女の言論活動には本を買った読者がおり、裁判に募金した支援者がいる。
言いっぱなし、書きっぱなしは許されない。
証明できないこと(証拠がない)事で本を書き、警察に行き、告訴できる世の中。これは伊藤詩織さんにだけ許された特権なのでしょうか?
それとも今後多くの方々がこれを模倣して裁判を起こすのでしょうか?他人から裁判費用を募金して?
これは個人間の係争ですが、この事件の影響力は今後自分たちの利害に大きく跳ね返ってくる可能性があることを、一人一人が理解してこの事件を検証してくださることを願ってやみません。
(了)
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