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熱海市網代の山で「山の神様」を見つけた話

網代(あじろ)とは文字通り網の代わりになる漁業の道具を指す。竹や木で組んで作った網状の仕掛けに由来する。他にも竹を細かく組んで天井に貼った和風旅館に見られる「網代天井」、時代劇で旅人が被る「網代笠」など意外にも網代は多く使われている。

苦心して作った捕獲用の道具から発想を得て日用品に広く使われていったのだろうか。今でいうアイデア商品だったのか。

網代という地名は全国に見られる。主に近畿地方や四国など。やはり港町、漁港付近になる。網は漁業に欠かせない大切な道具で、あらゆる近代化進んだ現代でもそれは変わらない。今日はそんな網代の名前がついた場所での体験談を書いてみる。

なんのことはない、地元の公民館が知らなかった神社を発見したというだけの話だ。だが、道祖神や馬頭観音の写真を撮り歩いている私にはいたく神秘的に感じたので書き残しておくことにする。

令和6年6月5日、熱海市にある網代山中腹のホテルに宿泊した私は6日の早朝、山上へ散歩に出かけた。東京では聞くことのできない時鳥(ほととぎす)の美しい声が空いっぱいに広がり、その声を聞きながら無心に歩いた。

道は傾斜が強い。35度はあっただろうか。まるで三角定規の上を歩いているようだった。翌日には筋肉痛になった。市街地からかなり離れた山中の不便なところにもペンションが点在し、熱海から網代間での観光業の人気は不動であることが伺えた。

ホテルから出て五分ほどで道は行き止まりになった。大きな浄水場のような施設があった。そこから右側の足元に「朝日山ハイキングコース」という蒲鉾板くらいの手書きの看板が見えた。とりあえず朝日山に向かう事にした。後から調べると朝日山は網代城跡であり、この城は房総の里見一族が伊豆に攻め入ろうとしたので見張り台の役目をしていたと碑にあるそうだ。また江戸城の石垣を作るための石丁場(いしちょうば)跡も近い。この山の一帯はきっと名もなき人たちの歴史秘話が沢山埋もれているのだろう。

看板を横目に2分ほど歩くと左側の道にすらりとした美しい鳥居が目に入った。


「あっ」私は無意識に神社を探していたのではないか、と思いつつ一礼をして鳥居をくぐった。古い石段がある。
職人が丁寧に作ったものだろう。
石はよく削られて美しい四角に揃えられていた。


苔むした趣ある石段を触り、「幕末くらいのものだろうか?」と素人判断をしながら階段を上ると、やはりよく刻まれた石の上に小さな神社が乗っていた。網代山の林の中の古神社。


不思議な出会いに呆然と佇んでいると時鳥が頭上で鳴いた。神社の奥の林から海の方にいる仲間に呼びかけているのか、絶え間なく鳴き声がした。あるいは繁殖の相手を探しているのか。その声を聞きながら神社へ参拝すると、社の中には綺麗な神器が置かれ、つい最近人が手入れした様子が伺えた。廃神社ではないのか?


神社なら社名があるはず。しかしGoogleマップで現在地を表示しても付近に神社は表示されない。「これはどういう事だろう?」少し混乱した。全てが納得いかない。Googleマップに表示されないなら廃れた神社のはずだ。しかし、周囲の落ち葉の様子や鳥居、真新しい紙垂(「しで」社に飾る白い雷型の紙)、埃のない神器などは確実に誰かが手入れをしている事を示す。それぞれを不思議な面持ちで観察していると時鳥は耳に痛いほどの声で鳴いた。あるいはこの神社を誰かに教えたかったのかもしれない…とロマンチックなことを考えながら山を降りた。


ホテルを引き払って東京へ帰宅途中、道祖神はないかと阿治古神社へ寄り、お参りをした。豊臣秀吉が小田原征伐を行なった際に軍船を出して協力したために、褒美をもらったと謂れがある。


帰宅後、早速、網代の観光協会に問い合わせをしたが、よく分からないという。私が「若宮神社」と勘違いしてるのではと中々取り合ってくれない。

仕方なく網代公民館に問い合わせた。ここでもやはり話が通じない。それで食い下がると、網代の歴史資料を管理している人に変わった。くどくどと説明しても仕方ないので網代歴史資料館のメールアドレスを教えてもらい、私が撮影した写真などを送った。するとわざわざ実見に行ってくれたようで、ようやく仔細がわかった。

・神社の社名・由来については不明であり、地域では「山の神様」と呼称されている。

・神社の土地等については網代地区にある「阿治古神社」に寄進しており、登記も「阿治古神社」の所有となっている。

・以前は「阿治古神社」の宮司を読んで年一回の祭事を行なっていたが40年ほど前に宮司が亡くなって以降はそれも途絶えており、現在は地域の住民で草刈りなどのお世話をしているのみである。

ということを教えて頂いた。ああ、なるほど、そういうことかと、いや待て「阿治古神社」は山から降りてすぐにお参りに行ったところだ。やはり神社の縁を感じた旅だった。ウィキペディアによると「阿治古神社」は朝日山に鎮座していたが、網代の街中に移転したという。そうするとあの「山の神様」は「阿治古神社」の元の場所を示しているのではないかなと想像することも出来る。


ふとした思いつきで散歩に出た私には不思議な神社との出会いになった。いつかまた訪れてみたいと、時折思い出す。するといつも頭の中にあの時鳥の声が響き渡る。神社の謂れを聞き出すために必死になった私をあざ笑うかのように。「そんなことは私たちはとっくに知っていたの。よそ者には面白かったかしら?」そんな風に聞こえていつも苦笑いしてしまう。

時鳥 招き入れたる 廃神社 



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