何でも出来てきた僕の挫折
僕は小さい頃から何をするにもうまく出来た。厳密に言えば最初はうまくいかなかったこともあるけど、難なくこなせるやつだった。
かけっこもどうやったら早く走れるかも知らないけど一位は取れたし、初めてやるスポーツも一度説明を聞いたら思うように出来た。勉強も、どうやったら高い点数が取れるのか知らなくても100点は取れた。
これは小学生までの話。
次はうまく出来なかった時の場合。中学生以降の話。
小学生より難しい内容になって、同級生も他校から入ってきた人が増え、そんなに簡単に一位は取れなくなった。スポーツも一度やったらなんとなくは覚えられるけど、それ以降スランプに陥ったりした。
そしたら、僕はどうやったら上手くできるか自分で考えた。先輩に聞いてみる。先生に聞いてみる。自分で調べてみる。友達に聞いてみる。親に聞いてみる。そうやって山に上がるための道具を調達し知識をつけ、上に這い上がってきた。
高校や大学もそうだった。
自分で調べる。参考書を買う。友達に聞く。おすすめの参考書を聞く。先輩にギターの弾き方を教わる。自分で動画を調べて弾き方を覚える。
自分1人で考えて答えを導く。
そして、これは社会人になってからの話。
僕は社会に出ても、難なくある程度まで上手く出来た。他の同期ができていないのを横目に、軽々しくできて見せた。仕事を評価され、上司に新しい仕事を任される。上手くいかない時があっても、自分で考え、自分なりの答えを出した。自分しかできない仕事も多く抱えた。それも信頼されてのことだろう。どんどん仕事が増えた。ありがたいことだ。頼られているからだ。
その日は上司がいない、最高責任者がいない日だった。
先輩が実質の責任者となり、社員は新人を除きその先輩と2人だった。
日々の業務量の多さも抱えながら、人手不足の中、新人の様子も見ながら仕事をこなさなければならなかった。言うのは憚られるが、その先輩は頼りなく、なんなら自分の方が仕事に関してはスピードが早かった。柔軟性も少しあった。トラブルが起きても臨機応変にできると思っていた。
頼れないならば、最初から頼らなければいい。年は下でも自分の方ができるから、自分がどうにかすればいい。そう思いながら1日の仕事を始めた。
社会人は結果を出さなければならない。数字を出さなければいけない。明確な数値を。
論理的な、現実的な数字を。
そのために無理をしなければいけない時もある。それが今なんだと、勝手に思い込んでいた。
自分だけが苦しめばいい。できる人間が全部やればいい。全部自分がやれば上手くいくから。
その日の夜、事は起きた。
食材の不足。昼過ぎくらいから分かっていた事だった。季節や配送によって毎日同じ大きさのもの
、同じ個数のものが届くとは限らない。無理をすればいけると思った。みんなに迷惑をかけたくない。仕事を増やしたくない。今でさえ人手不足なのにさらに人を減らす事はできない。
まさに切羽詰まっていた。
自分1人で全て抱え込み、ギリギリまで誰にも自分が崖っぷちにいる事も打ち明けなかった。崖っぷちにいることさえも自分で気づいていなかった。
そして、僕は崖から落ちた。平地を歩いていると思っていたのに、僕は宙に浮き、落ちていくのをただ感じていた。棒立ちになった。頭が真っ白になった。混乱する人たち。僕の失態に立ち尽くす先輩。こんな状況になったことに不平を言う者たち。なんとかなると、いや、なんとかしなければと必死で現状を解決しようともがく僕。しかし、なんの解決にもなっていない。僕が悪いんだと言ってたような気のせいのような、そんな先輩の感情をただ見ていた。
後日、上司にその日のことを報告され、叱られた。「なぜギリギリまでいけると思っていたのか」「なぜこんな事態になる前に気づかなかったのか。」
大半の原因は僕なのかもしれない。もちろん、人が足りなかった事もそうかもしれない。頼れる人がいなかったのも原因かもしれない。
でも、自分以外の他のことが原因でこんなことになったのか。いや、違う。
僕が全部できるから、全部上手くできると思ったから、そんな慢心と自信過剰、チームワークの場で誰1人として信頼せず、頼ろうとしなかった事が起因だった。1人でできるから、できてしまうから、1人でやっていいのか、考えた。
後日、その日一緒に仕事をした先輩から話があると言われた。いつもの、喫煙所に呼び出された。
「人が足りないのも分かってる。君が頑張ろうとしてるのも分かる。自分が頼りない事も分かっている。でも、だからといって1人で全部抱え込むな。頼りなさい。お前1人で仕事をしてるんじゃないんだから。」
もっともだった。
上司がたまに言っていたのを思い出した。
「俺だってやろうと思えば1人でこの職場は回せる。自分ができるのは分かっている。でもそれじゃ他の人が成長しない。自分1人でできるならこんなに多く人は働いていない。」
とても仕事のできる上司だった。
なんでも上手くできるからと言って1人で仕事をするのは間違いだと学んだ。
頼らない事、1人で仕事を抱え込む事。相談しない事。問題を共有しない事。それが敗因だった。
「これからはギリギリまで無理をせず、余裕を持って言います。」
僕は昔から上手くできてしまった。できる人間の落とし穴。それは1人でなんでもしてしまう事。
昔から質問はよくした。分からない事は分からないとよく言った。
しかし、僕は相談が出来なかった。
思い返せば、相談と言えば恋愛相談なんかある。
僕は恋愛相談なんか無駄だと思っていた。全部自分で決めるから。全部自分の感性が正しいと思っていたから。相談したところで結局結論を出すのは自分だから。相談する意味はないと。
部屋選びも家具選びも、何を食べるのかも、どんな大学に行くのかも、どんな会社に行くのかも全て自分で決めてきた。
甘える事が苦手だった。頼るなんて文字は僕の教科書になかった。誰かが教えてくれる事もなかった。
仕事ができる人間は誰かに頼られるばかりで、自分は頼ってはいけないと思っていた。でもそれは間違いだった。
どれだけ仕事が早くても、頼る事ができないのは仕事ができないのと同じだ。それは僕の弱さだ。
頑張ることと無理をすること。僕はそれを一緒のものだと勘違いしていた。時に無理をすることで成長する事もあるだろう。しかし、無理をしすぎて、仕事を抱えすぎて、崩壊しては元も子もない。それは今回で学んだ。
自分の教訓もそうだが、新人にもこの事は伝えた。同じ二の舞は踏むなと。反面教師にしろと。
僕は職場で優秀と評価されているみたいだったが、些細なことでも無理な時は無理だと言おうと心を変えた。
相変わらず、頼りにならない先輩はその後も頼りにはならなかったが、それでも「こんな時どうすればいいですか?」と聞いてみた。返ってくる答えも答えになっているかも分からないものが多かったが、自分のために、した事もない相談をしてみた。
相談しない事がかっこいいと思っていた。
相談しないのはめちゃくちゃダサい事だった。
分からない言葉を知ってるみたいに振る舞うくらいダサい事だった。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
僕はもともとそんなにお喋りの方でもなく、無口な方だったが、これからはたくさん喋ろうと思った。本当に些細なことでも。仕事でもプライベートでも。
相談したけど正解は出てくるとは限らない。でも相談しないよりはした方が何百倍も良いと気づいた。
なんでも上手く出来てきた僕の挫折。
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