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たまに取り出せる褒め。


※この記事は5分程で読める内容になっています。



皆さんこんばんは、木下です。

先日アップした記事にて思いの外たくさんの反響を頂き嬉しい限りでございます。
木下という人間は非常に単純でして、お褒めの言葉をもらい大変気を良くしましたのでもう1発書いてみるか〜と思った次第です。

せっかくなので今日は「褒め」に関するエピソードを書いていきたいと思います。
(みんなたくさんほめてくれたからね。ありがとう。)
今回は少しハートフルな内容にしてみました。
退屈な内容かもしれませんが、お暇な時にぜひ読んでみて下さい。

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1.noteの反響

先日、初めてInstaのストーリーでnoteの更新を告知したところ思いの外たくさんの人が記事を読んでくれた。色んな人が褒めてくれ「更新を楽しみにしている」と声を掛けていただいた。
シンプルにとても嬉しかった(小並感)。

思えば、いろんなことに挫折し掛けたり、鬱っぽくなった時にギリギリのところで自分を支えてくれていたのはこういった「褒め」だったのかもしれない。
そんなことを考えさせられた。

今回のタイトルの「たまに取り出せる褒め」だが、言われてもピンとこない方が多いと思う。
この言葉は私の愛してやまないオモコロの記事から頂いた。


↓※とても面白いのでこちらもお時間ある時にぜひ。


前置きが長くなってしまったが、私を今でも支えてくれている「褒め」のエピソードについて今日は書いていきたいと思う。


2.私の「たまに取り出せる褒め」

あれは確か高校1年生の時だ。
私は当時、自称進学校の野球部に所属していた。

これは自称進学校あるあるなのだが、私の高校では毎日・毎授業のように小テストがあった。
そして英語の授業で予習をサボって行った日には当てられた時にクラス全員の前で赤っ恥をかかされるのだ。
(O崎の授業はマジで精神的にキツかった。)

また野球部では冬の練習について行くのが本当に辛く、この先の高校生活にかなり悲観的な気持ちを抱いていた。そんな時。

地元のコンビニに夜、チャリンコで立ち寄った帰りだった。

👨🏻「木下...❓❓やっぱり‼️久しぶりだなぁオイ‼️

一瞬「誰?」と思ってしまったが、その大きな身体と声は紛れもなく中学2年の時の担任のI先生だった。

🧑🏻‍🦲「ッス...お久しぶりっス...」

持ち前のコミュ障と坊主にされたことによる自信喪失から(中学時代は一丁前に髪を伸ばしカッコつけていた。)全く気の利いた返事もできず、何を話せばいいのかもわからず陰キャど真ん中の受け答えをしてしまった。

I先生は当時担任ではあったものの特別可愛がられたり、逆に懐いたりした記憶もない先生だった。

👨🏻「野球、まだ続けてんのか❓頑張ってんだなぁ‼️」
👩🏻‍🦲「はい。覚えてくれてたんですね...」

関わりが深くなかったとはいえ、自分を覚えてくれていたことは嬉しく感じた。
その後ぎこちないながらも何往復かやりとりを続けた。

・・・・・・・


じゃそろそろこの辺で...となった最後にI先生は私にこんなことを言った。

👨🏻「…まぁでもお前は途中で物事を投げ出すような奴じゃないからな。続けてれば良いことって絶対あるから、これからも頑張れよ‼️」

👩🏻‍🦲「・・・‼️ はい...ありがとうございます。」

そんなことを言って別れた。

そう、この一言こそまさに私にとっての「たまに取り出せる褒め」なのだ。

正確には褒めかどうかはわからないが、I先生がそのように自分のことを思ってくれていたことがとても嬉しかったのだ。

だが、I先生は私のことを特別可愛がっていた訳ではないので私のことをよく分かってはいない。
実際の木下は結構投げ出してしまうダメな奴なのだ。

※高校3年の時にも一度やめるやめない騒動を起こした末、野球部では補欠のまま3年間を終えるし
大学の合唱部でも3年夏に練習をブッチしサークルの仲間と青春18きっぷで甲子園に出かけたりする(クズ)

だが、紆余曲折あったものの私は野球部も合唱部もバイトも最初から最後まで続けることができた。


そして社会人となった今では、なんやかんや最後まで続けてきて本当に良かったなと素直に思う。


これはもちろんその当時の周りのメンバーの支えがあってこそのことなのだが、この時のI先生の言葉がいつも私を支えてくれた気がしているのだ。
(特別可愛がってくれてたわけでもないのに。)

当時の野球部のメンバーや合唱部のメンバーと細々ながらも関係が続いているのは本当に嬉しいことだ。
みんな、福岡遊びに来たら声かけてね...

👨🏻「途中で物事を投げ出すような奴じゃないからな」

そして現在も営業として働いていて「全然向いてねぇなぁ」と何度も思うし、ちょっとしたミスがある度に落ち込んでしまう。
そんな時、私はこの「褒め」を取り出して自分を支えているのだ。
先日皆さんが私にくれた「褒め」もきっとこれからの私の支えになってくれることだろう。


3.「褒め」は人に生きる希望を与える

人間というのは弱いもので、ちょっとしたことですぐに「逃げたい」「もう無理」と思ってしまうものだ。
特に私のように心が弱い人間は。
だがそんな時に支えてくれるのは意外な人の意外な言葉だったりする。
つまり、誰しもが誰かに生きる力を与えられる存在なのだ。

皆さんの周りには最近元気がない人はいないだろうか?
もしくは普段あまり関わらないが、挨拶はするくらいの関係性の人はいないだろうか?

もしあなたにそんな人がいたら、勇気を持ってぜひ声を掛けてみて欲しい。
その一言が今後何十年もその人を支えてくれる助けになってくれるかもしれないのだから。。。


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4.後日談

木下🧑🏻
「カチャカチャ・・・ふぅ...キマッた。。。(ドヤ顔)
最後の「しれないのだから」という言い回し、すごいいいこと言った感出てるしこれはいいんじゃないか❓
オモロ成分は全然なかったけどたまにはいいでしょう。

しかし、今回はめっちゃハートフルで感動的な、実にnoteらしい記事が書けた気がするぞ‼️
ともあれ人に偉そうなことばっかり言ってるんじゃなくてまずは自分から実践実践っと。。。」

〜金曜日、お得意先にて〜
👩🏻「最近、子供が夏休みで本当に仕事に家事にもう限界‼️夏休みなんてなくなればいいのに...泣」

🧑🏻「・・・
(この人は今弱っている...今こそ褒めの力や‼️)」

🧑🏻
「奥さん。本当に毎日お疲れ様です。
いつかきっと子供たちもお母さんありがとう!って感謝する日が来ますよ😊
私は奥さんが毎日家事や仕事に忙しいのにキレイなお母さんでいようとしているその姿、ちゃんと見てますよ😀
本当いつもお綺麗ですよねぇ...(ニチャ (クソ早口)」

👩🏻「あなたは独身で楽しそうでいいわね?結婚したらせいぜい奥さんにSiriにしかれないように今のうちに彼女に優しくしといたほうがいいわよ?(辛辣」

🧑🏻「…ッス...」



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