言語翻訳と言語学習についての雑感
何時ぞやの日報への殴り書き(いつ書いたか覚えていない)を再編。
知らない方の発言だが(ご本人が見つけて、勝手に引用しちゃってるのを見つけてモヤモヤしたら教えてください...すいません)、
多分この方は韓国語母語話者なんだけど、言語学習の本質があるなあと思った。
よくある議論で「機械翻訳が極限まで進化すれば外国語を学習する必要がなくなるのでは」というのがあるけれど、僕は機械翻訳が今の枠組みである以上全然そうは思わない。
ある言語Xに関して自分が使っている言語Yへの翻訳があるとして、その翻訳が妥当かどうか最終的に判定するのは自分自身なので、それが妥当かどうか、どのように妥当かどうかを判定するためのスキルや言語知識は人間が持っていないといけないのではないかと思うのがひとつ。
もうひとつは、言語を学習することで人間自体が変わっていくという要素があり、ある言語Zで書かれた文章に対して反応したり、考えたり、共感したりすること自体は人間が行わなければならなくて、反応や共感をするためには言語Zに関する言語知識が人間にないと精度が高いものにはならないだろう。機械翻訳が共感を代わりにしてくれることはない(引用したツイートはこっちの側面を表した例)。
無論機械翻訳の改善自体は非常に歓迎されるべきもので、僕自身も頻繁に利用している(特に英語以外)こと、何より機械翻訳は言語学習の助けになるということは言及しないといけないと思う。機械翻訳やコーパスを参考に自分の言語知識を更新するのは効率がいいと思う。
SARS-CoV-2のおかげで、コミュニティの境界線が物理的なもの(東京だ福岡だ)は溶けていってしまったが、言語の壁は未だ残っているというのも気になっている。そういうときに、機械翻訳が超進化するより、「言語学習がものすごくカジュアルになる」のほうがインパクトが大きいんじゃないかと思っている。
// 実際のところ言語学習が簡単になるといいなとは思っていたものの半信半疑だったが、duolingoに出会って考えが変わったというのはある...。