市川雛菜が何者か教えて欲しい
最初に言い訳をさせて頂きたいのだが、私はシャニマスを始めて1か月ほどの新参者であり、今回雛菜のSSRを手に入れたので初めてプロデュースをした程度。ノクチルのメンバーを全員プロデュースしたわけでもないため、ちゃんと適切にプレイしていればわかるはずことを理解していないことが多くあると思う。それを了承していただきたいこと。そして出来ればそれを教えて頂きたい。
初めに言い訳から入った理由だが、この文は「市川雛菜にいい評価をし、それを伝える」といった文ではないからだ。
どちらかと言うと市川雛菜というキャラクターが何者か理解できず、恐怖しているため、理解を深めるために書く文でしかないのだ。
そのため読んでくださる方々には予め謝罪と了承の意味を込めて言い訳から書かせて頂いた。
市川雛菜にとってWING優勝とは?
私はプロデュース前の雛菜のキャラクターについては幸福を追求する誰よりも哲学的なことを自然体で行動するキャラと考えていた。
とても固い言い方なので崩して言うと「俺ァバカだからよくわかんねぇけどよォ~~~」とか言いながら物事の本質を付く不良キャラのように、難しいことを単純にし、それに悩まず進めるキャラと思っていた。
実際プロデュースしてみるとあながち間違ってもおらず、「プロデューサーに褒められて幸せ」とか「踊りを褒めてもらえるしアイドルの才能あるかも~」ととてもポジティブで幸せや楽しいということに忠実で、ひたすら幸福を追求し続ける人物であった。
しかしそれが続くにつれ私は強い違和感を覚えた。
それは「市川雛菜にとっての幸せ」が何かわからなくなってきたからだ。
彼女は頻繁に「プロデューサーに褒められて幸せ」と口にする。
自分で行動した結果や得たものに幸福を感じていないのではないかと思ったのだ。
一例として一次~四次までそれぞれのステージでの合格報告の際の台詞を下記に載せる。
例えばチョコ先輩は「チョコを食べることに幸せ」を感じるし、咲耶であれば「ファンの幸せを自分の幸せ」に感じる。
雛菜の場合「自分が評価されることに幸せを感じる」ような描写が多いのだ。
決定的なのがWING優勝をした時、自分が優勝を勝ち取った!というそのことに幸せを感じていないことだ。
プロデューサーにおめでとうといい、楽しいから笑うと言うが、本質的にちょっとズレているのだ。
他のどのアイドルでも優勝した際は自身の優勝に喜んだ。あるいは支えてくれたプロデューサーへの感謝を含め、その瞬間の「達成感」に感情を揺さぶられていたはずだ。
しかし市川雛菜には「達成感」を感じない。
楽しくないわけでも嬉しくないわけでもないが、特別でもないように思える。
例えるなら「毎日をスペシャルに生きる!」というモットーに忠実過ぎてただの平日と冠婚葬祭のような特別な日も同列なスペシャルとして扱っているような感覚だ。
なので私には雛菜にとってWING優勝と数日前道端でプロデューサーと出会った時の幸せは同価値なのではないかと思えてしまう。
ただ決して共感性のない人間というわけでもなく、そのためWING優勝した瞬間はプロデューサーにとって他のどの瞬間とも違う特別で幸せな瞬間であることを理解はしている。だから「おめでとう、プロデューサー」という言葉になったのではないだろうか?
そしてプロデューサーから褒めてもらえたことでやっと、雛菜自身にとっても「幸せな瞬間」になれたのではないだろうか?
市川雛菜にとってファンとは?
私の想像では雛菜というキャラクターは「自分の幸せを追求する」という性質から「自分の幸せに関係のないものには冷徹ないし興味を示さない」と思っている。
芹沢あさひのが「興味のあるものには強い好感を持つが、興味のないものにはリソースをほぼ割かない」という性質と同じものがあると考えており、その裏付けが【HAPPY-!NG】の<P-each>での「学校の子あんまり知らないし」という台詞だ。
この時点で比較的他人に興味がないことが伺えるが、この会話で注目すべきことは雛菜は知らない人に褒められても幸せにはならないということと私は考える。
考えて欲しいのだが、雛菜が学校の知らない人から話しかけられる場面で、褒めるや好意的な評価をする以外の言葉である場合があるだろうか?
余程学校で嫌われていて「お前ぶりっこの癖に雑誌でて調子乗ってるな!」とか急に話かけられた可能性もなくはないが、私はそうは思いたくないので「市川さんテレビ出てたのみたよ!すごーい!」とかそのあたりが妥当と考える。
だがそれが嬉しかったとか、そういう話を<P-each>ではしていない。
また雛菜の口からファンという存在についての言及なども一切なく、彼女は自分の好きな人から褒められることが幸せなだけなのではないかと思ったのだ。
正確には市川雛菜の最初のファンとしてプロデューサーが存在し、そのプロデューサーについての言及は多くしている。
だがあくまで自分の好きな存在であるプロデューサー個人を指しているだけで、その他大勢のファンに対する言及がなく、好きか嫌いかの判断すらない。
例えばWINGで優勝しても敗退しても、結果についてプロデューサーのついてよかった、悪かったのコメントを残し、自分自身は楽しかったと伝える。 そこには「自分」と「プロデューサー」しか存在していない。
(下はWING敗北コミュ。WING優勝コミュは上記にある)
オーディション合格の結果のあとのセリフでも、ステージに出ることへの緊張がなく、恐らくこれは誰に見られる、誰に期待される、誰に評価されるかなどは一切興味がないため緊張していないのではないかと推察する。
下手をすると誰も目の前の雑草や虫に独り言を聞かれたらどうしようなどと思わないのと同じくらい、ステージに立ったところで感情は動かないのではないだろうか?流石に過言が酷いとは思うが・・・。
つまるところ雛菜の幸せ、楽しいことにはプロデューサーの評価はあっても審査員やファンの評価は含まれていないと私は考える。
このあたりについて今後言及されることを強く願うし、とても見たい。
市川雛菜の処世術について
ここまでの自分の文を読み直してみると市川雛菜というキャラクターは自己中心的で自分の幸福追求以外を考えない奴、というような印象になってしまっていないかと不安になる。
だが私は雛菜はちゃんと人の気持ちを理解はしているし、上手な世渡りのできる人間であると考えている。
印象深い点で言うと人に対して好き嫌いを言葉にして伝える点だ。
誰だって好意を抱かれれば嬉しいし、その人に何かしてあげたいと思う。嫌悪感をぶつけられれば気分を害する。雛菜はその点をうまく理解し使いこなしていると思われる。
例えば一番最初のプロデュースイベントで自己紹介をした段階で「プロデューサー好きかも~」と言葉にしている。
樋口とは真反対に、私はあなたの敵ではありません。私はあなたを信頼します。そういった示しになる。それに可愛い女の子に煽てられて張り切らない男も少ない。それらを意識的であれ無意識的であれ利用している。
また<(unknown)>では「今日のプロデューサーきらい~」と明言し、選択肢次第で「明日は雛菜の好きなプロデューサーでいてね~」と言っている。わかりやすく自分がどういうものが好きで、どういうものが嫌いかを相手に伝える人であることが伺える。
そうすることで雛菜は相手に対して「察してよ!!」なんて癇癪を起したりトラブルを起こすことなく、相手が自分に不快な思いをさせず、幸せな思いをさせる良好な関係を保とうとする技術を日々使用している。と私は思った。
リアルに落とし込めて例えるならば、誕生日の1、2か月前から自分の欲しいものを明言することで、自然と誕生日プレゼントでその欲しいものをプレゼントしてもらえるようにする。そんな感じのテクニックを日常的に雛菜はしているという印象を受ける。
好きと伝えれば相手は喜んでくれるし、自分の傍にいてくれる。嫌いと伝えれば相手も嫌いになって自分の傍から離れてくれる。
そうして市川雛菜は自分が幸せになれるものだけを周囲に置いて、日々楽しく過ごしているのではないか、と私は妄想する。
例外は樋口くらいではないだろうか?透先輩は好きだけど、円香先輩は好きじゃなーいという感じだが、樋口は透が好きなので排除できない、という風に私は解釈している。ノクチルはみんな仲良し!
あとはプロデューサーが困ったり、考え事をするのは自分のせいではないか?と考えることもできるあたり、決して雛菜は察しの悪い人間でも、自分は悪くないと自分を棚にあげるような人物でもない。
ただ自分のせいで人を不快にさせたとしても、自分は自分なので変えようがなく、どうしようもない、という考えも持っていそうではある。
加えて私は雛菜の一番の強みは嫌なことを楽しいことに変えられることだ。
雛菜は他のノクチルのように自主練習をせず、その時のプロデューサーとの会話から考えるに練習そのものは好きではないようだ。また、ファンやプロデューサーの期待に応えるため、辛くても頑張る、というモチベーションの上げ方をしているような描写もなく、好きでもないものを頑張るタイプでは本来ないと推察する。
しかし雛菜はしあわせと思えることだけでいい思想なのだが、きちんと練習はする。
相反するが、別のシーンでは練習を楽しかったと言うこともある。
一見すると練習が好きなのか嫌いなのかわかりにくいが、雛菜は嫌いなものにも楽しみや好きになれるところを見出す能力を持っているのだろうなと私は思う。
当然そのなので楽しいと思い込むことができるだけで、本質的には好きではないので、練習時間が終われば引き続き練習を楽しみたいとはならないのだろう。
そういったある程度嫌なことはキャパシティー内であれば楽しいと思い込みしあわせ~にこなすことができると考えると、プロデューサーが心配するほどこの先の仕事で嫌なことがあっても楽しいに変換して乗り越えていけそうな予感がする。
市川雛菜は何が好きなのか
プロフィールの趣味が「なんでもそれなりに好き」と書いてあり、彼女は何が好きなのか気になって考えてみた。
自分を褒めてくれる人かとも思ったが<P-each>の件やファンに対する言及のなさからそうでもなさそうである。
ご褒美として甘いものをよく食べることから甘いものは好きなようだが、特にどれが好きかはわからない。なんでも甘いものは基本好きな様子。
ファッションについては私自身が疎いため、どういったものが好きそうであるかまではわからない。
プロデューサーとダンスのトレーナーについては好きらしい。またプロデューサーへはご褒美や慰めとしてボディタッチを要求していることから対人接触も好むところのようである。
一番好きそうなものは朝倉透だろう。
アイドルになるきっかけが透であり、朝コミュでも透の家にいくことが幸せとも明言をしている。
なんならノクチルの幼馴染グループでは雛菜以外の3人が幼稚園からの関係なのに対し、後から入ってきているあたり、実は透目当てで3人のグループに入ってきたのではないだろうか?
そこから飽きもせず10年以上透を好きなもの認定してずっと幼馴染していると考えると相当なもののように感じる。絶対手を繋いだり、後ろからだーれだとかやってた。これは間違いない。
逆に樋口との関係は普通に険悪のようにも見えるので、感謝祭やGRNDでグループの関係がどのようなものかとても気になるところだ。
最後に
非常に長々と書いてしまったが、私が市川雛菜について思う一番の疑問は
市川雛菜にとって幸せってなに?
これに尽きます。
プロデューサーから褒められること?ならなんでプロデューサーから褒められると幸せなんだ?
誰でもいいから褒められること、ではなさそうだ。
不快なものを排除した状態が幸せなのか?
ノクチルのメンバーといられれば幸せ?だからアイドルになった?
とりあえず幸せになれそうなものならいいのか?だから楽しそうなものに挑戦をする、探しと途中なのか?
<CherryPinck!Ng>ではアイドルこそが雛菜にとっての幸せと語ってましたが、アイドルの何が彼女を幸せにしているか私には理解ができない。
アイドルとしての活動して、プロデューサーが褒めてくれるというフィルターを通して初めて幸せを感じるシーンばかりで、本当にアイドルそのものを楽しんでいるとは思えない。
私は市川雛菜を理解できない。だから「怖い」と感じてしまう。
しかし市川雛菜は魅力的である。
「幸せ」「楽しい」というポジティブで惹かれる言葉を多用するのに、理解はできない。そこに私は「面白い」という感情を覚える。
だから私は市川雛菜が好きだし、私は市川雛菜に幸せにされたし、楽しいと思わされた。
ps.
雛菜は大学でオタサーの姫になりそうだけど、オタクの容姿が嫌いで近寄らなそう。テニサーでちやほやされるのは好きそう。
プロデューサーが高身長イケメンだから好きってのは絶対ある。
20代後半になっても自分をちやほやしてくれる場所を探してそこにいそう。死ぬまでそこは変わらなそう。
最終的にゲートボール倶楽部のマドンナになってそう。
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