私が小説誌に載ったら
去る7月14日、TwitterにこんなDMが届いた。
「小説すばるにエッセイを寄稿して頂けませんか?」
また捨て垢からのスパムだろうと考えながらDMの通知を確認してぶったまげた。
いいんですか!?私で!?
差出人は集英社に勤める編集者の方で、以前から私をフォローしてくださっており、noteを手放しで褒めてくれた。
中でも「現代落語とりぷる」が好きだと聞き、二度ぶったまげた。
まさかアレを褒めて頂けるなんて、なんでも書いてみるもんだなぁと思いめちゃくちゃ嬉しくなった。
(思わず現代落語とりぷるを読み返した。面白かった)
AAAにほんの少しだけ感謝しつつ、私は依頼を二つ返事で快諾した。
高巻渦史上初となる、原稿料を頂いての依頼である。
文章書いて金までもらえるってマジ!?最高!!
期待に応えなければ!
コラムのテーマは「偏愛」だった。
自分の偏愛するもの、つまり好きなものについて語るのは意外と難しい。
そこに文字数制限があれば尚更だ。私は自分が好んでいるものをいくつか思い浮かべてみた。
タバコ、洒落怖、B級モンスターパニック映画、クーリッシュ、爬虫類……。
我ながら実に高尚なラインナップである。
上記から更に絞った三つを編集者の方に「どれが良いと思いますか?」とメールを送ってみた。すると「洒落怖とか読んでみたいです!」と返信が来たので無事に題材が決まった。
1987年に刊行された歴史ある小説誌に「洒落怖」をテーマとしたコラムが載る。しかも筆者はわけのわからない人間だ。本当に大丈夫だろうか?
しかし今考えれば、どっぷりインターネットに浸かって生きてきた私がインターネット発祥の怪談について語るのは、なかなか趣があって良かったと思う。それに夏だし、夏といえば怪談だし。
私は一日かからずに洒落怖への偏愛を綴った文章を書きあげた。
「内容問題ありません、面白く拝読させて頂きました!」
順風満帆に思われた今回の執筆活動に暗雲が立ち込めたのは、原稿完成のメールが届いたときだった。
私の眼前に突如として立ちはだかった新たな壁……そう、バイオグラフィーの存在である。
編集者の方が「参考になれば」と過去に掲載されたコラムを数点送ってくださっていたのだが、筆者名の右隣には必ず100字程度の「実績」が燦然と記されていた。
「〇〇年『●●●●』で第〇回××文学賞を受賞」
どの筆者のバイオグラフィーにも上記のような堂々たる文字列があり、コラムひとつ取っても「小説すばる」に名を連ねることの荘厳さを表していた。
書くことないけど本当に私で大丈夫だろうか……。
執筆を終えて呑気にずんだもんのゲーム実況を見ていた私は凄まじい不安に襲われ、編集者の方にメールを送った。
「すみません、バイオグラフィーなんですが、そちらで考えて頂けるんですか?」
「はい、こちらで考えます。書けたら一度送りますので確認お願いします!」
私は安堵してずんだもんのゲーム実況を再生し直した。
数時間後、編集者の方から返信が来た。
「バイオグラフィーの件なんですが、ちょっと書くことがないのでご自分で考えて頂けますか?」
そりゃそうだ。
自分で考えた。
書くことがなさすぎてTwitterのIDまで載せてしまった。
恥ずかしすぎる。
こうして校了した洒落怖についてのコラムは、本日発売の「小説すばる」2022年9月号に無事掲載される運びとなった。面白く書けたんで是非買って読んでください。
立ち読みじゃなくて、ちゃんと買って読んでください(回し者)
古くから「小説すばる」を愛読している方々は、池井戸潤を始めとするご高名な作家陣の中に私の様な異物が混入していることに是非目をつぶって頂きたい。
そして今回私にコラム執筆の依頼をしてくださった編集者の方、このような機会を設けて頂きマジでありがとうございました。
めちゃくちゃ自信がつきました。
最後に人の心がない友人とのLINEを載せて、販促の言葉に代えさせて頂く。
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