愛する、とか、そういうことを。
人を、愛するときに、どのようなことを言うのだろうか。
例えば、君は、〇〇だから愛する。
この、〇〇には、何かが入るのかもしれない。
例えば、かっこいいとか綺麗だとかスタイルがいいだとかいう容姿についてのもの。また、賢いとか勉強ができるとか、スポートができるとか、能力についてのもの。はたまたお金を持っているとか家柄がいいとか、そう言う奴もあるかもしれない。
でも、それって、愛していると言えるのだろうか。
いや、愛はしているかもしれないけど、それを持っている人を愛しているとは言えないのではないのだろうか。だって、逆を言えば、それを持っている人なら、誰でもいいと言っているものではないだろうか。
その人だから愛しているのではなくて、それを持っているから愛してるだけで、それを持っているなら、誰でもいいし、もっと言えば、上位互換があるのならそれにするよって。
これは、愛じゃないと自分は思ってしまう。
例えば、家電を選ぶときや、車や家を買うとき、実用性が求められるものの時に、その比較する物差しができる。例えば、値段とか性能とか、設置する場所に合わせたものや、、、いろんな条件ができるだろう。
ただ、それはあくまでも、その求められる何かに合わせての、その物差しで、絶対的なものではない。必要だから、それに合わせてその必要に合わせたものが欲しいって言うものだろう。
でも、それを人間に持ち込むとは、なんと虚しいことだろうと自分は思ってしまう。だって、愛とか、恋とかって、無駄なものじゃないか。
はっきり言って、それがなくても、生きていけるものだ。
そして、だからこそ、そこに、合理性や実用性、論理的なものを持ち込むのはナンセンスだと思ってしまうんだ。