【卒論ゼミ(4)】「問い」を「鍛える」プロセスとは?

第4回です。

前回は、研究論文の特徴は「理論」があることだ、というお話でした。ゼミでの議論では、みなさんの「理論」についての理解が私の意図したことと結構違っている、ということが発見されました。「理論」とは何か、ということにも、いろんな答えがありうるのですが、私の使っていたのは、「具体的な現象に意味を与えてくれる抽象概念」というような意味かもしれません。普通、科学的な理論というのは、現象の法則性について説明してくれるものを指します。ただ社会科学になると、社会的な現象というのは認識の仕方が自然科学に比べてあやふやなので、因果法則を説明する理論ももちろんありますが、社会の認識の仕方の総体みたいなものも含みます。いずれにしても、世の中ってこうなっているよね、という「説明」を抽象度の高いところでしようとしていることにはなると思います。そういう概念をみつけてみてください、ということでした。そして、この「理論」とか「概念」というのが、今回の課題にも関連してきます。

さて今回は、卒論に相応しい「問い」を立てることについて考えます。卒論は、自分なりの「問い」に対して、なんらかの「作業」に基づいて、その「答え」を導く、という形をしています。しかし、研究をはじめた当初の問いは、大概とても曖昧だったり、大きすぎたり、小さすぎたり、なかなかビシッと決まらないものです。それでも問いを立てては答えを探す、ということを繰り返しながら、なんとか卒論を書き上げてみると、その最後になってようやく自分が本当はどんな問いに答えを出したのかが、はっきり自覚される。そんなプロセスを、これからみなさんは通り過ぎることになります。

今回の課題文献は、佐藤郁哉さんの『フィールドワークの技法-問いを育てる、仮説をきたえる』(新曜社、2002年)の第3章「『正しい答え』と『適切な問い』-問題構造化作業としてのフィールドワーク」でした。(お察しの通り、卒論ゼミ(4)のタイトルは、この本に強く影響を受けています。)この章で佐藤さんが言っていることも、だいたい上の段落と同じ趣旨のことでしたね。「フィールドワーク」という特定の方法論について解説した本ですが、この章で描かれている「適切な問い」を作り上げていくプロセスは、自然科学とも共通するところがあるようです。(以前、大変優秀なコンクリート工学の大学院生とお話しした時にも、実験を繰り返すプロセスととてもよく似ていると、言っていました。)

さて、本章では、佐藤さん自身の経験のなかから、当初の問いからの変更があまり必要なかった場合と、途中で大きな変更をしなければいけなかった場合とが、紹介されています。両者を分けた要因が、三つ挙げてありました。まず、時間。それから、対象とする領域についての事前知識。最後に、理論的な枠組み(概念枠組みとか、理論的視座とか、類似の表現がいくつか出てきたと思います)でした。前回、プロの研究論文には理論がある、という話をしましたが、正しく問うことのためにも、理論が重要ということのようです。

三つの要因のなかでも、時間の要因はそれほど問題ではなく、事前知識と理論の方が大きかった、と佐藤さんは言っています。これは、私自身の経験を振り返っても、納得するところが大きいです。もちろん一定以上の時間投入は絶対に必要なのですが、投入時間が多ければそれだけで研究論文を書きあげられる訳ではないです。反対に、事前知識が豊富で、手頃な理論的枠組みが設定できれば、調査にかける時間を大幅に節約することも可能です。(どっちの方が「面白く」て「価値のある」研究かは、また別なのですが…)

私のとても苦い経験として、数年間にわたり何度も長期短期の調査を繰り返して、現地の方々にも大変仲良くしていただき、ものすごく楽しく調査ができていたにもかかわらず、それに見合うアウトプットが出せなかったことがあります。いま振り返れば、事前の知識がほぼ皆無のままフィールドに飛び込んで、自分の「知りたいこと」をひたすら見聞きして調べ、現場での知識は蓄積できたものの、それが既存の「知識」(※第3回参照)に何を付け加えるもののかを説明できる状態に至らなかった、ということなのだと思います。かろうじて書くことのできた論文がひとつありますが、それはある研究会のテーマに沿った形で(つまり、外から与えられる形で)なんとか理論的な枠組みを設定することができたからでした。

前回みなさんに読んでいただいた論文は、この反省のうえに立って、限られた調査時間でちゃんと論文を書くために、という問題意識を持って行った調査に基づいています。現地に滞在できるのは1週間に満たず、おそらく生涯に一回行けるかどうかという大変な遠隔地での調査だということが、事前によくわかっていました。現場で試行錯誤しながら問いを立て直す時間は、ほぼない。そんな中でどうフィールドワークとして成立させるのか。そう考えると、理論的にしっかり問いを絞ることは必須でしたし、長年熟知した対象領域の中で継続的にウォッチしていた事例だったことも大事でした。

誤解してほしくないのは、後者が「成功例」だとは言い切れない、ということです。確かに、調査したからには論文にする、という目的に最適化した結果、とてもコスパのいい(旅費はかかりましたけど、、)調査ができた訳です。が、やっぱり調査時間が短すぎてデータの量が十分とは言えず、したがって質の高い研究とは言えないというのが、反省点でもあります。理論的な枠組みの中に収まる形で解釈を成立させているけれど、どこまで「確からしい」結論なのかは、疑わしい部分が大きいのです。

ではみなさんに何を教訓にしてほしいかというと、現場調査にも事前調査にもたっぷりと時間(!!)をかけましょう、ということになると思います。そしてその中で、理論的な言葉にもなるべく多く触れるようにしてみましょう。現場で起きている現実を知らないで立てる問いは、大体見当はずれになっています。だから早めに「現場」をみてみたり、「現場」をよく知っている人の話を聞いてみることをお勧めします。そうするとその「現場」がどんな関連領域に繋がっているのかがみえてくるので、本や論文などの文献調査を進める手がかりも掴めるでしょう。研究論文に触れていると、理論の言葉が出てきます。理論の言葉は、現場で見聞きするデータに、意味を与えてくれます。

現場に出る前に十分な文献調査をしましょう、ということを勧めている教科書などもあると思います。これは教科書的に全く正しいです。でも現実には、自分が興味のある事象が一体どんな学問領域と関連してるのかは、事前になかなか特定するのが難しいことが多いようです。反対に、現場を知ることが「勉強」することにも指針を与えてくれて、卒論の進捗スピードをグンと速めるケースを何度も見てきました。「現場」というのは、いわゆる現地調査とか、インタビュー調査じゃなくてもいいです。生のデータになりそうなものに触れてみる、というのでもいいです。(ただ、パソコンの前に座っていたら集められるようなデータだと、後々持て余すことが多いです。生の人の声によって意味づけられた現実、というのが大事なのかもしれません。)

要注意なのは、早々とデータを取り始めた方がいいと言っても、いわゆるアンケート調査を性急にやることはお勧めしません。それでも何もしないよりずっとよい、というケースもあるのですが、最近の卒論生には「アンケートをしたければ、先に最低10人にインタビューをしてください」と言っています。実際、10人にインタビューしたら、卒論のデータ量とすればなかなかのものです。(それで十分かどうかは、「問い」の設定のしかたによります。)

アンケートは、一回の調査で多くの人から多くの項目について回答をもらえるという意味で大変効率がいいようにみえますが、簡単にはやり直しが効かないという大きなデメリットがあります。事前調査が不十分なまま行うアンケートは「適切な問い」になっていないことが多く、したがって「正しい答え」を導くことができない単なる情報の束になってしまいます。(私が数年かけて溜め込んだ調査データに似ています…)

その点、インタビュー調査は、一件一件、問いを練り直しながら進めていくことができます。それを10件ぐらい繰り返せば、だいたい対象としている現象のことが理解できてきて、問いが洗練され、その答えとしての仮説も具体的になってきます。アンケートというのは、仮説検証型でやってこそ威力がある方法なので、こういう段階になってはじめていい調査が可能になります。多くの人に協力してもらう調査なので、問いと仮説が絞られてこないうちにやって「空打ち」するのは避けたいわけです。

大体今回お伝えしたいことは、言い尽くしたようです。というわけで、いよいよみなさん自身で「問い」を立ててみましょう。その「問い」は、どのようにしたら「答え」がみつかりそうでしょうか? その「答え」は、あなたが観察した対象を超えて、別の事象に対しても説明力を持っているでしょうか?(そうであれば、理論っぽい問いになっているということです。)「問い」と「仮説」を行ったり来たりするサイクルを、早速はじめていきましょう。

Enjoy!

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