【卒論ゼミ(6)】 理論、仮説、概念、そして”グレー”な文献

第6回です。

前回から、卒論の「プロポーザル」を作ってみよう、という課題に入っています。プロポーザルとは何か?というのを、それほどしっかり説明できていないかもしれません。研究者になると、自分のやりたい研究をなんでもできるわけではありません。研究をするには、お金がかかるからです。研究をするために使えるお金のことを、研究費といいます。研究テーマに関連した書籍や資料を購入したり、調査票を印刷して郵送したり(最近はオンラインで、ということも多いですが)、インタビューや実験に協力してくれた方にお礼をしたり、調査員を雇ったり、現地調査のための交通費だったり、社会調査には何かとお金がかかります。自分のお小遣いだけでできることはとても限られていますから、ちゃんとした研究をしたければ他の誰か(国だったり民間財団だったり)から資金提供をしてもらう必要があります。そのためには、「こういう研究をしていいですか?」とお伺いを立てないといけません。その時に書くのが「研究プロポーザル」というものです。

お金を出す側からすると、きっと(私は出す側になったことはないので想像ですけど)二つのことが重要です。まず、その研究計画(という言い方もします)が実行され、研究目的が達成されることが、自分たちにとって価値のあることかどうか。これを研究の意義といいます。もうひとつは、その計画が実行可能かどうか。いくら目的が素敵で意味があるものだとしても、荒唐無稽の実行計画ではダメだということです。提供するお金の範囲内で、当初の目的を達成することが可能なのか。これがとても大事な観点になります。こちらは、フィージビリティーとか、実行可能性といいます。

さて、学生さんの書く卒論の場合は、どうでしょう。おそらく、お金を出すのはご自身ですよね。ということは、第一に自分にとって価値のある研究をやるべきだ、ということになります。私が「自分にとって大事なこと/好きなことの探求にゼミを利用してください」というのは、実はそういうわけなのです(これも今気づいたんですけど)。だから、大手を振って、世の中に役に立ちそうもないことを研究してくださって構いません。とはいえ、社会的に意義のあること、という観点で卒論のテーマを考えてくれる方も毎年多くいて、それもとてもよいことだと思います。ただし、その場合、プロポーザルを評価するのは私ですから(お金出さないんですけどね)、私からみて「社会的に意義がある」かどうかという観点と、戦わなければいけなくなります(指導教員って勝手ですね)。

第二に、実行可能性の方は、ご自身が自由にできるお金と時間(お金のない分は自分の労働=時間で補わないといけません)の範囲内に収まるかどうか、ということになります。これが前回お話しした「卒論に相応しいサイズ感の問い/作業」ということになりますね。理工系の場合には、所属の研究室の先生が大きな研究プロジェクトを持っていて、卒論生がその一部を卒論にする、という場合があります。このような場合、研究資金は先生が出してくれます。私は残念ながら、いまのところそういう状況を整えてあげられないので、みなさんの手弁当の範囲でやっていただくことになります。(その分みなさんは、私にとって意義があるかどうかを無視できる自由があるわけです。)

というわけで、「自分のため」に「自分でできる範囲」の研究計画を作る、ということを、いまみなさんはやっています。これがなかなか、自分のためだからこそ大きなことをやりたいし、しかし自分一人で投入できる資源はたかが知れているというジレンマと、戦わなければいけないんですね。私の方は、その両方の方向にストレッチをかけるようなことを言い続けると思います。「それが本当にあなたのやりたいことなの?」と問う一方で、「それを本当に残された時間であなた一人でできるの?」とも問うことでしょう。このジレンマを乗り越えられたら、きっと素晴らしい卒論になる気がします。

ところで、プロポーザルを評価するのは私、と先ほど何気なく書いてしまいましたが、資金提供者がご自身である以上、最終的にはあなた自身がプロポーザルの評価者です。指導教員である私はその評価の目が養われるお手伝いをしている、と考えてください。だから、私の言いなりにならないように注意してくださいね。第1回で書いたように、そういう状態のうちは、卒論の進捗はとても遅いです。(プロポーザルではなくて、最後に提出する論文の方は、合否判定をするのが私なので、私が評価者です。この点はややこしいので、とりあえず先延ばしにしておきましょう。)

さて、前回のリフレクションが後回しになりました。前回報告してくれたみなさんは、これまで少しずつ触れてきた「仮説」とか「理論」とか「概念」といったことを、ご自身のプロポーザルのなかに取り入れようとしてくれて、とてもよかったと思います。問い、方法、理論、仮説といった諸要素が整合してくるまでにはまだまだ試行錯誤を要しますが、まずは使ってみることが大事ですね。今後のみなさんもトライしてみてください。

議論になったことの一つに、「”グレー”な文献」というのがありました。インターネット上の記事とか、政府や自治体の出している文書など、研究テーマに関わっているけれど、学術的な裏付けがはっきりしないものを、英語で”grey literature”といったりします。研究テーマに関わる情報を集めるとき、まず最初に頼りになるのがネット検索ですから、みなさんが最初に出会う文献の多くが”グレー”なものになっても不思議ではありません。最終的にはこれらを「間に受ける」ことは避けないといけませんが、最初のうちはこうした文献をスキャニングしていくことで、そのテーマにまつわる情報の体系がなんとなく頭のなかに作られて行きますので、恐れずどんどんやってください。

ただし、これらをプロポーザルのなかに引用していく場合、ちょっと気をつけましょう、という話でした。グレーな文献の使い方は、主に2つ想定できます。ひとつは、背景情報として使う場合。研究の意義や問題意識を裏付けるような部分に例証(illustration)として使う。もうひとつは、一次データとして分析対象にする場合。言説分析(discourse analysis)とか、内容分析(content analysis)といった方法は、世の中に存在する文書に書いてあることを直接のデータとして用いるもので、卒論でもよく使われます。前者の場合は、軽く引用するような感じでOKですが、後者の場合は分析対象になるデータですので、体系的な方針に沿って収集することを求められます(サンプリングといいます)。

これが原則ではあるのですが、前回のプロポーザルで厄介だったのは、中心的な概念(鍵概念といったりします)が、政策用語と学術用語の合の子になっていたケースです。どうやら国としてはその概念をプロモートすることで、困難な政策課題を解決する突破口にしていきたいようで、その文書にはその概念の何が新しくて(=既存概念と違っていて)、どんな社会的(≒政策的)意義があるのか、ということが書いてある。他方で、その概念を主題にした学術的な論文や書籍も一定数存在している。こちらはもう少しきちんと既存の学術的概念とどう違うか、ということにも注意が払ってある。しかし、全体としてみると、この概念が具体的にどのような現象とイコールで結びつけられるべきなのか、固定化することが非常に難しくみえる。そういう例でした。


これは実はいわゆる「流行りコトバ」には、よくあることです。政策で取り上げられたことをきっかけに、業界の研究者が学術用語として定式化しようとする場合もあるし、研究者が提起したことをきっかけに政策に取り入れられ、当初よりも意味の広がりが大きくなっていくというような場合もあります。私がよく使う「社会的排除 social exclusion」「社会的包摂 social inclusion」などは、この典型でした。もっと広く使われているコトバでは、「持続可能性 sustainability」なんかもそうです。これはもともと「自然環境をこのまま破壊し続けるのはまずい」という問題意識から提起された言葉のはずですが、その後「環境を守りながら経済成長も止まらないようにしましょう」という経済的な持続性を含むようになり、さらには「社会も持続可能でなければね」と、格差や不平等の問題も含んで定義されるようになりました。

なんだか都合いいですよね…。でもこうして社会に広く受け入れられることで、この方向で社会を変えていこう、と合意されたのが、最近流行りの「持続可能な開発目標(SDGs)」というやつです。これは大変に網羅的で、悪くいえば「総花的」な政策指標のリストですが、でも一応これに基づいて、全世界的に「社会をよくしていこう」という動きになっているわけです。第2回の結論で、「概念を使いこなし、知識を生み出すことは、社会を変革する第一歩だ」という趣旨のことを書いたのは、実は(一面では)このことを指していました。社会科学の難しさ(と同時に面白さ?)のひとつは、こうして日常用語や政策用語と簡単に結びつき、そのことで意味が変質することが避けられない一方で、社会を動かすことにもつながるという点にあります(これを再帰性 reflexivity といいます)。

さて、もう少し卒論に直接役に立ちそうな話に戻りましょう。問題は、こういう”グレー”な概念を、卒論でどう使いこなすのか、ということです。これも戦略は、2つ思いつきます。ひとつは、その概念の「使われ方」そのものを分析の対象にすることです。上述の言説分析/内容分析的アプローチです。もうひとつは、既存の学問的な裏付けのある概念としっかり結びつける方向で、しっかりと定義を固定化することです。どちらも面白いと思いますが、私が自分の博士論文でやったのは、後者でした。

この時私は、概念を”operationalise”する、という言い方があることを知りました。これは日本語訳すると「操作化する」というようです。私なりに言い換えると、経験的(empirical)に観察(observation)が可能なように定義づける、という意味です(余計わからないかもしれません。empiricalもobservationも、とても大事なコトバなのですが、詳しくはまた今度…)。もっとざっくりいうと、誰にでも目でみて確認できる、ぐらいでいいかもしれません。

例えば、社会的排除とか包摂といった現象は、「確かにここにあるよ」というふうに言えるかどうか。同時に、「これは社会的排除/包摂とは言えないよ」ということも、確定できるかどうか。この後者がかなり大事です。流行り言葉の問題のひとつは、なんでもかんでも持続可能性だ、みたいに言えてしまうことです。それだと、社会的な影響力の面では利がないこともありませんが、卒論ではNGです(社会(科)学の卒論は、概念を使いこなすトレーニングだからです)。

ある概念が切り取っている実際の現象を確定させること。これは、仮説検証における「方法」を考えることとも繋がっています。前回報告された別のプロポーザルでは、「予想される結論、つまりは仮説なのですが、、、」という言い方をしてくれていました。実は「きっとこんな結論になるのでは?」ということが直観的に予想されてしまうことは、とてもいいことです。もちろんそのまま結論にしてはいけないのですが、その仮の結論の真偽を確認しよう、という方向で「作業」が決まってきます。(こういう仮説導出のしかたを、アブダクション abductionといいます。この話は面白いのですが、また今度。)

その仮説は、どんな作業をすれば真偽がチェックできるでしょうか? これがうまくいかないとすれば、概念の操作化(operationalisation)がうまくいっていないということです。(概念の操作、ではなく、概念の操作化、というのが、ポイントかもしれません。前者は概念を勝手にいじくることを連想しますが、後者はその概念化にもとづけば作業が確定できる、というニュアンスです。また「概念化」とか言ってしまいました…難かしいコトバを難かしいコトバで説明するのって、ダメですよね…)

ちょっと先走りが多くなってきたので、今回はこの辺でまとめに入りましょう。

卒論のプロポーザルを作る際に大事なのは、第一に自分にとって価値のあるテーマかどうか、第二に自分一人で実行可能になっているかどうか、という話から始まりました。最後に触れた鍵概念の操作化というのは、主にふたつ目に(ひとつ目にも少し)大きくかかわります。「面白そうなテーマだな」とか「大事なテーマだな」と感じる(≒自分にとって価値がある)ものには、”グレー”な概念が関わっていることも多いでしょう。それをどうにか、卒論で確かに扱える形まで落とし込む必要がある。とても簡単に言えば、その概念が指し示す現象とそうでない現象が、確かに切り分けられるかどうか。これをチェックしてみましょう、というお話でした。(もしそうでなければ… もうしばらく、トンテンカンが続きそうですね。めげずにグルグル回しましょう!)

次回はどんなテーマになるでしょうか。みなさんからのインスピレーションを、楽しみにしたいと思います。

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