小学校時代、君が代を校歌で上書きした話

 私、日記を書くのが趣味なんです。昔に思いを馳せたい、そんなロマンチストな面があります。だから昔のことを思い出してみようと頭をぽうっとほっぽりだすんです。大学、高校、中学校、どんどん思い出されます。文化祭とか、受験とか、友達とか、懐かしいなぁっと過去を回想します。

 過去にさかのぼるにつれ私の記憶を遡る旅は小学校時代に到達します。その小学校の記憶の中でも一番古い記憶は音楽の授業です。

 最初の音楽の授業で音楽室に呼ばれたんです。定年間際のおばあちゃんの担任が「みんなのうた」という歌謡集を配ります。そして指示するんです。歌謡集の一番後ろのページに印刷されている”君が代”の上に校歌がプリントされた紙を貼り付けるように、と。

 当時、せっかくの君が代が見れなくなるのはもったいないと思ったのでしょう。私は校歌のプリントを一番上の辺だけに糊を付けて、めくればいつでも君が代が見られるように校歌を貼り付けていました。校歌をぴちっと張り付けて、君が代を見られないようにしてしまった周りの友達に自分の”発明”を自慢した覚えがあります。

 小中高と疑問にも思わず過ごしてきました。歌謡集の君が代のことなんて思い出しもしませんでした。大学生となった今、それを思い出してみると非常に滑稽に思えます。当時の担任は学生運動の残り火だったのでしょうか。6~7歳の児童の歌謡集の君が代に校歌を上書きすることで、戦前の日本への対抗心を現わして満足していたのでしょうか。私を2年間担任して定年していった石川先生、あの行いのどこに教育的な価値があったのでしょうか。愛校心を育む校歌と愛国心を育み国家、それらは共に所属するコミュニティへの所属意識を高める目的です。違うのはコミュニティの大きさです。第一、小学生や中学生が「君が代の”君”は天皇のことだ」なんて理解しているわけがありません。

 大学に入学をして法律を学ぶようになりました。憲法学で思想・良心の自由を学びます。法学部は基本、判例や学説を学ぶ学部です。数多く起こった「君が代訴訟」も学びます。

 卒業式で君が代の伴奏を拒否して処分を受ける音楽教師、卒業式で君が代を歌うことを拒否した挙句ストレスで病んだと主張する教師、なんともマヌケです。どれも敗訴です。裁判所も意固地になって「業務命令で君が代伴奏をさせたけど、別に君が代を受け入れろなんてことを言っていない」と無理やり内心作用を否定するんです。もはや互いに屁理屈の領域です。

 君が代ひとつじゃ戦争国家に戻りようはありません。象徴天皇制となった現代日本、保守系の憲法学者の先生であっても「天皇は国民の民意によって立場を失う」というようになりました。(教育学部卒の似非学士は学んだことはないでしょうが)そもそも象徴天皇をあがめたところで何なのでしょうか。

 いったいあの行為は何だったのでしょうか。国家に対する反抗期?

 誰かが言いました。「20を過ぎて左翼の奴は知能が足りない」、と。この場合の左翼は私の元担任のような”極左”であってほしいな、とリベラリストを自認する私は思わずにはいられません。